かつての長与千種を動画で見て「この人、死んじゃうよ!」 彩羽匠はいかにプロレスにとり憑かれ、リングに上がったのか

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2024年11月29日 10:31  webスポルティーバ

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■『今こそ女子プロレス!』vol.23

彩羽匠 前編

 Netflixシリーズ『極悪女王』配信に先駆け、9月12日に後楽園ホールで配信記念イベント「ネトフリ極悪プロレス」が開催された。熱気溢れる超満員の会場の隅で、私はひとり戦々恐々としていた。近年、女子プロレスの興行で後楽園ホールがここまで満員になったのを見た記憶はない。今日ここで試合をする選手たちは、これだけの観客を前に何を思うのか......。

 対戦カードは、〈唐田・剛力軍団〉彩羽匠&桃野美桜&Maria&川畑梨瑚vs.〈ゆりやん軍団〉ドレイク森松&永島千佳世&DASH・チサコ&ZAP-T。『極悪女王』で描かれるクラッシュ・ギャルズvs. 極悪同盟の代理戦争である。

 試合はヒール軍団の暴走で大荒れ。手に汗握る展開のなか、大混戦を締めたのはマーベラスのエース、彩羽匠だった。長与千種に憧れてプロレスラーになった彩羽が、最後は長与直伝の必殺技ランニングスリーでドレイクにフォール勝ち。試合後、彩羽はマイクを持った。

「もっとこれから女子プロレスを盛り上げて、もっとウチら命削っていきましょう。女子プロレスをよろしくお願いします!」

 命を削る――。彩羽がこの言葉を発した意味を考えると、涙を禁じ得ない。度重なる大きな怪我に悩まされ、幾度となく引退を考えた。体にはいくつものボルトが入っている。それでもエースである自分が辞めるわけにはいかない。マーベラスのエースというだけでなく、女子プロレス界のエースであるという自負がある。

「昔はコンプライアンスというものがなくてやりたい放題だったけど、今は暴力的と思われるものとか流血とかが、世間的に受け入れられない。難しい時代ですけど、マーベラスのプロレスはそこも受け継いでいるつもりです。命を燃やしているという感覚は、昔も今も変わらないと思う」

 プロレスラーにインタビューをすると、「この人は本当にプロレスが好きなんだな」と感じることがよくある。しかし彩羽の場合、「好き」という次元を超えて「とり憑かれている」ように思えて、戦慄を覚える。

 彩羽匠はいかにして、プロレスの魔力にとり憑かれたのか。

【優秀な姉と比べられ、劣等感を抱いていた幼少期】

 彩羽は1993年、福岡県福岡市に生まれた。九州最大の繁華街・天神の近くだが、彩羽の生まれ育った場所はのどかな街だった。

 父、母、4つ上の姉がいる。活発な姉とは対照的にまったくしゃべらない子供で、産まれた頃から会っている親の知人が、3、4歳になって初めて声を聞いたというほどだった。

 彩羽の幼少期の写真はほとんど残っていない。残っている数少ない写真も、顔を隠していたり、電柱に隠れていたりする。「人に見られることが大嫌いだった」と振り返る。

「誰かの話題になるのも嫌で、『何が好きなの?』とか聞かれるのも怖い。自分のことを何も知ってほしくないっていうくらい、自分に自信がなかったです。"自分は他の人とは違う"というのを昔から感じていたんですよね」

 あまり友だちができず、中学に上がる時に「このままじゃダメだ」と思い、"友だち作り"を頑張った。荒れた学校だったため、友だちと一緒に悪いことをたくさんした。本当はいけないことだとわかっていても、友だちを作るためには「ダメ」とは言えない。生活は荒れていき、内心モヤモヤしていた。

 中学2年生の時、先生や親に「そんなエネルギーがあるんだったら武道をしろ」と言われ、剣道を始めた。最初は気が進まなかったが、幼稚園から剣道を続けていた相手と試合をしたところ、思いがけず勝ってしまった。勝つことに喜びを覚え、そこから剣道に集中するようになった。

「お姉ちゃんが勉強もスポーツもなんでもできる人だったんですよ。自分は頭もよくないし、スポーツも全然できなくて、ずっと劣等感があったんです。それまで負けて当たり前だと思われていた自分が剣道で勝ったことで、初めて認められた気がした。剣道に救われた部分はすごく大きかったです」

【リング上で闘う少女に「この人、死んじゃうよ!」】

 プロレスとの出会いは高校生の時。パソコンを使う授業中にYouTubeを開くと、北斗晶vs. 神取忍の試合がトップに出てきた。1993年の横浜アリーナ。壮絶な流血喧嘩マッチを繰り広げたことで、勝敗を超えた名勝負として語り継がれている試合だ。

 プロレスラーはただ殴り合って、勝敗が決まる。時には凶器を使い、流血をする。プロレスに対してはその程度のイメージしかなかった。しかし北斗と神取の試合を観て、「プロレスラーにはこんな感情があるんだ」ということに驚いた。普段、感情を押し殺して生活していた彩羽が、リング上で「これでもか」と露になる感情に心を動かされたのは必然だった。

 プロレスに夢中になるうちに辿り着いたのが、1985年に行なわれた「敗者髪切りマッチ」だ。自分と同じ年くらいの少女たちが、髪の毛を懸けて闘っている。しかもひとりは凶器を使い、もうひとりは流血しても立ち向かっていく。

