100mハードラー田中佑美がオリンピックを振り返る「『怖い』よりも『楽しい』。パリは『自分の大会』だった」

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2024年10月22日 09:51  webスポルティーバ

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陸上・女子100mハードル
田中佑美インタビュー前編

 40人中39番目──。

 これがパリ五輪に挑んだ、陸上・女子100mハードルの田中佑美(富士通)のポジション。その舞台への切符は、薄氷を履む思いで掴んだものだった。

 それでも、念願の五輪で田中は堂々とした走りを披露した。敗者復活ラウンドを勝ち上がり、先に予選を突破していた福部真子(日本建設工業)とともに準決勝進出を果たした。

 記録も、予選が12秒90、敗者復活ラウンドが12秒89、準決勝が12秒91と、3レースすべてで従来の五輪における日本人最高記録を上回った(福部が今大会の予選でマークした12秒85が新たな記録)。

 昨年のブダペスト世界選手権は、初めてのシニアの世界大会で「自分のやりたいことが何ひとつできず、悔しさでいっぱいでした。何しに来たんやっていう感じでしたね」と、大きな悔いを残した。だが、今回は「自分のやりたいことができた」と言いきれるほど。世界の舞台で、田中は晴れやかな表情を浮かべていた。

 オリンピックを戦い終えた田中に話を聞いた。

◆田中佑美・パリオリンピックを終えて〜「私服」スタジオ撮影オフショット集>>

   ※   ※   ※   ※   ※

── パリオリンピック、お疲れ様でした。

「ありがとうございます」

── 今回のオリンピックまでの道のりについてお聞きします。6月の日本選手権の決勝レース直後には、一度はパリをあきらめたとも取れるようなコメントがありました。あの時の心境をあらためてお聞かせください。

「日本選手権において自分がやるべきことは、参加標準記録を切ることでした。でも、予選、準決勝、決勝と3本レースを走って、3本とも標準記録を切れませんでした。その後に自分にできることはなかったので、私のオリンピックチャレンジはここで終わったなって思っていました」

── たしかにチャレンジは終わったかもしれませんが、ワールドランキングでオリンピックに出られる可能性はまだ残されていました。

「そうですね。でもオリンピックには、ほとんど『行けない』って思っていました。

(ワールドランキングで出場するための)ポイントを獲得するためにけっこう海外遠征をして、走り終わった直後に私がやることは、まずポイントを計算することでした。なので、ポイントに関しては無駄に詳しくて、自分のポイントはもちろん、自分のランキングの上下にどんな選手がいるのか、だいたいは把握していましたから」

【日本選手権が終わった夜は寝られず...】

── 結果的には、40の出場枠のうち、ワールドランキング39番目で滑り込みました。

「寺田明日香さん(元日本記録保持者)の旦那さんがランキングを整理した資料を作られていて、日本選手権が終わった日に『佑美ちゃん、ギリギリだから』って共有していただいたんです。それを見ながら、他国の選手権をずっと追っていました。

 その当時、私はボーダーライン上にいたのですが、マダガスカルの選手に抜かされてしまいました。一方で、私の2個上にいたポーランドの選手が、ポーランド選手権で予選落ちして追加のポイントが取れず、私よりも下の順位になりました。そこで順位が入れ替わりました。

 40番目のハンガリーの選手は顔見知りだったのですが、ハンガリー選手権の決勝が機械トラブルで手動測定になり、手動だとタイムに振れ幅があるので遅いタイムとして換算され、ポイントを伸ばせませんでした。そこでも私の順位が上がりました。

 本来全員が力を発揮していれば、もしかしたら私は41番目だったかもしれません。(ライバルに)計測トラブルや予選での失敗があって、私はギリギリ39番目での出場となりました。

(獲得したポイントの高いほうから)5試合が対象で、そのうち3試合が国内で、2試合が海外のレースでした。その2試合に出場していなければ間違いなくポイントは足りていなかったので、少なくともオリンピックのスタートラインに立つという点で、(海外のレースに積極的に出るという)レース戦略は間違っていなかったと思っています」

── ワールドランキングが確定するまでは、夜も眠れなかったのでは?

「日本選手権が終わった日の夜は、ほぼ寝ていないですね。普通に電気を消して眠りにつこうとしたんですけど、『あれを調べていなかったな』って起きて、携帯をいじる。で、もう1回、眠りにつこうとするけど、『もしかしたらハンガリー選手権のリザルトが出てるかもしれへん』と思って、起きてまた調べる......。ハンガリー陸連のホームページでオリンピックの選考条件を翻訳しながら調べるなどの作業を、夜中ずっとしていました。

 確定するまではけっこう時間が空いたので、逆にクールダウンしていました(笑)。自分で調べられるかぎりではオリンピックに行けるけど、何が起きるかわからない......って思いながら過ごしていました」

【1台目にビビらないで、速く動こう】

── 39番目で出られることになり、オリンピックに向けてどんな目標を設定しましたか?

