世界陸上35km競歩連続メダル(22年オレゴン銀、23年ブダペスト銅)の川野将虎(26、旭化成)が、同種目の世界新をマークした。10月27日に山形県高畠市で行われた日本選手権35km競歩兼全日本競歩高畠で、川野は2時間21分47秒で優勝。日本の競歩は男子20km競歩(1時間16分36秒)の鈴木雄介(36)に続き、五輪&世界陸上実施の競歩2種目で世界記録を保持することになった。
川野は世界記録について「これまでの取り組みが間違っていなかったことを、記録として証明できました」とコメント。だが代表に決まった来年の東京世界陸上に向けて、「これがスタートラインです」と気を引き締める。
高畠の数日後に酒井瑞穂コーチにも加わっていただき、レース内容についてインタビューした。
――28kmでスパートして勝負を決めましたが、残り7km地点と決めていたのですか?
川野:国際大会で分岐点となることが多いのがラスト7kmあたりで、そこから勝負していくことがメダルを狙って行くためのレースパターンといえると思います。自分もラスト7kmとか、30km手前でスパートして勝負を決めたいと思っていました。パリ五輪を終えてからその準備をしてきました。
――ラスト7km地点より前に、苦しくなった場面はなかったのですか?
川野:予想以上のハイペースで途中苦しい場面もありましたが、それも想定内でした。(6kmから12kmまで)1km4分を切るハイペースになりましたが、そういう展開になることも事前に瑞穂コーチと相談してレースプランも立てていました。世界記録を出せるくらいの準備をしていかないと代表権はつかめないんじゃないかと、瑞穂コーチから言われていましたから。余力があるからスパートをする、のではなく、苦しい中でもスパートする。ここで引き離すんだ、という強い気持ちを持って迷いなく行きました。来年の東京世界陸上のラスト5kmをイメージしながら歩いていました。
――残り7kmの28kmから29kmが3分52秒でした。その前の1kmが4分09秒です。ここまで大きいペースアップをしたことは過去にありますか?
川野:20km競歩では3分40秒台に上げたことがありますが、35km競歩、50km競歩で疲労が大きい中、勝負を決める場面では初めてだと思います。19年に今回と同じ高畠で50km競歩の日本記録(3時間36分45秒)を出した時に、15km以降で(4分04秒に)約10秒上げて、それを2回続けて集団を引き離したことがありましたが。
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酒井瑞穂コーチ:19年高畠のときは世界記録が1km平均4分15秒だったので、そのタイムより10秒上げることに挑戦してみました。今回もV.カナイキン(ロシア)の世界最高タイム(非公認で2時間21分31秒)は4分02秒がアベレージなので、3分52秒に上げることを目安にしていたのです。そのくらい上げないと世界陸上の代表権も取れないと考えて、科学的なサポートも受けながら10秒のペースアップが楽にできる準備にこれまでずっと取り組んできました。
川野:パリ五輪の男女混合競歩リレー(岡田久美子=33、富士通=とペアで8位入賞)では、男子は約11kmを2本歩きましたが、そのとき10kmを38分ヒト桁で歩くことができました。パリ五輪に向けてのスピード強化の過程で、35kmの世界記録に対するスピードの余裕度が予想以上につきましたね。高畠ではレース中盤でかなり強い揺さぶりもありましたが、そこでも対応できました。歩型(※)に対して注意は出てしまいましたが、警告はありませんでした。そこも来年の世界陸上につながると思います。
(※)競歩は審判が歩型を判定し、規程の歩型(両足が同時に地面から離れてはならない。また、踏み出した脚が地面についてから垂直になるまで、その脚は曲げてはならない)で歩いていない選手には注意(イエローパドル)が出る。注意されても直らない選手には警告(レッドカード)が出される。3人の審判から警告が出るとペナルティーゾーンで待機(20km競歩は2分、35km競歩は3分30秒)を命じられる。ペナルティーゾーンを出てさらに1枚警告が出ると失格になる。注意や警告が出されると思い切った歩きができなくなるなど、勝負に影響することもある。
レース3日前にシューズを変更した経緯――3分52秒、3分57秒、4分00秒とハイペースを刻んだ後、フィニッシュまでの4kmは、4分04〜06秒でした。世界記録ペースを維持しようとしていたわけですか?
川野:本来であれば最後の5kmも4分を切るペースで行かなければ、世界陸上でメダルを狙って行く勝負はできません。そこは世界陸上に向けての課題と思っています。最後1kmはさらに、3分40秒を切るようなスピードに上げることができたら、世界の強豪選手にも勝てる実力がついたとことになります。
――3分50秒を切るではなく、3分40秒を切る?
川野:それだけのスピードを最後に出せるくらいの力が必要だと思っています。
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――スパートするまでは、ロスをしない効率的な歩きができていたのでしょうか?
川野:そうですね。ルールに沿った動きで、終盤まで大きく動いて推進力をしっかり出すことも高畠のテーマにしていました。シューズとも関係してくる部分ですが、4月に行われた世界競歩チーム選手権では、カーボンの入った厚底に近いシューズを履いていました。スピードは出やすく、楽に歩けるシューズではあるのですが、疲れてくるとハムストリング(大腿裏)や殿部など大きな筋肉を使って歩けなくなります。それまでの準備の過程では、そこを解消することができませんでした。
酒井コーチ:東京世界陸上はラスト5kmを、(1km毎)3分台で歩かないとメダルは厳しいと考えています。22年の世界陸上オレゴンも、23年世界陸上ブダペストも後半勝負でした。オレゴン金メダルのマッシモ・スタノ選手(32、イタリア)は、最後は3分40秒台とすごいスピードに上げて、川野は1秒差で銀メダルでした。それを考えたとき、川野にとってカーボンを入れた厚底に近いシューズは、スパートする余力を残す点でまだ難しいと思います。少し厚めの中厚底にしていただいたカーボンなしで、ソールに地面にかかるグリップが付いているシューズに一度戻しました。決めたのは高畠の3日前でした。
川野:今まで国際大会でメダルを取ってきたシューズに履き替えて、本当に競歩らしい動きをしようと考えました。踵から接地して支持脚に体重を乗せて。そういう動きをイメージして歩きました。
――かなり難しいタイミングの決断ですが、練習で感じていた部分があるのですか?