 流血している少女の名前は「長与千種」だと知った。名前の読み方もわからないが、彩羽は少女に夢中になった。相手との圧倒的な体格差があり、一方的にやられるだけでほとんどやり返せていない。「この人、死んじゃうよ!」と思った。それでも、少女の目は死んでいない。セコンドにタオルを投げられても投げ返す。負けたあとも「負けてない!」と叫び続ける少女に、彩羽は恋をした。

 寝ても覚めても、長与のことが頭から離れない。学校にDVDレコーダーを持参し、授業中も昼休み中も、ずっと長与の映像を見た。なぜそこまでして闘うのか。自分もその原動力を知りたいと思った。気づいたら「自分もプロレスラーになりたい」と思っていた。

 プロレスに出会う前の彩羽は、人に興味がない、テレビにも興味がない、冷めた子供だった。それがプロレスに出会ってから、クラスでプロレスごっこをするようになった。プロレスラーの痛みを知りたいと思い、男子に「上から投げて」と頼み、ベンチの上からボディスラムで投げられたこともある。あばらが折れたが、プロレスラーの痛みを知ることができてうれしかった。生まれて初めて、熱くなれるものを見つけた。

【長与とのすれ違いを乗り越え、マーベラスに入団】

 憧れの長与に初めて会ったのは、大学生の時だ。剣道部だった彩羽が国体ベスト16に入った褒美に、母親が長与の経営する東京・湯島のパブに連れて行ってくれた。母は長与に会えば気持ちが落ち着いて、また剣道に専念するだろうと思ったのだ。しかし、そこからさらに火がついた。「心が火事でした」と彩羽は笑う。

 その頃、長与は団体を作るかどうか迷っていた。2009年7月、全日本女子プロレスの松永高司元会長が間質性肺炎のため死去。長与に「もう一度、横浜アリーナでやりたい」という遺言を託した。その後、長与の父もすい臓がんで他界。モルヒネが効かず、全身麻酔のなかで最期に言われた。「たったひとりでいいから、選手を作れ。もう一度、見せてくれよ」――。

 彩羽がパブを訪ねてきたのは、そんな時だった。プロレスラーになりたいという強い思いを聞き、喉から手が出るほど「欲しい」と思った。しかし、「よし、来い」とは言えなかった。道場もリングもない状況だったからだ。それから2年が経ち、ようやくすべてが整いかけた時、彩羽は大学を中退してスターダムに入団してしまう。現実を受け止めるほかなかった。

「長与さんに『大学を卒業してからでも遅くない』と言われて、『自分は今のプロレスを全然知らない』と思ったんですよね。また東京に行って、たまたまその日にやっていたのがスターダム後楽園ホール大会だったんです。(岩谷)麻優さんとかも同い年なので、『やっぱり自分、遅いわ!』と焦りを感じて、そのままスターダムに入団しました」

 2013年4月29日、スターダム両国国技館大会にてデビュー。対戦相手は"女子プロレス界の横綱"こと、里村明衣子だ。里村に三角絞めを仕掛ける場面もあったが、最後はスリーパーホールドを決められてレフェリーストップ負けを喫した。

 翌年3月、彩羽は長与千種プロデュース「That's 女子プロレス」に参戦。長与、花月と組み、ダンプ松本、KAORU、世IV虎組と対戦した。大会の最後、長与は新団体マーベラスの旗揚げを発表。彩羽はそこで初めて知ることになる。憧れの人が新しい団体を作る。自分はそこには入れない――。

 動揺を隠すのに必死だった。自分に対して苛立った。なぜ自分はもう少し待たなかったんだろう。長与に初めて会った時に言われた「大学を卒業しなさい」という言葉通りにしていれば......。長与のその言葉は、「待っててほしい」の意味だった。
 
 その後、「That's 女子プロレス」の地方巡業に、彩羽は帯同する。長与の身の回りのことをこなすなか、一番キャリアの浅い彩羽は、洗濯機を使うのが深夜3時近くになったことがあった。長与のコスチュームが朝までに乾かない。そう思った彩羽は、朝までコスチュームを持ってホテルの中を走り回り、乾かした。それを聞いた長与は思わず笑ってしまった。やっぱりこの子が欲しい。すれ違いを乗り越え、2015年、彩羽はマーベラスに入団した。

(後編:彩羽匠が抱く決意「長与千種の遺伝子が里村明衣子で終わってほしくない」>>)

【プロフィール】
彩羽匠(いろは・たくみ)

1993年1月4日、福岡県福岡市生まれ。2013年4月29日、スターダム両国国技館大会の対里村明衣子戦でデビュー。2015年2月22日、長与千種の新団体マーベラスに移籍。2022年1月10日、後楽園ホール大会にて、橋本千紘とAAAWシングル王座とAAAWタッグ王座のAAAW王座全権を懸けたシングルマッチが行なわれ、勝利。AAAWシングル王者に認定される。9月16日、永島千佳世とのタッグでAAAWタッグチーム王座を獲得し、二冠王となる。2023年8月、アメリカのWest Coast Pro Women's Championship、12月、スペインのRCW女子世界王座を戴冠。2024年8月8日、後楽園ホール大会にて尾崎魔弓を破り、AAAWシングル王者に返り咲く。170cm、65kg。X:@crushTKB

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