「破産です。給料は払えません。即時解雇です」
勤めている会社でいつものように働いているとき、急にそんなことを告げられたらと想像していただきたい。
家のローン、子どもの教育費など、頭に描いていた人生設計がガラガラと音を立てて崩れてしまうのではないか。蓄えのない人などは「明日からどうやって食べていけばいいのだ」と目の前が真っ暗になってしまうかもしれない。そんな「サラリーマンの死刑宣告」を実際に告げられてしまった気の毒な人々がいる。
破産手続きに入った老舗AV機器メーカー「船井電機」(大阪府大東市)の約2000人の従業員である。
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10月24日、会社で勤務をしていると午後1時半くらいに社内放送で食堂に集まるように告げられた。そこには弁護士がいて、会社が破産手続きに入ったこと、全員を解雇せざるを得ないこと、翌25日に支給される給料も予定通りに支払われないこと、などの説明を受けたという。
この悲劇的なニュースを受けて、サラリーマンの間ではさまざまな議論が交わされている。中でも一部で盛り上がっているのが、「逃げ遅れ社員にならないためにはどうすべきか」である。
「ネズミは沈む船を見捨てる」のことわざにもあるように、危機管理能力に長けた人はヤバい組織に早々に見切りをつけ、転職していくものだ。のんびりしていると、今回のように給料をもらえなかったり、失業期間が長引いてしまったりと被害が甚大だ。
これからのサラリーマンは自己防衛のためにも、組織の崩壊を素早く察知し、逃げ出すスキルが必要になっていくというのである。
確かに今回の船井電機のケースを見ても、社員が「逃げる」と決断してもおかしくないタイミングが「3つ」ほどあった。そこで異変に気付いて転職したか、気付かずにそのまま在職し続けたかで、社会人としてのキャリアに大きな違いが出てしまっているのも事実だ。
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●船井電機の現実はどうだったのか
このような話を聞くと、「そんなのは後からいくらでもこじつけられる。末端の社員には会社の異変など分かるわけがないだろ」と冷笑する人もいるが、現実はちょっと違う。
『船井電機破産、嵐の一日 解雇された社員「不穏な伏線は夏ごろに」』(朝日新聞 10月26日)で取り上げられている社員のように、少し前から「うちの会社、そろそろヤバいかも」と感じていたカンのいい人はそれなりにいた。気付いていたけれど、多くの人はその不審な動きを、自社の危機に結び付けられなかったのである。
なぜかというと、この不審な動きというものが、多くの社員が関わっている「本業」と関係がないからだ。
既に多くの専門家が指摘しているが、今回の船井電機の破産は「本業」だけが原因ではない。
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報道では、負債総額は2024年3月末時点で約460億円だが、主力の映像機器事業だけでこの負債が生まれたとは考えにくい。
液晶テレビの製造は確かにかつてに比べれば不振に苦しんでいたが、それでも2024年3月期の連結売上高は約851億円(前期比4.1%増)。国内とアジアは低調だったが、北米市場の売り上げが伸びていて、当初の計画よりも上回っていた。
船井電機・ホールディングスの事業報告書(2022年4月1日から2023年3月31日)の中で自社の財務についてこう述べている。
「金融機関との関係は引き続き良好であり、当社グループの当連結会計年度末現在の現金および預金残高は221億96百万円となっております。当連結会計年度において23億63百万円の親会社株主に帰属する当期純利益を計上しており、当連結会計年度末現在の純資産も255億79百万円あり、財務健全性に問題はないものと考えております」
つまり、このタイミングでは財務的に何も問題がなかったが、2023年4月1日以降から「何か」が起きて、船井電機は460億円の負債を抱えたということである。これは例年通りに推移する「液晶テレビ事業」などが原因とは考えにくい。
●なぜ船井電機は倒産に至ってしまったのか
2023年4月以降、船井電機に一体何が起きたのか。細かなところはこれから報道で明らかになっていくだろうが、ネットやSNSでは「ミュゼ転がし」という言葉が注目を集めている。
