TBSアーカイブで振り返る“夢の超特急”東海道新幹線60周年(1964年〜)【TBSアーカイブ秘録】

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2024年10月24日 16:41  TBS NEWS DIG

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2024年10月1日午前6時、東海道新幹線の開業60周年の記念式典が行われました。式典会場となった19番ホームは、60年前、1番列車が出発したホームです。今までに運んだ乗客は約70億人。過去にはこんな驚きの車両もありました。(アーカイブマネジメント部 萩原喬子)

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 夢の超特急…始まりは1964年

東海道新幹線が開業したのは1964年(昭和39年)。
王貞治選手(当時)が1シーズン55号のホームランを打ち、街にはアイビールックの若者たちがあふれました。そして何と言っても「東京オリンピック」。
首都高速や数々の競技場、開催に向けての建設ラッシュの中、オリンピックに向けての最大の目玉こそが“世界初の高速鉄道”この東海道新幹線だったのです。
東京−新大阪間を約4時間で結んだ夢の超特急に、大人も子どもも夢中になりました。

新大阪発の一番列車の運転士が体感した時速200キロ超えの世界

当時、国鉄の特急の最高速度は時速110キロ。時速200キロを超えるのはまさに未知の世界でした。
新大阪発の一番列車の運転士は夢の超特急の印象について「トンネルに入ると耳がキーンとなり、時速200キロを超えると『ゴー』とすごい音に。こりゃえらい電車に乗っちゃったなという感じだった」と当時を振り返ります。

時速200キロ超達成!一方こんなハプニングも…

時速160キロで走り出した新幹線は滋賀県大津市付近で初めて時速210キロを達成。乗客からは歓声が上がったと言います。その後も順調に、品川辺りまで少し早めに順調に走っていた一番列車。しかし司令から「定時に到着してください」と言われ、スピードを落とすことになりました。すると新幹線が京浜東北線や山手線に抜かされてしまう事態に…。
ただ、ゆっくり走ったからこそ見えた感動的な景色もありました。
新橋辺りのビルの窓からは、見物のみんなが手を振って歓迎してくれていたのです。

乗客の胃袋を支えた 大人気だった“走るレストラン”

この頃、食堂車が連結されている快速電車などありましたが、東海道新幹線で最初に導入されたのはビュッフェ車でした。軽食を提供するこのビュッフェ車に速度計があり、一番列車の時は時速200キロを目にしようと乗客が殺到したそうです。

さらに1974年には“走るレストラン”と言われた食堂車の連結が開始。人気メニューはハンバーグ定食1000円、カレーライスが500円に、ビールは340円でした。当時の物価から見るとかなりの高級レストランです。それでも富士山を見ながら食事ができるというのは格別の体験で、昭和の客はここにも熱狂したのです。(惜しまれつつも2000年に終了)

驚きの車両も数々登場!!

東海道新幹線は乗客を乗せて目的地に行くだけではなく、こんな驚きの車両活用もしてきました。
1988年にはJR東海が民営化1周年を記念して「ディスコ列車」を走らせました。

さらに2022年12月からは新幹線車両を号車単位で貸し切り、車内でオリジナルイベント等を実施できる「貸切車両パッケージ」のサービスが始まりました。2023年には新幹線プロレスまで開催されたのです。

60周年を支えた新幹線のお医者さん「ドクターイエロー」

最後に新幹線の安全運行を支えたこんな車両を紹介しましょう。黄色い車体が特徴のドクターイエロー、正式名称を「新幹線電気軌道総合試験車」といいます。普通の新幹線のように走りながら、設備の異常や線路のずれやゆがみなどをミリ単位で点検することができるのです。いつ何時に走るか公表されていないため「見たら幸せになれる」などの都市伝説もいつしか囁かれるようになりました。しかし、もうすぐ引退です。

この先も「安心」「正確」「快適」「高速」で…60周年特設サイトも公開

現在JR東海では特設サイトを開設し、企業とのコラボイベントなども行っています。さらに利用者の思い出が詰まった写真と映像で作られた新CMも先日公開されました。
現在は時速285kmで走行し、多い日には上下合わせて480本以上が走っている東海道新幹線。
たくさんの客と思い出を乗せて、きょうも走り続けます。

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