女子プロレス界のトップ、彩羽匠が抱く決意「長与千種の遺伝子が里村明衣子で終わってほしくない」

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2024年11月29日 10:31  webスポルティーバ

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■『今こそ女子プロレス!』vol.23

彩羽匠 後編

(前編:かつての長与千種を動画で見て「この人、死んじゃうよ!」 彩羽匠はいかにプロレスにとり憑かれ、リングに上がったのか>>)

 長与千種に憧れて、プロレスラーを志した彩羽匠。長与とのすれ違いを乗り越え、2015年、長与が立ち上げた新団体マーベラスに入団する。2016年5月3日、マーベラス旗揚げ大会にて、メインイベントで里村明衣子とのシングルマッチを行なうことになった。里村は長与の前団体GAEA JAPANの一期生。愛弟子対決である。

 彩羽は長与の一番弟子である里村に、ずっと嫉妬心を抱いていたという。

「デビューする前から、『長与さんが手掛けている選手はこの人なんだ』という嫉妬ですね。自分も長与さんに教わりたかったけど、当時、長与さんはプロレス界から離れていたので、里村さんが最後の弟子なんだと思っていたんです。デビュー戦(スターダム両国国技館大会)で対戦しましたけど、もう全然手が届かなかったですし、『カッコいいなあ』という嫉妬もありますね」

 マーベラスに移籍して長与のプロレス観を学び、「今の女子プロレスをこのままやっていたら、何も変えられない」と感じた。自分のやりたいプロレスを旗揚げ戦でやろうと意気込み、3カ月ほど試合に出なかった。他団体への参戦もすべて控え、ひたすら練習を積んだ。しかしその間に試合勘がなくなってしまい、旗揚げ戦では里村に惨敗した。「今でも観たくない試合のひとつ。心が折れた」と話す。

 高校時代から憧れ続けた長与千種のプロレス――。まず、「普通に歩くな」と言われた。ゴングが鳴り、相手と同じ歩幅で歩いたら同じ動きになる。相手が右に回るなら、その前に詰めてもいいじゃないか。常に自分主導で相手を動かせ。「黙って立つな」とも言われた。首をちょっと動かすだけでも観客の目線は動く。「表情を指に出せ」「呼吸で魅せろ」......。言葉で教えるだけではない。長与は彩羽の弱点を竹刀で突き、問いかけ続けた。「お前は痛みをどう伝えるんだ?」――。

【ライバル橋本千紘との死闘「自分の殻をひとつ破った」】

 プロレスは対戦相手あってのスポーツである。彩羽は「今の女子プロレスを変えなければいけない」という使命感を抱きつつも、長与に教わったプロレスを持て余しているようなところがあった。同じような志を持つ相手がいなければ、彼女が本当に表現したいものを表現することはできない。

 そんな彼女の前に現れたのが、センダイガールズプロレスリングの橋本千紘である。身長157cm、体重は100kg級。日本大学レスリング部の主将を務め、世界学生選手権3位という実績の持ち主だ。2021年11月28日、センダイガールズ15周年記念大会にて、彩羽は橋本の持つセンダイガールズワールドシングルチャンピオンシップに挑戦。死闘を繰り広げた。

「コロナ禍でお客さんの反応がわからなくて、シーンとなる怖さがすごくあった時期だったんです。本来だったらピリッとした空気を楽しみたいところを、恐怖心に負けて大きい技に移行するということが多かったんですよね。でもあの試合では、スタートの時になかなか行けない。組んだらなかなか離れられない。お互いそこを試している感じがありました。『ひとつミスったらやられるな』という感覚でしたね」

 結果は、30分ドロー。勝つことはできなかったが、コロナ禍で失われつつあった自分のプロレスができた、という手応えがあった。

 年明けの1月10日、マーベラス後楽園ホール大会にて再戦が行なわれた。AAAWシングル王座とAAAWタッグ王座、AAAW王座全権を懸けたシングルマッチである。必殺技ランニングスリーを返された彩羽は、この日のために研究していたランニングパイレーツを出そうとした瞬間、恐怖心から鼻血が出た。「自分の殻をひとつ破った気がする」と振り返る。

「プロレスの醍醐味でもあるけど、(身長170cmの)自分が小さい選手とやれば盛り上がるのは当たり前なんですよ。体が大きい橋本選手もそれは経験していると思うんですよね。小さい選手をどう潰すか、という闘いには慣れている。でも大きい者同士の闘いは苦手分野なんですよ。だからお互い、めちゃくちゃ頭を使いながら試合をして、最後はもう気力で闘って、なんとか勝てた感じです」

【マーベラスの選手に怪我が多い理由】

 2022年9月16日、永島千佳世とのタッグでAAAWタッグ王座も獲得。二冠王となったが、10月下旬、試合中に鎖骨を複雑骨折してしまう。全治3カ月と言われ、シングル王座を返上した。

 これまでにも何度も大きい怪我を乗り越えてきた。怪我の治りは早いほうで、全治10カ月と言われたところ、8カ月で完璧に治して復帰したこともある。今回も「早く復帰できるだろう」と高を括っていたら、なかなか治らなかった。復帰戦が決まっても、延期にせざるを得なかった。段々とプロレスに対して恐怖心が募り、引退も考えた。

