サンフレッチェ広島MF
川辺駿インタビュー(前編)
サンフレッチェ広島に、川辺駿が帰ってきた。アカデミー育ちのプレーメーカーは、主力に上り詰めた2021年に欧州へと旅立ち、スイス、ベルギーで充実の3シーズンを過ごした。
残した数字と29歳という年齢を考えれば、日本に戻ってくるのはまだ早いと言えるかもしれない。川辺はなぜ、今夏に古巣へと帰還したのか。その経緯を聞いてみた。
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── ヨーロッパでのプレーを経て、今年8月に3シーズンぶりに広島へ復帰しました。このタイミングで帰ってきた理由を聞かせてください。
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「僕がいたスタンダール・リエージュ(ベルギー)のチーム事情があまりよくなかったのが、一番大きいですね。この短いサッカー人生を考えれば、チームを出なくちゃいけないという決断になりました。
いろんな可能性を探りながら過ごすなかで、まだヨーロッパでプレーする選択肢もありました。だけどステップアップっていう意味では、自分が納得できるオファーはありませんでした。そこで日本に帰る選択をしたなか、広島以外にもいくつか話をいただいたんですけど、最終的には広島に帰ることに決めました」
── まだヨーロッパでプレーしたいという思いがあったと?
「そうですね。年齢的(29歳)にもまだできると思いますし、実際にやれる手応えもありましたから。ただ一方で、30歳手前ということを考えれば、ここからヨーロッパで長くプレーすればするほど、結果を出すのは難しくなってくる。もちろんどう転ぶかはわからないですけど、そういう思いがあったのは事実です。
日本に戻るのか、このままヨーロッパでプレーを続けていくのか。どちらを選んでも、自分のサッカー人生は充実していたとは思います。ですが、そのなかで家族だったり友だちだったり、そういう人たちの前でプレーすることが自分にとって幸せなことだと考えて、日本でプレーすることを選択しました」
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── チーム事情というのは、クラブの財政問題ということでしょうか。
「お金の面が大きいと思います。報道でも出ましたけど、給与の未払いもありました。当然、外に出ている情報以上に、中にいる人たちはより状況を理解していましたし、クラブの歴史のなかでも一番難しい時期だというのは関係者も言っていました。自分も察していましたけど、それでも選手としてはプレーするしかなかったので、とにかくやるしかなかったですね」
【躊躇なくファウルで止めてくる】
── そもそも2021年に、どういう思いで海外に行かれたのでしょうか?
「若い頃から海外には行きたいと思っていました。違う環境だったり、レベルだったり、やったことのない選手たちとプレーするなかで、異なるサッカーを肌で感じたかったんですよね。最終的にはプレミアリーグでプレーしたいという大きな目標を持って、スイスに旅立ちました。
今でこそヨーロッパに行く選手は増えましたけど、やっぱり行くのと行かないのとでは、ぜんぜん違うなと。サッカーもそうだし、サッカー以外の部分でも人間としての深さだったり、強さだったりというものを感じることができたのはよかったですね」
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── スイス、ベルギーと3シーズンプレーしたなかで、どのあたりが成長できたと感じていますか。
「ポジション的にはインサイドハーフだったり、トップ下だったり、シャドーだったり、攻撃的なポジションでプレーしていたので、数字が求められるのは理解していました。ふたケタ(得点)までは取れなかったですけど、ある程度は結果を出すことができました。
得点を奪う力は磨かれたと思いますし、意欲も高まったと思います。点が入った瞬間の喜びや盛り上がりは、日本では感じられないものがあったので、攻撃的なポジションでプレーする以上は毎試合ゴールを取りたいと思っていました」
── 逆に難しいと感じたところは?
