親が考える子どもとの距離感は人それぞれだが、過度な執着は「毒親」とみなされることもある。投稿を寄せた20代後半の女性は、母親との間の壮絶な出来事を振り返った。
絵が好きだったという女性は特殊メイクを学ぶためメイクの専門学校に行きたかったというが、「そんな金はうちにない」と言われ高卒で就職した。「まぁ、そりゃそうかと思っていました」と諦めを語る。
20歳頃には給料のほとんどを家に入れる生活が辛くなり、「3日間くらい家出」をしたという。すると母親は、
「18まで育ててやったのに親を見捨てるのか!親不孝者!」
「36までは家を出るな!当たり前だろ!」
と罵声を浴びせてきた。(文:湊真智人)
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「母親が怒らないように、顔色を伺う子供でした」
中学生の頃に両親が別居して以来、父親とはほぼ会っていないという女性。5つ下の妹は病気持ちで、母親は妹につきっきりの状態だった。
「ボロアパートに住んでいたので、自分の部屋もなく、逃げ道がなく、ヒステリックになった母親や妹から『出ていけ!』と叫ばれ、アパートの廊下で寝たこともありました」
と、当時を振り返る。家族のストレスの矛先が全て自分に向いていたのだ。
女性は他人にこの話をした際に「しつけで外に出すってあるからね」と返されたことがあるという。実態は虐待でしかないが、同情もされなかったことで
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「わたしは、悪い子なのでしょうか?」
と葛藤する。「母親が怒らないように、顔色を伺う子供でした」と次のように回想した。
「母親は、神経質なので他の人にキッチンに立たれるのが嫌だったり、他の人が作ったご飯が食べれなかったりします。 なので、家事はおろか、洗濯も出来ませんでした」
母親は家事する機会を娘から奪っていたのだ。にもかかわらず母親からは、「あなたは何もしない」「家事もできない」と大人になってからも責められ続けたという。理不尽な目に遭いながらも、女性に気持ちのはけ口はなかった。
「ある日、涙が止まらなくなりました」 家出の決意をした女性
母親が頼れるのも長女しかいなかったのだろう。女性にすべてを依存していたようだ。
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「母親は自己破産したので、それの付き添いもしました。新しい家も、わたしが契約しました。ある日、涙が止まらなくなりました」
自分の人生をふと冷静に考えたのだろうか、ついに精神的に追い詰められ「仕事を辞めてゆっくりしていた」という。だが、母親は娘の気持ちなど意に介さなかった。
「そんなの、母親が許すわけありませんでした。本当に辛かったのに、『ふざけてるのか』『生活はどうするんだ』と、詰められました。退職金は月収3か月分あったのに」
とりあえずの生活資金はあったものの、母親は納得しなかったようだ。これを機に母親の元を離れる決心を固めた女性。これが1年前の話だといい、最後に現在の様子を語った。
「今では2度目の家出をして、安心して一人で静かに暮らしています」
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