 彩羽をはじめ、マーベラスの選手は怪我が多い。同団体の桃野美桜はその理由について「100%を出し切って、100%受けきっているから怪我をする」と分析していたが、彩羽は「自分たち、調子に乗っちゃうんですよ」と言う。

「たとえば子供向けのイベントの時は、『子供たちとわちゃわちゃしながら楽しくやってくださいね』というコンセプトのはずなのに、試合が始まったらお互いに引かないし、どんどんエスカレートする。そういうことばっかりやってるから、蓄積もあって怪我をしやすい。プロレスって本当にすごいなと思うのは、自分の余力が100だったとしても、お客さんの声援があると120を超えちゃうんですよ」

 欠場から4カ月半後に復帰したものの、常に怪我の恐怖はつきまとった。それでも闘うことをやめず、2023年8月、アメリカのWest Coast Pro Women's Championshipを戴冠し、12月にはスペインのRCW女子世界王座を奪取した。彩羽は「世界のベルトコレクターになりたい」と野望を語る。

【引退を発表した"横綱"里村明衣子との死闘の末、涙の決意】

 今年7月、"女子プロレス界の横綱"こと里村が来年4月に引退すると発表した。彩羽は焦った。里村とはこれまでに2度シングルマッチを行ない、勝てていない。勝ち逃げされるわけにはいかない――。彩羽は里村との再戦を望み、10月27日、マーベラス名古屋大会で実現した。

 15分1本勝負。長いロックアップが続く。じっくりとお互いの出方を見るが、先に攻撃を仕掛けたのは彩羽だった。激しい蹴り。雄叫びを上げる。しかし里村はひるまない。冷静に、着実に、里村明衣子のプロレスをする。

 彩羽は叫び続ける。あんなにも声を張り上げる彩羽を見たのは初めてだ。不安、焦り、嫉妬......己の弱さをすべてかき消そうとするかのように、彩羽は叫び続けた。必殺技のランニングスリーを仕掛けるも、決まらない。それでも彩羽はランニングスリーを繰り出す。必殺技が決まらなければ、"横綱"に勝つことはできない。

 こんな名勝負があるだろうか。こんな女子プロレスがあったのか、と息をのむ試合だった。結果は、15分ドロー。もう一度......もう一度、やらせてほしいと、ふたりは長与に直訴した。

 試合後、バックステージで里村は言った。

「(彩羽は)レベルが違いますよ。女子プロレス界のトップですよ。技の的確さといい、すべてにおいてトップ。正直、前は自分のほうが上だと思っていた。そんな感情は今日でなくなったので、もう一回私のほうからお願いしたいと思います」

 続いて、彩羽がバックステージにやってきた。涙を流している。

「間が詰められないし、いつもの自分の技につなげられないし、一発やるのにどんだけの労力がいるか......。里村戦を通じて、いつも『今ならイケる! 今ならイケる』と思っているのに、自分のムードに持っていけないし、でもこれが本物だと思うし。自分のこと生温いと思ったことないし、生温いプロレスしているつもりもないけど、今日勝てなかったのは......自分のプロレスを見直さなきゃいけないと思う。

 こんなプロレスラーと闘えるチャンス、こんな女子プロレスラーに出会えることってこれからあるのかな、というくらい自分にとっては大きな壁だけど、その壁を潰して、自分が前に立つ。里村さんが引退するまで半年くらい。絶対、もう一回チャンスをつかみます。長与千種の遺伝子が里村明衣子で終わってほしくないから。勝つ。それだけです」

 高校時代、彩羽は長与に恋をした。それから15年の月日が流れた今も、恋心は冷めぬままだ。いや、恋などという生温いものではない。もっと激しく、熱く、狂おしい想いを、彩羽は抱き続けている。

 しかし、里村との再戦がもしまた"長与千種の遺伝子対決"になるのなら、結果はまたドローになるような気がしてならない。長与の存在を超越した闘いになった時、初めてふたりの決着がつくのではないだろうか。

 里村の引退まで、残り半年を切った。すべては彩羽がどこまで己を高められるかにかかっている。

【プロフィール】
彩羽匠(いろは・たくみ)

1993年1月4日、福岡県福岡市生まれ。2013年4月29日、スターダム両国国技館大会の対里村明衣子戦でデビュー。2015年2月22日、長与千種の新団体マーベラスに移籍。2022年1月10日、後楽園ホール大会にて、橋本千紘とAAAWシングル王座とAAAWタッグ王座のAAAW王座全権を懸けたシングルマッチが行なわれ、勝利。AAAWシングル王者に認定される。9月16日、永島千佳世とのタッグでAAAWタッグチーム王座を獲得し、二冠王となる。2023年8月、アメリカのWest Coast Pro Women's Championship、12月、スペインのRCW女子世界王座を戴冠。2024年8月8日、後楽園ホール大会にて尾崎魔弓を破り、AAAWシングル王者に返り咲く。170cm、65kg。X:@crushTKB

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