新型コロナ変異株のインスタント・カーマ!【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2024年10月26日 09:01  週プレNEWS

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イギリス・ロンドンのセントパンクラス駅で、フランス・パリ行きのユーロスターに乗り込み、その出発を待っていると、ある知らせが……!

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第74話

これまで、新型コロナウイルスに関する論文を48報発表してきたG2P-Japan。その中でも、最短最速で完遂したプロジェクトとは?

* * *

【写真】XBB.1.5の研究成果についての投稿

■G2P-Japan史上、「最速」のプロジェクトは?

筆者が主宰する研究コンソーシアムG2P-Japanは、2021年1月に発足した。このコラムを書いている2024年10月、G2P-Japan発足から46ヵ月が経とうとしている。これまでにG2P-Japanが発表した、新型コロナに関する学術論文の数は48。月報を上回るペースである。ほとんどの論文は、プロジェクト開始からだいたい数ヵ月以内に論文としてまとめてきた。今回のコラムでは、最短最速で完遂したプロジェクトについて紹介しようと思う。

ちなみに、この連載コラムの45話で紹介したことのある新型コロナ変異株「ミュー株」の研究も、「WHOの命名からわずか6日でプレプリントを公開」という切り取り方をすると、めちゃくちゃ早く論文を仕上げたように聞こえるかもしれない。しかしこの研究の場合、事前情報がすでにあって、実はひと月前からコツコツと研究を進めていた、という裏事情があった。

今回はそういう裏話を抜きに、「プロジェクトの立ち上げから論文の『アクセプト(採択)』までの期間が最短」、つまり、「実際に研究に従事した期間がガチで最速」のプロジェクトの話である。読者のみなさんは、「XX日くらい!」、という予想を立ててから読んでみると面白いかもしれない。

■2022年末、XBB.1.5(俗称「クラーケン」)が突如出現!

2022年末。XBB.1.5という新しい新型コロナ変異株が出現し、アメリカで流行が急拡大。ツイッター(現X)でも、これにまつわるツイートが飛び交っていた。そのような状況を受け、G2P-Japanでも、2023年の年始早々、緊急プロジェクト(われわれはそれを「スクランブル」と呼んでいる)が立ち上げられることとなった。

ちなみにXBB.1.5には、「クラーケン」という俗称がついていた。XBB.1.5や当時の流行の背景については、この連載コラムの3話で詳しく解説しているので、もし興味があればそちらも参照していただきたい。

このスクランブルプロジェクトがフォーカスするのはただ1点、「XBB.1.5がほかの株を出し抜いて、一気に主流の株に躍り出ることができた特性の解明」である。

■「XBB.1.5スクランブル」が発動

2023年1月5日、私のラボのSlackで、XBB.1.5プロジェクト専用のチャンネルが作成される。スクランブルプロジェクトの始動である。

翌1月6日、G2P-JapanのSlackでも、同様のチャンネルが立ち上げられる。

参加するのは、スクランブルにも慣れた、G2P-Japanの頼もしいメンバーたちである。ちなみにこのプロジェクトには、この連載コラムの40話や70話にも登場した、G2P-Japan海外メンバーであるイリ・ザフラドニクも参加している。実験や解析の分担もすぐに決まり、役割が決まった参加メンバーたちは、それぞれの仕事をトップギアで進める。

1月7日、おなじみのペアである『週刊プレイボーイ』の編集者Kさんと、敏腕ライターのKさんからXBB.1.5についての取材を受ける。

1月15日、プロジェクト開始から11日目。大きなミスも事故もなく、実験は無事完了。通常は、投稿したプレプリントが公開された際にその内容をツイッター(現X)で紹介しているのだが、このときは緊急性が高いということで、プレプリントの投稿前に、研究成果をツイッターで紹介した。

ちなみに、その実験結果は驚くべきもので、XBB.1.5は、「F486P」というスパイクタンパク質のたったひとつの変異によって、新型コロナがヒトの細胞に感染するための受容体であるACE2への結合力を劇的に向上させる進化を遂げていたのである。中和抗体からの逃避力については、その親株であるXBB.1の時点で、当時にしてほぼ最強の逃避力を誇っていたので、それはそのままXBB.1.5にも引き継がれていた。

