立花もも新刊レビュー 三浦しをんの傑作から歴史ミステリーまで……今読むべき4選

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2024年11月30日 13:00  リアルサウンド

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三浦しをん『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)

 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。数多く出版されている新刊の中から厳選し、今読むべき注目作品を紹介します。(編集部)


三浦しをん『ゆびさきに魔法』(文藝春秋)

  新しい最高傑作、きた……と思った。40代、ひとりでネイルサロンを切り盛りする月島美佐と、一緒に働くことになった20代の新人・大沢星絵。性格も、ネイリストとしての性質もまるで違うふたりが、ビジネスパートナーとして友情をはぐくんでいく過程がもう、たまらない。


  月島にはかつて、一緒に働いていた友人がいて、自分とは違って独創的なデザインをほどこす、アーティスティックな彼女の個性に憧れていた。嫉妬もした。星絵もまたそのタイプで、折に触れて友人の影がちらつくのだけど、心のどろつきとうまく付き合っていく術を覚えた今の月島は、ただ星絵の健やかな成長を願うことができる。自分にはないカラッとしたパワーをもつ星絵に、同僚としても個人としても救われながら、かつての友人のほうが、星絵の師匠としては最適なのではないかと、身を引こうとする。自分の長所にも魅力にもまったく気づかず、ただ誠実に、謙虚に、こつこつと自分にできることを成そうとする月島の不器用さも、それを全部わかって向き合ってくれる星絵の素直さも、全部が最高なのである。


  ネイリストという職業の奥深さを覗かせてくれるのも、本作の魅力。最初は「ネイルなんてしゃらくせえ」とばかりに態度の悪かったサロンの隣人で居酒屋の大将である松永が、巻き爪を治してもらったのを機に、「料理もネイルも、下ごしらえが大事という点では同じ」と、その道のプロとして認めてくれ、親交を深めていくのも、いい。居酒屋の常連男性たちが、やはりもとから常連だった星絵に、練習台として爪をぴかぴかに磨かれ続けた結果「もう練習は必要ないって放り出された! ひどい!」とクセになってる描写も、笑ってしまう。とにかく細部の描写が、ことごとく効いているので、こんな文章ほっぽらかしてはやく小説を読んでほしい。


  これまでの三浦さんの小説で、いちばん好きかもしれない。でも、新作小説を読むたび同じことをいって言っているなあ、とも思うのであった。



上畠菜緒『イグアナの花園』(集英社)

  身体が弱くて、人付き合いが苦手で、そもそも他人の顔を上手に識別できない小学生の美苑は、あるときクラスメートに「さみしいやつ」と言われてしまう。でもたぶん、さみしかったのはそのクラスメートのほうだっただろう。何を話しても楽しそうにしてくれなくて、空気の読めないことばかり言って場を白けさせるし、自分たちに興味がなさそうな態度ばかりとる。せっかく仲良くしてあげているのに、という怒りは、たぶん、さみしさの裏返しだ。


  だって美苑は、幼い頃から、蛙や蛇など生きものと言葉をかわすことができた。明確に意思の疎通ができるアオダイショウと出会ってからは、その存在さえあれば他に友達はいらないんじゃないかと思うくらいに、満たされていた。美苑がさみしさを覚えたのは、そのアオダイショウが去ってしまったあとだ。だけど喪失したからといって「美苑がからっぽになったわけじゃない」と父は言う。その言葉が、物語を追いながらずっと、心に残り続けていた。


  やがて美苑は、大学教授である父の同僚から、イグアナの子どもの飼育を託される。ソノ、と名づけたイグアナと話すことのできる美苑は、またさみしくはなくなった。研究を中心に人付き合いが発生する大学では、小学生時代のような揉め事もない。ソノさえいれば、それで十分だった。そんな彼女の生き方が、間違っているとも悪いとも思わない。けれどやっぱり、人として社会を生きる以上、すれちがう他者とも対話はしなくてはならない。あることをきっかけに美苑は、ずっと避けてきた、厳しくてどこかよそよそしい母と向き合うことになるのだが。


  動物だろうと、人間だろうと、人は、出会う相手といつかは別れなくてはならない。そのさみしさを埋めてくれるのは、かつての出会いからもらったぬくもりだったり、言葉だったり、重ねてきた対話の蓄積なのだ。そう思うと、失敗も後悔もふくめて、生きることは何と愛おしいのだろうと、思える小説だった。



柳広司『パンとペンの事件簿』(幻冬舎)

  僕らはペンを以ってパンを求めることを明言する、と堺利彦は言った。生きるために必要な「パン」を「ペン」、つまり文章を書くことで稼ぐ。それが明治時代、堺利彦が設立した「売文社」のなりたちである。本作は、暴漢に襲われたところを、堺利彦とその娘に助けられ、売文社の手伝いをすることになった主人公の「ぼく」が見つめる、明治の「社会主義者」たちの姿である。


  日本史にだいぶ無知なので「堺利彦……なんか聞いたことがあるけど、よくありそうな名前だしな……」とうっかりフィクションだと思い込んでしまい、第二話で大杉栄が登場してようやく「あ! 史実だった!」と気がついた。なので、歴史にはあんまりなじみがない、という人も安心してほしい。読んでいるうちに歴史を学べはするけれど、シンプルに、個性豊かでアクの強い売文社の面々が遭遇する、ちょっとした謎を解き明かしていく、ミステリー短編集として、抜群におもしろいことを保証する。


  当時、世間から白眼視されていた社会主義者たちの居場所をつくるという目的もあった売文社は、食い扶持以上の儲けは求めないのがモットーで、どんな依頼も面倒くさがらずに引き受けてくれる。〈困っている人がいれば助ける。それが社会主義ってものでしょ〉と、堺の娘が言うのにはハッとさせられたのは、思想というのはそもそも、よりよい社会を願う人たちから生まれるものだよなあ、と当たり前のことに気づいたから。もちろんその思想が権力を持つ側にとって不都合であったり、秩序を乱すものであったりすると、迫害されてしまうのだけれど、それでも「言葉」を武器にあきらめず、力強く戦い続ける堺たちの姿に、読んでいてじーんときてしまう。


  自分たちのしていることはしょせん、インテリの道楽なのだと堺が言うのにも、打たれる。それは実際、彼が残した言葉らしいが、自分たちのしていることは正義でもなければ特別に素晴らしいことでもない、と自覚したうえで、困っている人たちのためにすべてを差し出そうとする売文社の人たちに、我が身を顧みずにはいられない。



 



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