船井電機・ホールディングスが2023年4月に完全子会社化した脱毛サロンチェーン「ミュゼプラチナム」を舞台装置にした、「資産切り売り」の被害に遭ったのではないかという「説」が唱えられているのだ。
ちなみに、この「ミュゼ転がし」という言葉は、オリンパスの不正会計事件などの調査報道で知られる情報誌『FACTA』が2024年8月21日に報じていた『見るも無惨! どすぐろい勢力に侵食された「船井電機」』という記事から来ている。船井電機破産を受けて再掲されているので興味のある人はお読みいただきたい。
この記事によれば、船井電機・ホールディングスのミュゼプラチナム買収は初めからおかしなことばかりだという。買収の4カ月前となる2022年12月、船井電機が所有する本社ビルに「ミュゼプラチナシステムズ」という横浜市内の合同会社を債務者として、横浜幸銀信用組合が39億6000万円の根抵当権を設定していた。
しかも、奇妙なことに船井電機は2024年3月にミュゼプラチナムを売却しているのだが、このわずか1年の間に、ミュゼプラチナムのせいで株式を仮差し押さえられてしまうのである。
実はミュゼプラチナムはネット広告の請求に対して、アフィリエイト広告の未払いが約22億円もあった。しかし、いくら請求してもミュゼプラチナムが払わないので、連帯保証を付けていた親会社の船井電機に請求された。これを支払わず、東京地裁に株式の仮差押えが認められたのである。
●社員向け「破産説明会」で語られたこと
おかしなことはまだ続く。船井電機に経営放棄されたミュゼプラチナムは、先ほど登場した「ミュゼプラチナシステムズ合同会社」を経て、「MIT」と社名変更するなど複雑な動きを見せている。報道によると、周辺にはクーポン販売事業者や貸金業者など、脱毛エステとは関係のないプレーヤーたちの姿が見られるという。
このような不可解な状況を見ていると、確かに『FACTA』が指摘するように、何者かがミュゼプラチナムを用いて船井電機の資産を「侵食」しているように見えなくもない。気になるのは、船井電機幹部も侵食が事実であると認めるかのような発言をしていることだ。
社員向けの破産説明会で、幹部がこう述べたという。
「いろんな人が会社のお金を抜く行為も起こっていた。それは止めるべきで、伝統ある会社をぐちゃぐちゃなまま閉めてはいけない」(朝日新聞 10月26日)
この言葉からも分かるように、船井電機破産は「本業」が傾いていたこともあるが、トドメを刺したのは「外部への資産流出」である可能性が高い。東京商工リサーチの「TSR情報全国版」(2024年10月30日号)でも、ミュゼプラチナムへの資金支援などによる多額の資金流出も大きかったようだ、という分析を掲載している。
では、現場で働く社員たちに、会社がそのようなおかしな道に進んでいることを察知して「逃げる」決断をすることは可能だったのか。
いろいろな意見があるだろうが、船井電機社員の場合、以下の3つの決断ポイントがあった。
(1)2023年4月、ミュゼプラチナム完全子会社化
(2)2024年3月、ミュゼプラチナム売却
(3)2024年8月、『FACTA』報道
まず、(1)は「ミュゼ転がし」が注目されたから言っているわけではない。買収当時から不審なにおいがプンプン漂っていた。
●「なんかやばい」と思うタイミング
ミュゼプラチナムを完全子会社化した際、船井電機・ホールディングスは「船井電機は主力のテレビ事業以外に美容機器を製造販売しているから」と説明した。ミュゼプラチナムを買収できれば、家庭用脱毛機器や美顔器など新商品を共同開発することで「シナジー効果」が得られるというのだ。
そう聞くと、「全然おかしいことはないじゃないか」と思うだろうが、船井電機の社員ならばなんとも釈然としないはずだ。船井電機が扱う美容機器は2019年に開発した「ネイルアートプリンター」で、同社が得意とするプリンターの技術を応用したものだ。
一方、ミュゼプラチナムはご存じのように「脱毛サロン」なので、ネイルは関係ない。サロンで用いられているのは光美容器、美顔器、EMS美容ブラシだ。
つまり、船井電機の社員たちは、これまで長い歴史で培ってきた得意分野とは全く関係のない分野で、ゼロから脱毛器や美顔器を開発していかなければいけない。シナジー効果というにはかなり乱暴というか、「美容」というあまりにも大きなくくりで強引にこじつけて「シナジー」と苦しい言い訳をしているような印象を受ける。
