「あずきバー」で知られる老舗菓子メーカー、井村屋グループ(三重県津市)。創業127年の歴史を持つ同社は今、大胆な変革に挑んでいる。紙と印鑑の文化が根強く残る中、SaaSを積極的に導入し、デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進。その先進的な取り組みが注目を集めている。
「コロナ禍の前からWeb会議システムを導入していました」。同社デジタル戦略室室長の岡田孝平氏は、にこやかに語る。2018年から始まった同社のDX戦略は、コロナ禍での迅速な対応を可能にし、業務効率化と働き方改革を大きく前進させた。伝統の味を守りながら、最新のテクノロジーを駆使する。その意外な組み合わせが、井村屋グループの新たな強みとなっている。
どのようなSaaSを活用し、変革につなげていったのか。一筋縄で進められたわけではないというが、社内の抵抗にはいかにして対応していったのか。
●老舗企業が「新たな強み」を生み出せた3つの改革
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井村屋グループは1896年に創業。主力製品の「あずきバー」をはじめ、羊羹(かん)や肉まんなど、多彩な商品を展開している。国内の事業拠点に加え、中国、米国、マレーシアにも事業を展開する、グローバル企業でもある。
そんな老舗企業が、なぜDXに舵を切ったのか。岡田氏は「2020年に経営トップからDXに取り組むという発信があり、プロジェクトが組まれました」と説明する。しかし、その布石は2年前にすでに打たれていた。「2018年に生産性向上プロジェクトが立ち上がり、そこからさまざまなSaaSの導入が始まったんです」
井村屋グループのDX戦略は、単なる業務のデジタル化にとどまらない。岡田氏は「何か新しいものはないか、生産性を上げるような仕組み、ツールはないかと絶えず探していました」と話す。
井村屋グループのDX戦略の中核をなすのが、SaaSの積極的な導入と、それに伴う業務プロセスの改革だ。経費精算システムの刷新、ファイルサーバのクラウド化、そして法人カードの導入という3つの施策が、同社の働き方を大きく変えた。
まず、経費精算システムの改革から見てみよう。
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「以前は紙ベースで経費精算を行っていました」と岡田氏は振り返る。出張の内容や交通費をシステムに入力し、それを紙に出力。さらに領収書を貼付け、上司の承認印をもらう必要があった。「経理部門で現金を用意し、封筒に入れて各部署に配布」という非効率的なプロセスだった。
この旧来のシステムを刷新するため、同社が選んだのがラクスのクラウド型経費精算システム「楽楽精算」だ。「今では、スマートフォンで領収書を撮影し、データをアップロードするだけです。承認もオンラインで行われます」と岡田氏は説明する。導入の結果、処理時間の大幅な短縮とペーパーレス化を実現。さらに、現金の取り扱いも最小限に抑えられるようになった。
次に、ファイルサーバのクラウド化にも着手した。
「以前はオンプレミスのファイルサーバを使用していましたが、クラウドストレージの『Box』に移行しました」。この移行により、場所を選ばずにファイルにアクセスできるようになり、テレワークの実施にも大きく貢献した。さらに「東南海地震などの災害リスクに備え、重要なデータをクラウド上に保管することで、事業継続性の向上にもつながりました」と、副次的な効果も強調する。
そして、これらの取り組みを補完するのが、JCBと提携した法人カードの導入だ。「完全なキャッシュレス化を目指し、JCBと提携して年会費無料のビジネスカードを導入しました」
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この法人カードは、経費の立て替えや、新幹線のEXカードとの連携にも活用されている。出張時の利便性が大幅に向上したという。
これらのSaaS導入と業務改革は、井村屋グループの働き方を根本から変えた。「紙の文化」から脱却し、デジタルを前提とした効率的な業務プロセスへの移行が着実に進んでいる。しかし、こうした大規模な変革には必ず課題がつきものだ。社内の抵抗をどのように克服したのだろうか。
●DX戦略の特別部隊
井村屋グループがDX推進で直面した課題を乗り越えられた秘訣は、現場を巻き込んだ大規模なプロジェクト体制にあった。
DX戦略プロジェクトには、約40人のメンバーが参加している。この規模は、同社の従業員数からすると決して小さくない。「生産現場、営業部隊、管理部門など、各部署から人が集まっています」
プロジェクトの特徴は、その多様性と階層横断的な構成だ。「当初は管理職が中心でしたが、今は実務担当者レベルの人も多く参加してもらっています」。このアプローチにより、現場の生の声をDX戦略に反映させことが可能になった。ここで出された意見は、具体的なSaaS選定や導入計画に反映される。「現場の声を聞くことで、導入後の抵抗を最小限に抑えることができました」
しかし、全ての変革がスムーズだったわけではない。「特に、長年続いてきた業務慣行を変えるのは難しかった」と岡田氏は率直に語る。例えば、経費精算のキャッシュレス化に対しては、「仮払金がなくなると困る」「個人の立替精算に抵抗がある」といった声が上がった。
これらの課題に対し、粘り強く対応した。プロジェクトメンバーが各部署に戻り、変革の必要性を地道に説明した。また、新しいシステムの使い方講習会を頻繁に開催し、社員の不安解消に努めた。
プロジェクトでは、導入後のフォローアップも重視している。「定期的に利用状況を確認し、必要に応じて改善策を講じています」。この継続的な改善の姿勢が、DXの効果を最大化している。
●通信インフラ刷新で「従業員のエンゲージメント向上」も狙う
井村屋グループのDX戦略の中で、特筆すべきは通信インフラの刷新だ。同社は、多くの企業に先駆けてZoomを導入し、さらに現在はZoom Phoneへの全面移行を進めている。
同社はコロナ禍前の2018年からZoomの利用を開始していた。その背景には、地方拠点とのコミュニケーション効率化があった。「例えば東北の営業所だと、仙台から秋田や青森まで出張するのに相当な時間がかかります。営業活動の一部をWeb会議に代替できないかと考えたんです」
この先見の明が、コロナ禍での迅速な対応を可能にした。「環境がある程度整っていたので、在宅勤務への移行もスムーズでした」と岡田氏は振り返る。
さらに同社は、通信インフラの刷新を一歩進め、Zoom Phoneの全社導入を決断した。「電話もZoomに移行しました。クラウドPBXと呼ばれるものです」。固定電話をなくし、PCやスマートフォンで内線通話ができる環境を整えたのだ。
「海外拠点も含めて、どこからでも内線通話が可能になりました。コミュニケーションが格段に円滑になりましたね」と岡田氏は評価する。この変革は、働き方の柔軟性を大きく向上させた。
さらに、同社はグループウェアもZoomに統合する計画だ。「メール、チャット、電話、Web会議、それからポータルみたいなものも含めて、来年早々にはもうZoomに切り替わります」と展望を語る。
これらの取り組みは、単なる業務効率化にとどまらない。「従業員のエンゲージメント向上も狙っています」。新しいポータルでは、FacebookのようなSNS的要素を取り入れ、社内のコミュニケーションを活性化させる計画だ。
創業127年の老舗企業が、最新のテクノロジーを駆使してDXを推進する。その姿は、日本企業のDXの一つのモデルケースと言えるだろう。
「経営層、経営トップが、このデジタルを導入して生産性を上げる、変革していこうということに関して、非常に前向きです」。岡田氏のこの言葉が、同社のDX成功の核心を表している。トップのコミットメントと現場の声の融合が、デジタル時代における日本企業の進むべき道を示しているのかもしれない。井村屋グループの挑戦は、伝統産業とデジタル革新の両立という、日本企業が直面する課題への一つの解答を提示している。
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