12球団合同トライアウトから1週間経った11月21日、日本ハムが育成選手として元楽天の清宮虎多朗(せいみや・こたろう)を獲得することが発表された。
トライアウトを経て再びNPBに入れるのは1年に数人と、そのハードルは極めて高い。今年はトライアウト終了から1週間近く経っても参加者のNPB復帰は一向に報じられず、特に厳しさを増している印象だった。清宮の日ハム入りは、そんななかで訪れた朗報だった。
【不完全燃焼に終わった高校時代】
今年のトライアウトはZOZOマリンスタジアムで行なわれたが、奇遇なことに清宮がプロ入り前、最後に公式戦のマウンドに立ったのもZOZOマリンスタジアムだった。それだけにトライアウトを終えたあと、清宮はこんなことを口にした。
「高校最後、ここで負けたんで、何か不思議な縁を感じるというか......すごく投げやすい球場だなと思います」
清宮は千葉県八千代市出身で、高校は地元の八千代松陰高校に進学した。2年生の秋にエースの座をつかむと、秋の県大会で最速145キロを記録。そのストレートと身長190センチの恵まれた体格を武器に注目を集め、甲子園出場の期待も高まった。
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高校3年の2018年、夏の甲子園は100周年の記念大会となったため出場校枠が拡大。千葉も東千葉と西千葉に分かれてトーナメントが行なわれた。清宮にとっては甲子園の土を踏むチャンスが増えたが、八千代松蔭は西千葉大会2回戦でサヨナラ負けを喫し、最後の夏はあっけなく終わった。
しかも清宮は指のマメを潰した影響で、この夏はほとんど登板できず、最後の試合もリリーフでマウンドに上がり、2回0/3を1失点という内容だった。
高校時代は不完全燃焼で終わったが、清宮は育成ドラフト1位で楽天に入団する。その後、支配下を目指して奮闘したものの、プロ3年目の2021年にトミー・ジョン手術を受けることになる。
2022年から実戦に復帰し、今年4月には待望の支配下選手入りを果たした。だが一軍の壁は高く、3試合の登板で防御率12.00という結果に終わり、戦力外通告を受けることとなった。
【参加者最速の154キロをマーク】
そんな清宮がトライアウト参加を決めたのは、10月末くらいだったという。
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「ギリギリまで悩んでいましたね。正直、トライアウトを受けたところでNPBに行ける確率は低いと思うんですけど、まあいろんな可能性を探れるし、来年トライアウトがあるのかもわからないので、ひとまず受けたほうがいいかなと思いました。練習も兼ねてというか、『こんな状態ですよ』っていうのを見せられたらいいなと」
丁寧に言葉を選びながらトライアウト前の心境を語ったが、清宮の言う「こんな状態」は、この日のマリンスタジアムで一番といってもいいほどの注目を浴びた。
トライアウトはカウント0−0から打者2人と対戦する形式で行なわれたが、清宮は1人目の菅野剛士(元ロッテ)との対戦で全球ストレートを投じ、三球三振に仕留めた。しかも152キロ、153キロ、154キロと尻上がりに球速を上げ、154キロはこの日参加した32人のピッチャーのなかで最速だった。
つづく鈴木将平(元西武)には甘く入ったフォークをライト前に運ばれたものの、ここでもストレートは150キロ台を計測し続けた。
「シーズン中はあまりよくなかったのですが、すごくいい状態に持ってくることができました。トライアウトでどうなるかって感じで臨んだのですが、いいパフォーマンスを出せてよかったと思います」
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高校時代も楽天でも、大事な場面で思うように力を発揮できなかったが、この日の清宮は違った。
「(トライアウトを)受けてよかったです。満足というか、シーズンとは違っていい状態で投げることができてよかった」
清宮の自己最速は161キロだが、ここまで速くなったのはトミー・ジョン手術から復帰したあとだったという。ちなみに、高校時代の最速は145キロだった。
「プロに入ってから徐々に球速が上がっていき、150キロまで出るようになってからケガをしました。それでもケガ明けにいきなり153、154、155キロと出るようになって......その時は若干ヒジが痛かったのですが、その翌年に(体が)フレッシュになって、腕が振れるようになり、161キロが出るようになった感じです。本当にそういう(球速が上がる)未来を想像しながらリバビリに取り組み、なんとか乗り越えられたのでうれしいですね」
2023年はウエスタン・リーグで最多セーブを獲得。文字どおり"ケガの功名"とも言える成果が清宮の剛速球であり、それがトライアウトという人生の大一番で最高のパフォーマンスを発揮したのだ。
そして、冒頭でも触れたように清宮は日ハムとの育成契約を勝ち取ることとなった。
6年前の夏、サヨナラ負けを喫したあと「プロを目指してやっていく」と宣言した球児は、その時と同じZOZOマリンスタジアムのマウンドに立ち、今度は納得のいくボールを見せつけた。そして手にしたのは、人生二度目のプロの切符だ。
清宮虎多朗の野球人生は、これからも続いていく。