【平成の名力士列伝:旭天鵬】「モンゴル人力士の先駆者」角界のレジェンドが歩んだ紆余曲折の相撲人生

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2024年10月26日 07:30  webスポルティーバ

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連載・平成の名力士列伝17:旭天鵬

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、モンゴル人力士の先駆者として、20年以上の紆余曲折の相撲人生を歩んだ旭天鵬を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【部屋脱走でモンゴル帰国も1場所全休で復帰】

 平成後半の相撲界は、「モンゴルの時代」だった。朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜が横綱へと駆け上がり、優勝を重ねた。そんな時代の先駆者となったのが旭天鵬だ。モンゴル初の力士となった6人のうちのひとりであり、関脇にまで上って優勝も経験。長く土俵を務めて「角界のレジェンド」と称された。

 モンゴル・ナライハ市(現ウランバートル市ナライハ区)出身。レスリングやバスケットボールなどに親しみ、父と同じ警察官を目指していたが、17歳のとき、大島親方(元大関・旭國)が開いた力士選考会に出場。1回戦で敗退したが、スラリとした体つきが大横綱・大鵬の若い頃に似ていると大島親方が惚れ込み、合格した6人のひとりに選ばれて来日し、平成4(1992)年3月、初土俵を踏んだ。四股名の「鵬」は大鵬からとった。

 しかし、生活習慣や文化の違いからホームシックに襲われ、同年8月、6人のうち旭天鵬を含む5人が部屋を脱走し、モンゴル大使館に駆け込んだ。親方夫妻の説得でのちの小結・旭鷲山ともうひとりは部屋に帰ったが、旭天鵬はほかのふたりとともにモンゴルに帰国。旭天鵬以外のふたりはそのまま土俵を去ったが、旭天鵬はモンゴルにやって来た大島親方に説得され、再び日本に戻ることを決意。1場所全休しただけで再起の土俵に上がった。

 当時の最大のライバルが、一緒に来日した旭鷲山だ。再来日を決意したのも、大島親方と一緒にモンゴルに来た旭鷲山が大歓迎を受ける姿に発奮したからだった。出世は常に旭鷲山が先。背中を追って稽古に励み、平成10(1998)年1月、23歳で新入幕を果たす。旭鷲山が多彩な技で幕内3場所目に技能賞に輝き、4場所目には小結に昇進したのに比べ、旭天鵬は2度の十両落ちを経験するなど足踏みした。しかし、長身と懐の深さを生かした右四つ寄りの相撲に磨きをかけ、平成12(2000)年1月場所、11勝して初の敢闘賞、平成14(2002)年1月に新小結、同年9月には貴乃花から初金星獲得と着実に力をつけ、平成15(2003)年7月、ついに旭鷲山に先んじて関脇に昇進した。

【37歳8カ月での優勝は初優勝最年長記録】

 一方でこの時期、モンゴル出身の後輩・朝青龍が台頭して、モンゴル出身初の関脇、大関、横綱へと駆け上がり、毎場所のように優勝を重ねていった。さらに白鵬、日馬富士と、次々とモンゴルの後輩が大関、横綱へと昇進し、相撲界はモンゴルの時代へと突入する。番付では彼らに追い越された旭天鵬だが、幕内上位に定着。平成15(2003)年3月には新横綱・朝青龍に初黒星をつけるなど、随所で存在感を示した。温厚な性格で、モンゴルの後輩だけでなく日本人力士や多くのファンから慕われる人気力士となった。

 大きな岐路が訪れたのは、平成24(2012)年3月。場所後の大島親方の定年退職を機に、すでに37歳だった旭天鵬が引退して大島部屋を継ぐと思われた。しかし、旭天鵬は熟慮の末、「もう少し現役を続けたい」と断った。師匠も受け入れて大島部屋は閉鎖となり、旭天鵬はほかの力士とともに元関脇・魁輝の友綱部屋に移籍した。

 その直後の同年5月場所、西前頭7枚目の旭天鵬は序盤こそ2勝3敗だったが、6日目から連勝街道を突き進む。横綱・白鵬が早々に崩れて優勝争いは混戦となり、千秋楽、栃煌山との史上初の平幕同士の優勝決定戦を叩き込みで制して12勝3敗で初優勝。凱旋した部屋では、友綱親方と退職したばかりの大島親方、新旧ふたりの師匠に祝福された。37歳8カ月での初優勝は、史上最高齢だった。

 その後も長く土俵を務めて「角界のレジェンド」と称され、平成27(2015)年7月場所限り、40歳10カ月で引退。史上1位の幕内出場1470回など、数々の記録を残した。30歳のときに日本に帰化しており、引退後は年寄大島を襲名。友綱親方の定年退職に伴って友綱部屋を継承してモンゴル出身初の部屋持ち親方となり、のちに名称を、自らが育った大島部屋に改めた。令和6(2024)年10月、元・旭國の大島親方の死去の際には、「親方がいて、今の自分がある。自分の人生から切り離せない。親方が思いきったことをしてくれなかったら、白鵬や朝青龍らモンゴル出身の横綱は生まれなかったかもしれない」と語った。

 先駆者の自負と恩師への感謝の思いを胸に、「レジェンド親方」を目指す道のりが始まっている。

【Profile】旭天鵬勝(きょくてんほう・まさる)/昭和49(1974)年9月13日生まれ、モンゴル・ナライハ出身/本名:太田 勝/所属:大島部屋→友綱部屋/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成27(2015)年7月場所/最高位:関脇

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