カンのいい社員だったら、「なんかヤバいことを始めたな」と不審に思うはずだ。経営が迷走する前に見切りをつけて、さっさと転職しようと考え、行動に出た人もいたのではないか。
仮にこの時に気付かなくても(2)のミュゼプラチナム売却タイミングになれば、「これはさすがにおかしなことが進んでいるな」と感じるはずだ。
シナジー効果を掲げて完全子会社化したものを、わずか1年で手放すのは、おおよそまともな会社がやることではない。
もちろん、M&Aした会社を短期間で手放してキャピタルゲインを得るという目的もなくはないが、1年前には「美容業界でシナジー効果」「次の成長の柱にする」と経営陣が胸を張っていたのだ。
それが舌の根も乾かないうちに手放せば、社員からすれば「ミュゼプラチナムを買ったのは失敗だったんじゃない?」と思うのが自然だろう。
その可能性に気付いた社員の中には、ミュゼプラチナムについてオフィシャルに語られていること以外のことを調べる人もいるかもしれない。
●過去に経営破綻していたミュゼプラチナム
例えば、もともとミュゼプラチナムはかつて『Foresight』(フォーサイト、新潮社)という情報誌で医師法違反疑惑や前受金商法の問題点や経営危機が指摘され、実際にその後、経営破綻している。
さらに、2016年には広告事業やシステム開発を手掛ける「RVH」(東京都港区)が「株式交換」という形でキャッシュを使わない形で完全子会社化。しかし、2020年には売上高や契約獲得が鈍化しているとして、「たかの友梨ビューティクリニック」創業者として知られる高野友梨社長が経営する「G.Pホールディング」に21億円で譲渡された。
ちなみに脱毛サロン業界は厳しく、2023年12月には「銀座カラー」も運営会社が倒産。返金を求める人が殺到するなど、消費者トラブルが絶えないことでも知られている。
このようにさまざまな問題が指摘され、経営権も転々としてきたミュゼプラチナムが、明らかに不自然な形で子会社になって、わずか1年でこれまたよく分からない経緯で離れたのである。「うちの会社、何かヤバいことに巻き込まれたんじゃないの?」と心配した人もかなりいたはずだ。
そして、この段階でもまだ何も危機感を抱いていなかった人でも、(3)の「2024年8月、『FACTA』報道」はさすがに事の深刻さを痛感したはずだ。
船井電機は2024年3月から4月にかけて取締役9人のうち3人が途中辞任して、2023年6月に会長に就任したパナソニック出身の柴田雅久氏も代表権が外れてしまった。そして5月7日付、外部から一挙5人が取締役に加わった。本業とはあまり関係のない貸金業関係者などである。
この時点では一般社員は「なんか知らない人が役員になったな」くらいに思っていたかもしれないが、8月21日に発行された『FACTA』を読んで青ざめたはずだ。
先ほども紹介したように、ここに掲載された記事では「ミュゼ転がし」による資産切り売りの経緯や、新たに加わった役員もそこに関与したのではないかという疑惑が指摘されていたからだ。
経営に興味のない一般社員であっても、さすがに「うちの会社で何かヤバいことが進行している」と察知したのではないか。
●今回の「悲劇」から学ぶべきこと
ただ、この時点で「逃げよう」と思っても時既に遅しかもしれない。人によってそれぞれだが、転職エージェントなどを活用しても、転職活動を始めてから内定を得るまでは平均で2〜3カ月といわれる。
つまり、『FACTA』を読んで転職を決意した船井電機社員の多くは、10月24日に会社に「即時解雇」を言い渡されてしまった可能性が高いのだ。
今回の「悲劇」からビジネスパーソンが学ぶべきは、自分の勤める会社の危なさを見極めるポイントは「本業」だけではないということだ。
特に船井電機のように既存のビジネスモデルが斜陽となってきた場合、どうしても新たな成長エンジンを見つけようと、M&Aや業務提携で異業種進出などをチャレンジする。もちろん、それ自体は悪いことではないが、そういう時に近づいてくる者たちが「善意の人」とは限らない。
特に「M&A」に関しては「事業再生」を掲げて入り込んで、言葉巧みに優良資産を手に入れたり、カネを巻き上げたりするという被害も報告されている。
自分の業務以外にはなかなか関心が持てないだろうが、「逃げ遅れ社員」にならないためには、自分の会社が「ヤバいM&A」をしていないのか、目を光らせておいたほうが良さそうだ。
(窪田順生)
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