川野:最終的な調整練習を瑞穂コーチも毎日、動きを本当に丁寧に、細かくチェックしてくださいました。厚底に近いシューズよりオレゴン、ブダペストで履いてきた従来型を改良したシューズの動きの方が、高畠で失格せずに代表権を獲得するにはいいのではないか、というご意見をいただきました。競歩にとっては歩型もそうですが、動きを客観的な視点で見ていただくことが一番大切なことだと思います。ただ速く歩けばいいのではなく、審判から見て正しい動きができることが第一で、その上でスピードを出すことを考える競技なので。瑞穂コーチの視点は間違いなく、自分の感覚以上に正しいと信じられました。
――ラスト4kmが4分04〜06秒。課題だということですが、現時点では評価できる部分もありますか?
川野:世界で入賞できる選手でも高畠のラスト5kmは大きく落ちてしまっているので、今回5km毎を全て20分台でまとめられたのはよかったと思います。しかし先ほども言いましたが満足はしていなくて、来年の世界陸上では最後まで安定して3分台で歩かないといけません。高畠のラスト5kmも世界陸上で勝負をすることを考えて、1秒でも速くというところを意識していました。ただ今回は8月にオリンピックがあって、2カ月半と準備期間が短い中、オリンピックの疲労も完全に抜けない状態でした。合格点は出せるのかな、と思います。
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――06年にカナイキンが出した2時間21分31秒は、35km競歩が正式種目になっていなかった頃の記録で非公認ですが、そのタイムを目指して練習に取り組んでいたのですか?
川野:その記録を出せる準備はしていかないといけない、というイメージで練習してきました。実際はそれよりもスローになる可能性も考えていましたが、世界記録くらいのハイペースになった際について行く実力がないと勝負できない、代表権を取れないと思っていました。
酒井瑞穂コーチ:実は世界記録の公認の規程が、(競歩関係者にも)正確に伝わっていませんでした。35km競歩が世界大会の正式種目になった22年以降に、2時間22分を切った記録が公認されます。川野の今回のタイムはカナイキンの記録に届いていなかったので、川野本人もゴール直後は喜ぶのはよくないと考えたようです。しばらく経って陸連の方が世界記録だと確認してくれました。
川野:アジア記録の2時間23分13秒(=日本記録)を破ったのはゴールした瞬間にわかりました。目標にしていた記録だったので、それは素直に嬉しかったです。しばらくして世界記録になるとわかってビックリはしましたが、結果的に世界記録を出せてよかったという気持ちです。
――50km競歩の日本記録を出したときとは違う気持ちなのか、どんな気持ちなのでしょうか?
川野:もちろん世界記録保持者として名前を挙げていただけるようになるのは、すごく光栄なことだと思います。しかしそれは、周りから注目されるようになっていく、レースに出るときもプレッシャーがかかる状況になっていくことになる。これからの練習や行動、何よりどういう結果を出していくかが大事になってきます。世界記録を出して終わりではなく、ここからがスタートだと思ってやっていきたい。
――世界記録は今後も世界のトップ選手や、川野選手ご自身が更新して行けそうですか?
川野:今回の記録は、速い選手が集まるだけで出るタイムではないと思います。高畠は気象条件が良く、前半から速いペースでレースが展開されました。新しくなった高畠のコースが平坦で、路面も歩きやすかったことが世界記録につながりましたね。勝木隼人選手(33、自衛隊体育学校)が前半から、かなり速いペースで歩いてくれたことが大きかったと思います。そういったレース展開と気象条件が噛み合わなければ、なかなか出せない記録でしょう。今回は記録を出す良い条件がそろった中で歩かせていただけたので、すごく感謝しています。毎回良い条件になるとは限らないので、レース1つ1つを大切に歩いて行きたいです。
――パリ五輪では行われませんでしたが、35km競歩という種目を歩く喜びもありましたか?
川野:やはり楽しかったです。率直にそう感じました。苦しい種目だとは思いますが、長い距離を歩くことには技術や体力だけでなく、苦しくても立ち向かっていく気持ちの強さ、フォームをごまかせない心の部分も現れると思っています。そういう35km競歩の楽しさを少しでも届けたいんです。(日本選手権50km競歩が開催されてきた)輪島の人たちは1月に震災もありましたし、その後も大雨で大変な思いをされています。輪島の方たちにも自分の歩きが届けられればな、と思いながら歩きました。
――世界記録を出した後に酒井瑞穂コーチからかけられた言葉で、印象に残っているものは何でしょうか?
川野:世界記録保持者になったからには、前から言われていたことですが、内省し(振り返り)、学ぶ心を持って、チャレンジする、その3つを、さらに研いていかないといけない、という言葉が印象に残りました。ただ速いだけの選手、世界記録を持っているだけの選手になるのではなく、人間的にも成熟して尊敬されるような選手になっていかなければいけない、と。これからが本当に大切なんだと、改めて思いました。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)