「それはシーズンが始まる前から、あまりブレていません。出たこともない大会ですし、条件によってタイムにはブレもありますから、『何秒を出す』とか『何着に入る』とかではなく、『後悔がないように走りたい』っていうのが最初に立てた目標でした。

 同時に、ちょっと怖くもありました。ギリギリのところでオリンピックを掴んで、話題性もあって応援をしてもらっていたので、『失敗しちゃったら、どうしよう』と思いましたし、下から2番目だから『自分は足が遅い』などと考えることもありました」

── 下から2番目だからこそ、「怖いものがない」「失うものはない」という心境だったのかなと勝手に想像していました。

「最後はそこに落ち着くんですけど、そこに至るまでには、自分のなかでいろんな感情が渦巻いていました」

── オリンピックの舞台でスタートラインに立った時に、笑顔を見せたことも日本では話題になっていました。リラックスしているようにも見えましたが、やはり緊張はありました?

「そうですね。でも、会場に入ってしまったあとは、自分のなかで振りきれていたので、『怖い』という感情よりも『楽しい』という感情のほうが勝っていました」

── 今回は、12秒90、12秒89、12秒91と、3レースとも好記録を揃えました。

「気持ちって1個だけじゃないじゃないですか。いろんな気持ちが入り混じっているなかで、もうちょっと記録が出ればよかったなっていう気持ちもありました。絶好のコンディションではあったので、自己ベストぐらい更新したかったな、と正直思いました」

── 日本選手権の決勝では、スタートから勢いよく飛び出すレースを試したと話をされていました。それはオリンピックでも継続して試されたのでしょうか。

「そうですね。爆発力がないという点が、自分のよくないところだと思っていましたから。スタートでぬるっと出て、ぬるっと走って、ぬるっとゴールするので、『しっかり突っ込もう』『1台目にビビらないで、音が鳴ったら速く動こう』っていうのを、日本選手権からオリンピックを通して意識していました。

 試したというよりも、吹っきれたみたいな感じですかね。そうするべきだとわかっていても、特に大事な場面ではなかなかできなかった。そういう意味で、チャレンジとして、吹っきったスタートをしました」

【技術がなくてハードルに足をぶつけた】

── そこで得られた手応えはありましたか?

「スタートに対する恐怖心がちょっと減ったかなと思います。ブダペスト(世界選手権)では、なぜかフライングが怖くて、しっかりと出られなかったので。

 パリオリンピックでも『ギリギリで出させてもらったのに、フライングしたらどうしよう......』って不安になるかなと思ったのですが、日本選手権という大事なレースでしっかりスタートを決められたこともあって、そういう不安に飲み込まれることなく、スタートを切れました」

── それが「自分のやりたいことができた」という言葉につながるのですね。

「予選でやりたかったことは、スタートを遅れずに出て、腰が引けずに1台目に入って、トップスピードをしっかり出す、ということだったので、トップスピードを出すことはできました。でも、そこから先の技術がなかったので、ハードルに足をぶつけたんですけど......」

── お話を聞いていて、ブダペストの時と比べて充足感がまったく違うように感じます。

「全然、違いますね。海外の選手がダメだった時に、よく『It's not my day』って言うじゃないですか。そういう意味では、ブダペストは他人の大会という感じでしたが、今回のパリはどちらかというと『自分の大会』だったと思います」

(中編につづく)

◆田中佑美・中編>>「ラッキーで決勝に行けたとしても、それはそれでよくない」

◆田中佑美・パリオリンピックを終えて〜「私服」スタジオ撮影オフショット集>>


【profile】
田中佑美(たなか・ゆみ)
1998年12月15日生まれ、大阪府出身。中学から100mハードルを始め、関西大学第一高ではインターハイを連覇し、第9回世界ユース選手権に日本代表として出場する。立命館大学では関西インカレ4連覇、2019年には日本インカレ優勝。2021年4月より富士通に所属し、2022年の日本選手権で3位、2023年世界選手権(ブダペスト)日本代表、2023年のアジア大会で銅メダルを獲得する。パリオリンピックでは準決勝に進出。Instagram→Tanaka Yumi(@yu____den)

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