2005年度の全国高校サッカー選手権で優勝した滋賀県の野洲高校。だが、2017年以降全国の舞台を踏めず、今年も県予選で敗れてしまった。私学の台頭、選手の県外流出のなか「もう一度全国へ」と奮闘する姿を追った。
【2017年から全国へ行けていない】
今から遡ることおよそ20年。2005年度の全国高校サッカー選手権大会で滋賀県勢初の日本一に輝いたのは野洲高校だった。"セクシーフットボール"と称されたショートパスとドリブル主体のサッカーは、多くの人を魅了。当時、2年生だった乾貴士(清水エスパルス)を筆頭に多くのJリーガーも誕生した。
優勝以降も全国屈指の強豪として選手権の出場回数を10回まで伸ばしたが、2017年以降は県予選を一度も制することができていない。夏のインターハイも同じで、2014年以降は全国の舞台から遠ざかっている。
今年の選手権予選も県内のライバルである草津東高校に敗れ、3回戦で姿を消した。全盛期は負けたことが大きくニュースとして取り上げられていたが、負けが続く今は注目度が以前とは比べ物にならない。
勝てなくなった原因は多岐に渡る。一時代を築き上げる原動力だった岩谷篤人ヘッドコーチが2012年を最後に退任。山本佳司監督(現甲南高校教諭)も総監督を経て、人事異動によって2019年度限りでチームを離れた。世間の注目度が高いチームを引き継ぐ後任は決して楽ではない。強烈なカラーを持ったチームだけに、スタイルを受け継ぐことは簡単ではないし、自らのカラーを出すのも難しい。
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【選手が集まらない】
時代の変化もあるだろう。野洲の全盛期はサッカーに力を入れる私立学校が少なかったが、昨今は昨年度の選手権で全国準優勝を果たした近江高校や、立命館大学の付属校である立命館守山高校などが力をつけ、滋賀県にも私学の波が押し寄せている。
同時に県外志向の中学生が増えている実情もある。「滋賀の子どもは『県外で勝負する』『寮生活』といった言葉に魅力を感じている」と話すのは、近江高校の前田高孝監督で、この夏近江が行なった練習会には準優勝効果もあり、400人近い選手が参加したが、その多くは県外の選手で滋賀県の選手は少なかったという。今年の選手権出場を決めた同じ公立の草津東高校も同じで、体育科があっても有力選手に選ばれにくくなっている。
滋賀県の公立高校は、12月以降しか中学生に正式な声掛けができないルールもあるため、早くからスポーツ推薦で声をかけてくれる県外の私学に選手が流れていく。現在は最新の人工芝グラウンドに、綺麗なクラブハウスや寮を兼ね備えた私学も増えており、中学生の目が県外に向くのも当たり前かもしれない。
野洲高校の場合は、2006年にできた人工芝グラウンドを今なお使っており、張り替えの予定もない。長年の使用によって地面が硬くなり、穴が空いている箇所もある。現在も普段の練習では使用しているが、相手チームに迷惑がかかるためなるべく試合での使用は控えているという。今回の選手権予選前は近くにある公共のグラウンドにバスで移動し、大会への準備を進めてきた。
急激に進む少子化のあおりも受け、4年ほど前から定員割れも続いている。今の高校3年生は4クラスで定員が160人だが、入学したのは130人。入学者が減少すれば、自ずとサッカー部の門を叩く選手も減り、今年の1年生は9人しか入部しなかった。とりまく環境は年々厳しさを増している。
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【スタイルを変えるつもりはない】
2022年から野洲の指揮を執るのはOBの横江諒監督。選手権優勝を果たした翌年に入学しており、就任前は県内の別の公立高校でサッカー部の指導に当たっていた人物だ。
「周りの人たちからは『今は行くな』『今行ったらしんどい』とたくさん言われましたが、飛び込むしかないと思った。母校でやりたくて教員になったし、チャンスを後回しにしたら、その時には野洲高校がなくなっているかもしれないと思った」(横江監督)
横江監督は野洲の日本一に憧れ、当初予定した進路を急きょ変えて野洲に入学した。優勝直後は県外から来た選手を含め、野洲のスタイルに憧れ、第一志望として選ぶ選手が多かったが、今は少なくなっている。
昔は、練習が終わって照明が消えるまで自主練するのが当たり前だったが、そうした光景も過去のものになっているという。中学時代に名を馳せた選手も少なく、経験してきた試合数が当時とは違う。試合経験の有無は自信にも繋がっており、今年の選手権予選を終えて、横江監督はこんな言葉を口にしていた。
「普段なら寄せられても慌てないところで、今日はバタバタしていた。パスを出そうとしても『奪われたらどうしよう』という気持ちが先に来て、判断が遅れた結果、相手にボールが引っ掛かっていた。勝ち上がっていく経験のなさを感じます。それに昔の選手なら『草津東がナンボのもんや』という気概で、肝が据わっていた。自分自身が野洲にいた分、そこでの差は感じる。今いる選手も技術は高いので、もっと自信を持ってプレーしてほしい」
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結果を出せば、悪い流れは変わるかもしれない。実際、横江監督は先輩指導者から勝つためにスタイルを見直すようアドバイスされることもあるが、これまで積み上げてきたスタイルを変えるつもりはない。
「結果を出すために野洲のスタイルを捨てるべきか葛藤はあるのですが、やっぱりそこは捨てきれない。自分のプライドなのかもしれません」(横江監督)
今年の選手権予選では縦に速いカウンタースタイルで白星を手にしたが、長いボールを多用するとフィジカルで負けてしまうため、得策ではない事情もある。
【地元のお兄ちゃんの受け皿になれるか】
古豪と言われてもおかしくない状況まで追い込まれているが、何もせずに指をくわえているわけではない。ゴールキーパー出身の横江監督が自分にできることは何かないかと考え、手始めに1年前からスタートさせたのが小中学生を対称としたGKスクールだ。
専門の指導者がいなくて困っているチームが多い指導現場を助けるため、そして野洲のグラウンドでプレーすることでチームを身近に知ってもらいたいとの狙いがあるという。
日本一から20年近い歳月がたち、現役だった選手たちが指導者になるケースも増えている。「母校なのでうまくあってほしいし、強くあってほしい」と話すのは、名古屋グランパスなどでプレーした望月嶺臣だ。現在は自らが立ち上げたLUA FCというチームで中学生を指導。今年の選手権でも母校を応援するため、試合会場に足を運んでいた。
彼だけでなく、テクニックと判断を重視した野洲イズムを選手に叩き込む指導者は少なくない。セゾンFCで主軸だった選手の多くが野洲へ進み、全国優勝した時と同じように、現在の野洲が選手の受け皿になることができれば、明るい兆しは見えてくるだろう。「山本先生と岩谷さんが蒔いてくださった種はあって、みんなが何とか野洲を大事にしたいと思ってくれているのはありがたい限り」(横江監督)。
横江監督はこう口にする。「まずはもう1回全国に行きたい。地元のお兄ちゃんが野洲高校に行って、全国の舞台や国立で活躍している姿が僕の中では強烈だった。公立高校は身近な人がヒーローになれるのがよさだと思っている。それにフィジカル全盛の時代で、選手がアスリート化しているなかだからこそ意地を見せたい。古い考え方かもしれませんが、サッカーはそれだけではないと示したい」。
セクシーフットボールの鮮烈な印象は、今なお多くの人に残っている。脈々と積み上げてきた歴史を絶やさないためにも、このまま終わるわけにはいかない。