1月16日、突貫で論文をまとめる。そしてその夜、プレプリントをbioRxivという専用サーバーに、論文を『Lancet Infectious Diseases(LID)』という学術誌にそれぞれ投稿。無事投稿を終えると、ラボに残っていたプロジェクト参加メンバーらと、ビールで軽く打ち上げをした。

ちなみに同日、私が7日に取材を受けた、XBB.1.5についての記事が掲載された『週刊プレイボーイ(5号)』が発売された。

――というわけでここまで、プロジェクト開始から「論文投稿」までに要した期間は「12日」。しかし、この連載コラムにも何度か書いたことがあるが(30話で特に詳しく紹介している)、論文は投稿してからが勝負である。この先は、「レビュアー(査読者)」あるいは「エディター(編集者)」と呼ばれる、審査員たちとの「たたかい」が待っている。

■怒涛の勢いで進む論文審査、そして......

翌日。1月17日の9時過ぎに、羽田空港から出国し、渡欧。その機内でなんと、LID誌から、投稿した論文の「リバイス(改訂)」依頼のメールが届く。投稿してからまだ24時間も経っていない。これは通常では考えられない、とんでもない早さである。慌てて機内からラボメンバーに、修正稿を作成するための準備を指示。

1月17日の現地時間15時過ぎ(日本時間18日0時過ぎ)、イギリス・ヒースロー空港に到着。ロンドン市内のホテルにチェックインし、現地の深夜(日本時間19日の朝)に、最後の修正依頼を日本のメンバーたちに送信して就寝。

1月18日の朝、ホテルをチェックアウトし、フランス・パリ行きのユーロスターに乗るためにセントパンクラス駅へ。駅構内のカフェでカフェラテを飲みながら最終稿を仕上げ、それをLID誌に再投稿した。

首尾よくひと仕事を終え、ユーロスターに乗り込み、出発を待っていると、現地時間12時過ぎ(日本時間21時過ぎ)、LID誌から「アクセプト(採択)」の連絡が届く。駅構内のカフェから投稿してから、わずか1時間後の知らせだった。

――というわけで、「プロジェクトの立ち上げから論文の『アクセプト(採択)』まで」が最短だったG2P-Japanのプロジェクトの期間は「14日」。この通知を受けとった私の脳裏には、作詞作曲からわずか10日ほどでレコードの発売に至ったという、ジョン・レノンの「Instant Karma!」が浮かんだ。

■Instant Karma!

最後に余談だが、実はこのときの出張の目的地は、フランス・パリのパスツール研究所。40話にも書いている、2023年始めの、G2P-Japan欧州ツアー冒頭の出来事であった。

国ごとの新型コロナ対応の違いを見比べたいと思い(単純に、日程が合う羽田ーパリ直行便がなかった、ということもある)、イギリス・ロンドンから欧州入りし、ユーロスターでフランス・パリへ。そしてパスツール研究所での用務の後は、TGVとICEを乗り継いでドイツ・フランクフルトへ移動し、そこから帰国する、という旅程を組んでいた。もしかしたらこの旅程のどこかで、リバイスの対応をすることになるのかな、とは想定していたのだが、まさかまさか、パリに到着する前に完了してしまうとは......。

われわれG2P-Japanの頑張りはもちろんだが、LID誌の迅速な対応にも目を見張るばかりであった。このスピード感は、研究者の頑張りだけではどうにもならず、新型コロナという有事の問題意識を共有した「みんな」の総意が必要になる。レコードの販売だって、ミュージシャンが急いで曲を作り、それをレコーディングしたからといってリリースが早まるとはかぎらない。「Instant Karma!」だって、神がかり的な作曲とレコーディングの速さだけではなく、プロデューサーやレコード会社、営業やもろもろの影の努力があっての賜物だったはずである。

このときの「XBB.1.5スクランブル」も似たようなもので、迅速な情報発信のために尽力してくれた匿名のレビュアー(査読者)のみなさんや、LID誌のエディター(編集者)には、この場を借りて感謝したい。

文・写真/佐藤 佳

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