「チ。」「ピンポン」「デデデデ」……青年漫画誌「スピリッツ」のアバンギャルドさと革新性を分析

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2024年10月26日 12:00  リアルサウンド

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左から『チ。―地球の運動について―』、『ピンポン』、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(小学館)

 10月より毎週土曜、NHK総合にて放送中の話題のアニメ――『チ。〜地球の運動について〜』。原作は、2020年から 2022年にかけて「週刊ビックコミックスピリッツ」(小学館)にて連載された、魚豊(うおと)による「地動説」をテーマにした壮大な歴史コミックだ。


 同作では、「天動説」が信奉されている15世紀のヨーロッパ(P王国)を舞台に、命を賭して宇宙の真理を求めた人々の姿が、衝撃的な展開を繰り広げながら描かれていく。


◼️ヤンキー、ギャンブル…「青年誌」でウケやすいテーマ・ジャンルは?


 それにしても、現代の日本の読者に向けて、「地動説」の物語とは酔狂な話ではある。確かに、漫画家が漫画を描くうえで何を題材に選ぼうと作者の自由だし、かのロラン・バルトも、「世界中の物語は数かぎりがない。まず、驚くほど多種多様なジャンルがあり、(中略)人間にとっては、あらゆる素材が物語を託すのに適しているかのようである」と書いているとおりだが、それでも、「ビッグコミックスピリッツ」というメジャーな媒体で「連載」の枠を勝ち取るには、それなりにマスを意識した「素材」を選ぶ必要があるのではなかろうか。


 では、そもそも青年コミック誌における、「マスを意識した」物語とはいかなるものなのか。それは、(かなり大雑把にまとめてしまえば)以下のようなジャンルの物語であると思われる(ちなみに私は、90年代の半ばからゼロ年代の初頭にかけて某青年コミック誌の編集部に在籍していた者だが、この傾向についてはいまも昔もさほど変わっていないものと思われる)。


・学園物(高校・大学が舞台)
・恋愛物(ラブコメや、“お色気”を売りにした作品も含む)
・職業物(ビジネス物だけでなく、グルメ漫画なども含む)
・スポーツ物


 また、ヤンキー物、ヤクザ物、ギャンブル物をはじめとした、「社会の暗黒面」を描いた物語も、一部の雑誌では好まれる傾向にある。


  一方、少年漫画の世界では主流の1つともいえる「SF」や「ファンタジー」がここに含まれていないことに違和感を覚える方もいるかもしれないが、それらのジャンルは、実は青年コミックの世界ではマイナーな存在だと考えられているのだ。むろん、前述の『チ。』も広義のSFといえなくもないし、他にも、『AKIRA』(大友克洋)、『攻殻機動隊』(士郎正宗)、『ドラゴンヘッド』(望月峯太郎)、『GANTZ』(奥浩哉)、『東京喰種 トーキョーグール』(石田スイ)など、青年コミック誌で連載されたSF・ファンタジー漫画のヒット作、話題作は少なくない。しかし、それらの作品は、やはり「青年コミック」という大きな枠組の中では、「マイナーな領域から生まれた異例のヒット作」なのだと考えた方がいいだろう。


 歴史物・時代物についても同様で(『チ。』はこちらのジャンルにも該当する)、『バガボンド』(井上雄彦)、『キングダム』(原泰久)、『ゴールデンカムイ』(野田サトル)のような爆発的なヒット作があるため見えにくくなっているが、本来は企画会議などでは敬遠されがちなジャンルの1つである。


◼️マイナーな作品が世界を動かす


 もちろん、私はここで「マイナーが悪い」という話をしているのではない。ドゥルーズ=ガタリの「偉大なもの、革命的なものは、ただマイナーなものだけである」という有名な言葉を引くまでもなく、本来、誰もが驚くような「新しい漫画」は、頭の固い大人たちが「王道」だと考えているような領域からは決して生まれようがないのである。むしろ、ある種の起爆剤として、そうした「マイナーではあるが革新的でもある作品」が時おり誌面に現われるからこそ、雑誌は活性化できるのだともいえよう。


