【写真】クソ男? 可哀想なヤツ? 『アナ雪』ヴィランのハンス王子
さかのぼること2014年。筆者は映画館で『アナ雪』を見ていた。そしてアナとハンスが歌うラブラブソング「とびら開けて」で大いにキュンキュンし、その約1時間後にアナと共にこのクソもみあげ男に絶望したのである。しかし10年経った今、この男のことを改めて考えると、どうも恨み切れなくなってくる。
北方の美しい小国、アレンデール王国には2人の美しい王女がいた。この年、姉のエルサ王女が成人を迎え、戴冠式が開かれる。そこに招かれたのが、サザンアイルズ王国の第13番目の王子、ハンスだ。エルサの妹であるアナ王女とひょんなことから心を通わせ、会ったばかりで婚約を交わすハンス。しかしこれはすべてハンスのたくらみで、自身がアレンデールの王になるための策略だったのだ。
■ハンスは「男の抑圧」の被害者?
ハンスには12人の兄がいて、いじめられたり無視されたりしてきた。しかしおそらくそれは彼自身に問題があったからではない。初対面でアナがベタ惚れしてしまうほどハンサムで品もあり、エルサが作り出した雪の怪物を1人で倒すほど剣の腕も立つ、なんというか非常に“王子っぽい”男。王となる素質はあるものの、彼が育ったサザンアイルズの王家では、王位に近いほど優遇される環境であり、ハンス自身も王位から遠い自分自身に価値を見いだせていなかったのではないか。
ハンスはつまり、家父長制だとか出世争いだとか、旧時代的な男性としての抑圧を背負わされたキャラクターだった。いくら自分が優れていたとしても、地位を得られなければ自分の価値はない。そんな意識を植え付けられて、結局間違った方向に進んでしまった哀れな1人の普通の男だ。
最終的にアナと結ばれるクリストフは、ハンスが背負う男の抑圧から解放された存在だ。誰ともなれ合わず、別に偉くはないけど自分のやりたいことをして、気ままに生きる男。そして真実の愛も知る。もしかしたらハンスが真に手に入れたかったのは、王位よりもクリストフ的暮しだったのかもしれない。きっと彼自身がそれに気づくことはないのが悲しいところだが。
|
|
アナとハンスのデュエットナンバー「とびら開けて」では、「私たちはよく似てるね」「僕と同じじゃないか!」など、2人が「似ている」ことがお互いを運命の相手として強く印象付けている。結局、ハンスは王になるためにアナに近づいたわけなので、「似ている」ではなく「合わせてやってる」だったのだろうが、果たして本当にそうだろうか? と思ってしまう。
アナもハンスも、姉・兄から無視されて育ち、自分が王になることはないんだという思いを抱え生きてきた。言ってみれば、自分のことをいずれ王になる姉や兄の“おまけ”のような存在だと思ってきただろう。これは、まぎれもなく「同じじゃないか」である。とはいえいくら生い立ちが似ていても、2人の本質は全く違うものとなっていたわけだが。
『アナ雪』のもととなったのは、アンデルセンの童話『雪の女王』だ。ハンスはその中に出てくる「悪魔の鏡」がモデルとなっていることが監督のジェニファー・リーにより明かされている。13番目の王子として、親や兄たちの機嫌を伺いながら生きてきたであろうハンスは、いつしか人の心情を鏡のように映す存在になっていた。
愛を欲していたアナにはかりそめの愛を、突然の冬に怯えるアレンデール国民には毛布を、そして自分の力をコントロールできず絶望するエルサにはさらなる絶望を。そしていよいよアナを裏切るその瞬間、窓ガラスにはハンス自身の姿が映るのだ。人の心を映し続け、気づいた時にはすっかり悪人ヅラになっていたハンス…なんだか可哀想になってこないか。
■禁断の「もし」…ハンス更生ルートを探る
人々の心を映しながら、兄たちに認められようともがいたハンス。“本当の彼”は一体どんな男だったのかは、ついぞ分かることはない。物語に「もし」はないが、もし順調にアナと結婚して、兄たちのもとを離れてアレンデールで暮らしていたら、男としての抑圧もその背から下ろせたかもしれないし、人の心を映すことも辞められたかもしれない。そして、本来の自分を取り戻せたかも…なんて思ってしまう。
|
|
いろいろと背負わされた結果、“史上最低”とまで言われるヴィランに身を落としたハンス。もちろんエルサに剣を振るったのは事実なので最低男確定であることは変えられないが、多少…情状酌量の余地はあったような気もしてくる。今夜の放送では、ハンスにも少し思いを馳せてあげてほしい。(文:小島萌寧)
映画『アナと雪の女王』は、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて11月29日21時放送。