本稿が掲載されてから間もない2024年11月5日、第47代アメリカ合衆国大統領選挙が行われようとしている。当初、現職の第46代大統領ジョー・バイデンと前職の第45代大統領ドナルド・トランプの対決では後者が有利と思われていたが、バイデンの代わりに副大統領カマラ・ハリスが民主党の候補となったことによって先が読めなくなった。アメリカという世界最強国家の分断状態を象徴するのみならず、国際情勢にも途轍もなく大きな影響を与える選挙だけあって、世界中が結果を固唾をのんで見守っている状態だ。
さて、ミステリ小説の世界にも合衆国大統領はしばしば登場するけれども、実在の元大統領と元副大統領が探偵役を務める作品があることをご存じだろうか。アンドリュー・シェーファー『ホープ・ネバー・ダイ』(加藤輝美訳、小学館文庫)は、第44代大統領バラク・オバマと、彼の政権で副大統領だったジョー・バイデンがバディとして活躍する小説である。副大統領を引退後、誰からも忘れられて地味な隠遁生活を送っているバイデンは、大統領を引退しても引っぱりだこの人気者なのに自分には手紙一つよこさないオバマに対し嫉妬と不満を覚えていた。ところが、そんなバイデンの前にオバマがいきなり姿を現す。バイデンの親友だった車掌が謎の死を遂げたというのだ。彼の死には裏があると疑ったバイデンは、オバマとともにその謎を探ることになった。
ミステリとしてはシンプルな筋書きだが、颯爽たるヒーローぶりを見せるオバマと、彼の破天荒さに振り回されながらもついて行くお人好しのバイデンのコンビに、アーサー・コナン・ドイルの小説に登場するシャーロック・ホームズとジョン・ワトソンのイメージが重ねられていることは明らかだ。両者のコミカルな掛け合いが本作の最大の読みどころだろう。
架空の大統領が登場する作品は数多いが、その中でも忘れ難い印象を残すのが、ビル・プロンジーニ&バリー・N・マルツバーグの『裁くのは誰か』(高木直二訳、創元推理文庫)である。任期終盤で支持率急落という危機を迎えた大統領ニコラス・オーガスティンを取り巻く人間の中に、反対陣営に寝返った者と、その裏切り者の抹殺を図る「われわれ」と称する者がいるらしい。やがて、大統領の周囲で連続殺人事件が起こる……という内容だが、解説でミステリ研究家の小山正が「髪を振り乱して怒り心頭となり本を投げつけるか、感極まって神棚に供えるか」と記していることや、復刊された時の帯で作家の森博嗣が「これを読んだときは『ぎりぎりだ!』と思った。今でも、これがミステリィの最先端だろう。」と述べていることから窺える通り、結末は掟破りにして驚天動地そのものである。現在は品切れ状態だが、読後に頭が真っ白になるほど茫然としたい方は古書店で探してほしい。
日本の総理大臣経験者がミステリ小説を書いた例は寡聞にして知らないが、アメリカの場合、実際にミステリ小説の創作に関わった大統領がいる。第16代大統領アブラハム・リンカーンが実話をもとに執筆した短篇小説「トレーラー殺人事件の謎」(野崎孝訳)は、丸谷才一・編『探偵たちよスパイたちよ』(文春文庫)に収録されている。第32大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトが考えた問題篇に対し、S・S・ヴァン・ダイン、E・S・ガードナーらがリレー形式で執筆して解決篇を与えた『大統領のミステリ』(大社淑子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)という例もある。
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近年の作品では、マイクル・コナリーを愛読するなどのミステリファンでもあった第42代大統領ビル・クリントンが、ベストセラー作家のジェイムズ・パタースンと合作で執筆した長篇『大統領失踪』(越前敏弥・久野郁子訳、ハヤカワ文庫NV)がある。
国際的テロ組織と裏取引したという疑惑をかけられている大統領ジョナサン・リンカーン・ダンカンは、謎の女からテロ計画について知る人物と極秘で会ってほしいと要求される。容易ならぬ事態と判断したダンカンは、一部の側近にのみ事情を説明し、持病を抱えた身でありながら密かにホワイトハウスを脱出する。
構想にどのくらいクリントン本人が関わったのかは不明だが、トム・クランシー風のサイバーテロの描写、短い時間内に目まぐるしく二転三転するダン・ブラウンばりの展開……と、極めて盛り沢山なポリティカル・サスペンスに仕上がっている。ホワイトハウス内の複雑な政治力学や、大統領の重責に伴う孤独の描写は、大統領経験者ならではのリアリティを感じさせる。その意味では究極の「お仕事小説」と言えるだろう。
さて、そのビル・クリントンの妻で、2016年にドナルド・トランプと大統領の座を争って破れたのが、オバマ政権で国務長官を務めたヒラリー・ロダム・クリントンである。『ステイト・オブ・テラー』(吉野弘人訳、小学館文庫)は、その彼女が、『スリー・パインズ村の不思議な事件』などで知られる作家ルイーズ・ペニーと合作で発表した小説である。夫の『大統領失踪』に対抗意識を燃やしたのかどうかは不明だが、それぞれ大統領と国務長官の経験者である夫と妻が、ともにプロ作家との合作でミステリ小説を発表したというのは驚くべきことである。
『ステイト・オブ・テラー』の主人公は、新大統領のウィリアムズから国務長官に指名されたエレン・アダムス。敵対関係にあったウィリアムズからの指名には何か裏の意図が隠されていそうである。そんな折り、ロンドンを皮切りにヨーロッパ各地で爆破テロが起こったが、その裏には更なる巨大な陰謀が……。
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ジェットコースター的展開のポリティカル・サスペンス(フーダニットの要素もある)である点は、夫のビルが関わった『大統領失踪』と同様ながら(トランプ政権への反感が滲み出ている点も共通する)、主人公が外交を担当する国務長官だけあって、敵対国も含む海外の要人たちと颯爽と駆け引きを繰り広げるシーンが多い点は、実際に国際外交の修羅場を知るヒラリーらしさを感じさせる。
『大統領失踪』にせよ『ステイト・オブ・テラー』にせよ、主人公の大統領や国務長官は、政治家として有能であるのみならず、ハリウッド映画の主人公めいた勇敢さを具えた人物として描かれている。そこには、トランプ大統領が恣意的な政治で国内外を混乱に陥れている現状(執筆当時)への不満や憤りから、本来あるべき政治家とはどのような存在かを示す理想像を掲げたかった——という志が読み取れると同時に、そんなキャラクターに自己投影したビルやヒラリーのある種のナルシシズムも感じる。それくらいナルシシズムも強くなければ、合衆国大統領という責任重大で敵が多い職務は務まらないのかも知れない。
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