● ヒント:飛行機製造からスタートした会社です
こちらのメーカー、現在は乗用車のイメージが強く、「●●リスト」と呼ばれる熱烈なファンを抱えていますが、もともとは飛行機の製造から始まった会社だったんです。
――正解は次のページで!● ○問題をおさらい!
正解はこちら!
○【答え】スバル(SUBARU)
正解はスバルです。
スバルの前身は1917年設立の飛行機研究所、後の中島飛行機です。中島飛行機は戦後、GHQにより飛行機の研究と製造が禁止されたため、富士産業と改称し、さまざまな製品の開発・製造に乗り出して日本の復興に尽力します。
そんな中で始めた新たな取り組みのひとつがバスボディ事業でした。1946年に「小泉ボデー製作所」を設立し、航空機の製造で培った板金や木工の技術をいかしたバスのボディ製造を開始したのです。
ちなみに小泉ボデー製作所は、設立翌年に解散し、富士産業に吸収されます。富士産業は1950年に富士自動車工業に改名。さらに富士自動車工業を含めた元・中島飛行機系の企業5社が集まり、1953年に富士重工業を設立し、1955年にはその5社を吸収して1社にまとまりました。これが現在のスバルなのです。
当初はGHQからの払い下げトラックのフレームに、外観と車室空間からなるバスボディを架装してバスを製造していました。フロントにエンジンを搭載してリヤタイヤを駆動するFRレイアウトのボンネットバスです。ただ、前方に大きなエンジンルームがあるボンネットバスは、どうしてもキャビンが小さくなってしまいます。
その頃、やはりGHQが日本国内に持ち込んでいたのが、車体内部にエンジンルームを持つリヤエンジンバスでした。富士産業はボディの大きさの分だけ乗車スペースを広げられる効率の良さに注目。同車両を参考にして作ったのがモノコック構造のR5型バス「フジ号」だったのです。
モノコック構造は現在の乗用車の主流となるボディ構造ですが、本来は飛行機由来の技術です。簡単にいえば、駆動系や足回りを取り付けるフレームと外装や車室となるボディを一体構造とすることで、軽さと頑丈さを両立させています。飛行機の技術に長けた当時の富士産業(小泉ボデー製作所は解散し、富士産業に吸収されていました)にとっては、持ち前の技術をいかせる製品だったのです。そしてリヤエンジン構造は、エンジンが車両の最後方にあるので、走行中の騒音を抑えられるというメリットがありました。
その後、快適で多くの人を運べるモノコックバスが主流となりますが、時代の流れによるバスのニーズの変化や技術の進化もあり、フレームボディにシンプルな構造のボディを組み合わせたスケルトンバスへと切り替わっていきます。
簡単に、バスボディメーカーとしてのスバルの歴史にも触れておきましょう。1953年に富士重工業となった現スバルは、バスのボディメーカーとして大活躍し、ピークとなる1980年(昭和55年)には年間2,393台を製造していたそうです。輸出までしていたといいますから、その市場規模も決して小さくなかったことが伺えます。2003年まではバスボディを製造し、大型車メーカーに供給していましたが、需要の減少から同事業から撤退しました。
写真の「ふじ号」はスバルが保管している個体です。東京都交通局に納入され、都民の足として10年ほど活躍した車両だそうです。引退後にスバルが引き取り、今も保存を続けています。1996年(平成8年)には「産業考古学会産業遺産」に認定されました。スバルのバスボディ事業の歴史だけでなく、日本の産業の発展を伝える貴重な存在です。
現在の保管場所は群馬県太田市にあるスバル矢島工場内のスバルビジターセンターで、屋内に展示されています。同施設は矢島工場見学のための施設であり、工場見学に訪れた際にはふじ号と対面することができます。
モノコックボディの特徴である丸みを帯びたボディは愛嬌たっぷり。奥まった2分割のフロントガラスもユニークで、どこか飛行機を連想させるデザインでもあります。車内も綺麗に修復されており、新車当時の雰囲気を今に伝えています。
それでは、次回をお楽しみに!
大音安弘 おおとやすひろ 1980年生まれ。埼玉県出身。クルマ好きが高じて、エンジニアから自動車雑誌編集者に。現在はフリーランスの自動車ライターとして、自動車雑誌やWEBを中心に執筆を行う。主な活動媒体に『webCG』『ベストカーWEB』『オートカージャパン』『日経スタイル』『グーマガジン』『モーターファン.jp』など。歴代の愛車は全てMT車という大のMT好き。 この著者の記事一覧はこちら(大音安弘)