「やっぱり能力の高い選手が多かったので、個の力というものを痛感させられましたね。特にベルギーの上位のチームには能力の高い選手が多かったです。フィジカル能力の高さだったり、単純なスピードだったり、慣れるまでに少し苦労しました。
向こうの選手は日本とは違って、躊躇なくファウルで止めてくるんですよ。イエローをもらわない程度のファウルをどんどんしてくるので、そういうプレーに対応するのも難しかったですね。ただ、そこは自分も学びましたし、試合を重ねるなかでプレースピードや判断スピードにも対応できていったと思います。そこも成長できたところかなと」
【肌で世界基準を知ることができた】
── 海外での厳しい環境下で、一番意識したのはどういったことですか。
「ワンタッチでプレーする機会は増えましたね。そのためにはやっぱり準備が必要だし、ポジショニングや周りを見ることをより意識しました。逆にワンタッチのタイミングで周りが動いてなかったら、要求をしないといけない。自分が生きるうえで重要なことだと思ったので、日本にいた時よりも主張は強くなったと思います」
── ヨーロッパでプレーした3シーズンの中で、一番印象に残っていることは何ですか?
「僕がプレーしていたリエージュとアンデルレヒトは同じ町ではないんですけど、ベルギーではナショナルダービー的な雰囲気があって。だから、アンデルレヒトとの試合はサポーターからの圧もすごかったし、実際にピッチに立つとほかの試合とは別物でしたね。
なかなか感じることのできない雰囲気のなかでプレーして、そこでゴールを取れたのは自分にとってすごく大きかったです。今までのキャリアのなかでも一番印象に残る試合になったと思います」
── プレミアリーグでプレーしたいという目標があった、と話されていましたが、そのチャンスがあったわけですよね? ウルバーハンプトンと契約を結びましたから(2022年1月にスイスのグラスホッパーからウルバーハンプトンに加入するも、その後もレンタルされてグラスホッパーでプレーした)。
「そうですね。契約させてもらって、練習も2週間ぐらい行きました。だけど、やっぱりプレミアリーグのチームのレベルの高さは、ちょっと次元が違いました。そのレベルを肌で感じて世界基準を知ることができたのはよかったですけど、やっぱりあの舞台でプレーしたかったという思いはあります」
── 行く前に思い描いていた海外移籍になったのでしょうか?
「プレミアのクラブと契約する選手は、日本人だとまだ多くないなかで、スイスに行ってから半年で契約できたのはうれしかった。ヨーロッパのサッカーシーンに身を置いているという実感も湧きました。
結果的にプレーはできなかったですけど、活躍すればするほど上が見えてきた。プレミアリーグだったり、ビッグクラブと契約できるのが、ヨーロッパでプレーする醍醐味だと思うので。それは日本にいては無理だったと思うし、ヨーロッパの市場に乗るのが大事ということは、行ってみてあらためて感じました」
── 達成感のある移籍になりましたか。
「もうちょっと長くプレーしたかったという思いもありますけど、いた期間に関しては自分のなかでベストな選択ができたと思っています。ベストな結果も出せたと思っているので、それに対して後悔はありません。
それに今は、広島に帰ってきてよかったなと。優勝争いができているからこそ、自分の選択は間違いではなかったなと思っています」
(後編につづく)
◆川辺駿・後編>>守田英正、南野拓実、鎌田大地ら同年代と比較
【profile】
川辺駿(かわべ・はやお)
1995年9月8日生まれ、広島県広島市出身。サンフレッチェ広島ジュニアユース→ユースを経て2014年にトップチームに昇格。2015年から2017年まで期限付き移籍先のジュビロ磐田で主力となり、広島復帰後も欠かせぬMFとなる。2021年にグラスホッパー(スイス)に移籍し、翌年ウルバーハンプトン(イングランド)と契約。2023年からスタンダール・リエージュ(ベルギー)でプレーしたのち、2024年8月に広島へ復帰した。2021年3月の韓国戦で日本代表デビュー。国際Aマッチ6試合1得点。ポジション=MF。身長178cm、70kg。