【前編】「ルソーに憧れて」動かない体で夢を追う“寝たきり”の東大生・愼允翼さんより続く
脊髄性筋萎縮症(SMA)という遺伝性疾患のために、指先などを除いて体をほとんど動かせない愼允翼(シン・ユニ)さん。允翼は初めて「寝たきり」で、東京大学に合格し、東大生となった。現在は、修士課程に在籍する愼允翼さんと、母の張香理(チャン・ヒャンリ)さんにこれまでの道のりを聞いた。
■「これからは遺伝カウンセラー」。医師の言葉に母が奮起
生まれたときは、健康そのものに見えた允翼さん。しかし、1歳5カ月のときに、全身の筋力が徐々に低下していく神経疾患である「脊髄性筋萎縮症」と診断された。
「言葉が出るのが早く、教えていない単語やアルファベットもすらすら出てくることには驚きでした。『Wの積み木を取って』などと、具体的に、そばにいる人に頼まなければ何もできないから本人も必死だったのでしょう」
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香理さんがそう語るように、允翼さんは利発な子供だった。学齢期が近くなると特別支援学校への通学を勧められたが……。
「将来の自立のためには高等教育を受ける必要があると考えていた夫が、校長先生に『この学校から大学へ進むお子さんはいますか?』と尋ねると、『前例がなく、期待に添えないかも』との返答でした」
このころから夫婦は「どんな差別を受けても健常者と一緒の教育を受けさせよう」と決意。地元の小学校の普通学級へ入学させた。負けず嫌いで努力家の允翼さんは勉強も自由研究も、とことん突き詰めていくタイプだった。
「私が『体調が悪くてできなかった』と言えば済むよ、と言っても泣きながら宿題をやるんですよ。『めくって』と頼まれると、私も睡魔と戦いながらも教科書を夜中までめくり続けていましたね」
努力家という点では、香理さんも負けていない。息子が小学校に上がったタイミングで、大学院に入学したのだ。
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「もちろん允翼がきっかけです。幼いころ熱を出しては入退院を繰り返していたので、『私が自宅で点滴ができれば、入院せずに済むのに』という考えが浮かびました。齋藤医師に『医大に通って医師免許を取得したい』と相談すると、『お母さん、医者はいくらでもいます。これからは遺伝カウンセラーよ』とアドバイスされて」
“遺伝カウンセラー”という言葉に、まだ耳慣れない読者も多いだろう。さまざまな遺伝性疾患のある人や疑いのある人、その家族に対して遺伝医学的な情報を伝え、遺伝子の検査やその後について一緒に考えてくれる医療専門職。日本では日本遺伝カウンセリング学会と日本人類遺伝学会が認定する資格で、比較的新しい職業だ。
「私自身、子どもの病気について、遺伝のことも含めた疑問や子育ての不安に対応してくれる人がいないという状況を家族の立場で経験してきましたから。しかし、大学は文系でしたから、生物学をはじめ理系の分野の勉強は大変でした」
2004年、お茶の水女子大学大学院の「認定遺伝カウンセラー養成コース」に1期生として入学する。
「2008年に資格を取得したものの、当時はほとんど求人がありませんでした。学会や勉強会に参加して、そこで知り合った小児科や産婦人科の医師や医療機関の方々に『働かせてください』と売り込んで、アルバイトさせてもらいました」
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■『ドラゴン桜』に自分の姿が重ねて…東大合格が目標に
香理さんが新しい道を歩み始める一方で、允翼さんの症状は進行していった。次第に握力が弱まり、鉛筆を握れなくなった。体を支える筋力も、日に日に弱くなっていった。それでも、できる限り学校に通い、介助員に代筆してもらってテストを受けた。成績はいつもトップクラスだった。
だが、「学校にはなじめなかった」と、允翼さんは振り返る。
「小学校低学年のころ、工夫しながら友達と外で遊ぶこともありました。しかし、高学年になると、まわりの友達は自転車で遠出するようになって、なかなか遊べなくなった。中学の友達は結局1人だけでした。僕も心に鍵がかかるようになった」
進学し勉強を続けることだけが希望になった。
「『ここから抜け出したい』という思いがありました。あるとき、『ドラゴン桜』というドラマを見て。中学くらいのときかな。『東大に入れば、何かを変えられる』と思ったんです」
学校の“はみだし者”たちがカリスマ教師に導かれ、東京大学を受験する──。学校になじめない生徒たちの姿が自分に重なった。
しかし、高校受験でどうしようもない壁にぶち当たる。“前例がない”ことを理由に、介助員の代筆による入試を、多くの高校で断られたのだ。当初、千葉県内の公立高校も対応に難色を示していたが、筑波大学附属高校(東京都文京区)が対応に応じてくれたことで風向きが変わった。代筆と試験時間の延長が認められた。
筑波大学附属高校は不合格だったが、後期試験で千葉県立船橋高校に合格した。「絶対に諦めない」と高熱を押しての受験だった。
■「東大に入れば人生が完結するわけでもない」
自分でテキストを開くことができない允翼さんの勉強法は独特だ。とにかく視界に入る壁や天井に英単語や数式を貼り付けて、穴があくまで見つめて暗記する。また、学習内容を朗読するCDを繰り返し聴いて頭にたたき込む。
千葉県が派遣する学校介助員の支援を受けながら学校に通い、全身全霊をかけて勉強した。
高校2年生の夏には、東京大学先端科学技術研究センターが、高等教育を目指す障がい児童・学生に情報通信技術(ICT)を提供するプログラム「DO-IT Japan」に参加。プログラムを通じて、似たような境遇にある仲間や、社会を変えたいという同じ志の仲間に出会い刺激を受けた。そうして挑んだ東大受験。結果は不合格だった。母・香理さんはこう振り返る。
「“負けず嫌い”ですから。現役時に不合格になったとき、私のアルバイト先に電話をかけてきて、『オンマ、来年は必ず受かるからね』って大泣きでした」
1年の浪人生活を経て、2016年から新たに始まった推薦入試に挑戦。書類審査通過後、論文試験とプレゼンテーション、面接を乗り越えた。そして最終的にはセンター試験で9割近い点数を獲得し、見事允翼さんは合格を果たす。
──寝たきりで東大に合格。
そんな見出しとともに、快挙が伝えられた允翼さんは以降、メディアに出る機会も増えたが、本人はいたって冷静だ。
「これでめでたしというニュアンスでまとめられることには、違和感があります。東大に入れば人生が完結するわけでもないし。それに受験勉強はいま思うとたいした苦労ではありませんでした。東大に入ってさらに大変な勉強が待っていましたから」
【後編】「寝たきり」の東大生・愼允翼さん語る次の目標「自分のために勉強をするのはそろそろ終わり……」へ続く
(取材・文:本荘そのこ/写真:水野竜也、高野広美)
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