 中でも、(くだんの『チ。』の掲載誌でもある)「ビックコミックスピリッツ」は、その種の「新しい漫画」を生み出すことに長けている青年誌だと私は常々考えている。


◼️いかにして『チ。』が生まれる土壌は作られたか


 「ビッグコミックスピリッツ」は、1980年、先行する青年コミック誌である「週刊ヤングジャンプ」(集英社)と「週刊ヤングマガジン」(講談社)の競合誌として創刊された。創刊当初は月刊誌だったが、隔週での発行期間を経て、1986年以降は週刊誌になった。


 歴代のヒット作としては、『めぞん一刻』(高橋留美子)、『軽井沢シンドローム』(たがみよしひさ)、『YAWARA!』(浦沢直樹)、『美味しんぼ』(作・雁屋哲、画・花咲アキラ)、『東京ラブストーリー』、『あすなろ白書』(柴門ふみ)、『ツルモク独身寮』(窪之内英策)、『東京大学物語』(江川達也)、『月下の棋士』(能條純一)、『ギャラリーフェイク』(細野不二彦)、『闇金ウシジマくん』(真鍋昌平)、『あさひなぐ』(こざき亜衣)などがあり、これらのタイトルからは、同誌も基本的には、前述のような“メジャー路線”を狙っている雑誌であるということが伺えるだろう(余談だが、アニメ化ではなく、実写化される作品が多いのも「スピリッツ」の特徴の1つである)。


 しかし、その一方で、以下のようなアヴァンギャルドな作品群が、その時々の漫画界に強烈なインパクトを与えてきたという事実も無視はできまい。


『わたしは真悟』、『14歳』(楳図かずお)、『パパリンコ物語』(江口寿史)、『伝染るんです。』(吉田戦車)、『クマのプー太郎』(中川いさみ)、『サルでも描けるまんが教室』(相原コージ、竹熊健太郎)、『鉄コン筋クリート』、『ピンポン』(松本大洋)、『ぼくんち』(西原理恵子)、『七夕の国』(岩明均)、『団地ともお』(小田扉)、『うずまき』(伊藤潤二)、『8 エイト』(上條淳士)、『最終兵器彼女』(高橋しん)、『ホムンクルス』(山本英夫)、『アイアムアヒーロー』(花沢健吾)、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(浅野いにお)、そして、『チ。』。


 さらにいえば、先ほど“メジャー路線の作品”として名を挙げた『めぞん一刻』の高橋留美子も、『YAWARA!』の浦沢直樹も、本質的には「マイナーな精神を持ったヒットメーカー」なのだと私は思っている(文字数の関係もあるため、ここではこれ以上深堀りはしないが、高橋も浦沢も、80年代のいわゆる「ニューウェーブ」の流れを汲む作家なのだと私は思っている)。


 いずれにせよ、こうした尖った作品の数々は、セオリー通りの企画会議からは絶対に生まれてこない類いのものである(たとえば、『うずまき』の怖さや、松本大洋の絵の凄みを、あなたはマーケティング会議の席で、営業部や宣伝部の人たちに理屈で説明できますか?)。逆にいえばこれは、「ビッグコミックスピリッツ」編集部には、メジャー路線を狙っている「王道」の編集者とは別に、マイナーな(あるいはアヴァンギャルドな)作品の“世界を動かす力”を信じている編集者が何人も存在する、ということの証でもある。


 むろん、その種の編集者は他誌にもいるだろうし、長い年月の間には、徐々に編集部の顔ぶれも入れ替わっていることだろうが、少なくとも、マイノリティが既成概念を覆していく姿(革新性)と、時代を越えた「感動」の継承(普遍性)を描いた『チ。』という物語が、同誌で始まったのは必然の流れだった、ということだけはいえるだろう。


 そう。「ビッグコミックスピリッツ」の「SPIRIT」とは、失敗を恐れず、新たな世界を目指し続ける“開拓精神”に他ならないのである。



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