アメリカの一部の州やオーストラリアなどをはじめ、未成年のSNSを規制する動きが世界的に広まっています。けれども、SNSは本当に子供にとってのみ害悪なのでしょうか?
兵庫県知事選挙で斎藤元彦知事の広報活動を“ボランティアで”担当したとされている、PR会社「meruchu」社長の折田楓氏をめぐる騒動が収まりそうにありません。
公職選挙法に抵触する可能性が指摘された、折田氏の「note」への投稿に関心が集まっています。
しかしながら、筆者は4年前の初投稿に記された起業の動機に興味を抱いています。一連の言動を追っていくと、SNSに翻弄された大人の姿が浮かび上がってくるからです。
◆「日本の全てのダサいをなくしたい」並々ならぬ嫌悪感
そもそも、折田氏なぜSNSを活用したイメージ戦略を提案するビジネスに打って出たのでしょうか?
折田氏は、日本のプレゼンテーション力に不満を抱き、こうつづっています。
<「日本の全てのダサいをなくしたい」フランス留学中にそう思いました。フランスは、企業のショーウィンドウや看板含む街の雰囲気が洗練されている。一方日本は、とても技術が高いのに見せ方がイマイチだから、もったいない。ずっとそのような問題意識を抱えていました。>(2020年6月28日折田氏noteより)
この投稿から2ヶ月後には、「ダサいをなくしたい」との思いがさらに熱を帯びていきます。
<なぜ、merchuは行政のコンペに出続けるのか?それは「行政の発信や広報が圧倒的にダサい」と感じているからです。行政の発信や広報からダサいをなくすことで、その地域の印象や、対外的なブランド価値を高めることができ、地域創生に貢献できると考えているからです。>
<日本の行政のアウトプットは、とにかくダサい。(中略)多くの方々がそのダサさに辟易しつつも、諦めてしまっている部分なのではないでしょうか。私が住んでいたフランスでは、行政の発信もやはりおしゃれで、美的センスに溢れるものが多くありました。>(いずれも2020年8月2日折田氏noteより)
並々ならぬ「ダサさ」への嫌悪感ですね。これらを読んでいくと、折田氏にとって「美的センス」へのあこがれが、「ダサいをなくしたい」という思いの反動としてあらわれているのではないかと感じます。
◆折田氏の根本は「ダサいをなくす」こと、見栄えがすること
女性ファッション誌『MORE』の電子版でのインタビュー(2022年12月20日掲載)では、「もっと日本全国を明るく、キラキラと輝かせるお手伝いがしたい」と語っているものの、より本音がストレートに伝わるブログ形式の「note」では、否定的な感情がモチベーションになっているのがよくわかります。短い文章の中で、「ダサい」が4回も出てくるのはよほどの事態でしょう。
折田氏は、上質な事物を効果的に伝えるための見栄えを整える手段が日本の企業や行政にはない、と言っているのですね。日本は美意識に欠けている、と。そこを私がお力添えいたします、と決意を語っているわけです。
もちろん、こうした折田氏の意見は賛否両論わかれるところでしょう。ここではその是非を問うものではありません。
大事なことは、折田氏にとって、仕事の根本、言動の根っこにあるものが、「ダサいをなくす」こと、見栄えがすることだという点なのです。
◆SNSでは「ダサいをなくす」を生活ぶりで常に表現
その一方で、美的センスに欠けた日本の行政や企業を補助する職業人としての原則をプライベートにも課さなくてはならない苦しみもあったのではないでしょうか? それがSNSにあらわれているからです。
自身のインスタグラムなどで高級ブランドショップで買い物をしたり一流ホテルに宿泊する姿を公開するのは仕事の達成感を表現する一方で、「ダサいをなくす」を標榜する社長として、自身の生活ぶりそのものが会社のイメージを代表しているのだ、というプレッシャーもかかってきます。「もっと日本全国を明るく、キラキラと輝かせる」ためには、まず自分がそうでなければならいからです。
そこで、大人にもSNSは害悪となり得るのではないか、と考えてしまうのですね。
なぜなら、これは効果的なPRであると同時に、不特定多数の匿名の目から常に監視、批評されているような状況を自ら作り出していることにつながるからです。常に値踏みされる緊張感とともに生きていかなければならなくなる。
しかも無数の情報や記号が高速かつ大量に行き交うSNSは不安定な価値観しか生み出しません。そこに自分の生活を賭けてしまうことは想像以上に危うい。しかも仕事においてもプライベートにおいても仮想空間が主戦場となると、メンタルヘルスにも少なからず影響を及ぼすでしょう。
うまくいったとしても、それはいびつな成功と言わざるを得ないのです。
◆高級ブランドバッグを肩にかけて選挙カーにのぼった折田氏
そんなおぼつかない栄光があらわれたシーンがありました。演説中の斎藤知事をスマホで撮影しようと選挙カーへのぼる折田氏が、イタリアの高級ブランド「モスキーノ」のバッグを肩にかけていたのです。
裏方として仕事をしているという自覚があれば、考えにくいチョイスです。あらゆる隙間でも、自分をアピールしていかねばならぬという貪欲さがにじみ出ていました。
これを“見栄っ張り”とか“出しゃばり”とか批判するのは簡単です。筆者には、「ダサいをなくす」、「キラキラと輝かせる」などの自身の言葉に呪縛されている姿に見えました。
本件はネット選挙の今後を左右すると同時に、大人にとってSNSとは何なのかを改めて突きつけているのだと思います。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4