堀ちえみ、夫の“パパさん”尼子勝紀氏と初ツーショット「人生の悩みをシンプルにする50の言葉」

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2024年12月01日 15:13  日刊スポーツ

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夫の尼子勝紀さん(左)との共著した書籍を発表した堀ちえみ(撮影・千葉一成)

タレント堀ちえみ(57)と夫の実業家尼子勝紀氏(58)が1日、都内で共著「人生の悩みをシンプルにする50の言葉」(主婦と生活社)の発売記念イベントを行った。


2人は2011年(平23)に結婚。堀にとっては3度目の結婚だったが、19年にステージ4の舌がんと診断され、舌の6割を切除する手術を受けた。翌20年(令2)に仕事復帰したが、尼子氏が献身的に支えた。


堀は「私が舌がんになって、いろいろなことがありました。ここまでしゃべれるようになり、歌えるようになり、去年2月にはデビュー40周年ライブもできました。今年もライブをコンスタントにできました。支えてくれた医療従事者、家族、スタッフ、ファンのおかげだと思っています。私の気持ちは今まで語って来ましたが、支える患者の家族の気持ちが分かればと思いました」。


尼子氏は「1年ほど前から、この本の構想を練ってきました。家内の堀ちえみが舌がんになって落ち込む時もありましたが、どんな言葉をかけたらいいか。それを本にまとめました。がん患者、その家族の方々にも読んでほしい」と話した。


本の内容について、堀が「言葉かけの裏にある思いが分かった。言えなかった本音が分かって、改めてジーンと来ました。交換日記とはいきませんが、お互いバラバラに書いたので、どんなことを書いたかは編集部を通してしか分かりませんでした。恥ずかしい気持ちがあったね」と話しかけると、尼子氏は「家内と並んで取材に答えるのは初めてで緊張しています。日頃は言えない家族の気持ちを書きました」と話した。


堀は幼い頃から、周囲に「あなたは運がいい」と言われて育ってきた。尼子氏は「私の勘ですが、本当に運がいい」。堀は「ステージ4のがんを告知された時は、運を使い果たしたのかなと思いました。それでも『ラッキーだから』とバレーボールで言うトスを上げてもらえて、私はアタックするだけでした」と振り返った。


現在の体調について、堀は「いいです。この3月に『完治』という言葉をいただきました」。尼子氏は「『寛解』じゃなく『完治』です」と言葉をかみしめた。一般的に、がんの症状がおさまり再発しない状態が続いていることを「寛解」と言うが、再発せずに5年経過した場合に「完治」と言われる。


夫の存在について、堀は「病気というのは、非常につらい時でも外では出せない。家に帰って、家族の前でしか出せないことがある。病気が落ち着いても、言葉のこと、食べ物をのみ込むのに支障があることなど落ち込むことがあった。横で力強く支えてくれる人がいなかったら、ボロボロになっていたんじゃないかな」。尼子氏は「私より、子供たちがショックだったと思う。それも支えなきゃいけなかったので、私自身は前向きだった」と振り返った。


2人の出会いは、14年前にさかのぼる。堀は「『ファンです』と突然、声をかけられました。包み込むような感じで、前に会ったことがあるような気がしました。主人が大阪に転勤で、近くに住んでいたんです」。尼子氏は「朝、会社に向かう途中にタクシーに乗ったら見つけました。『お釣りいらないから』って降りて声をかけたんだけど、まさか10数年後に、こんな会見をするとは」と笑った。


尼子氏は、堀のファンから「パパさん」と呼ばれている。堀は「ブログやSNSで、家族のように思ってくれているんです」。尼子氏は「皆さん、親しみを込めて呼んでくれています」と話した。


来年について堀は「去年タネをまいたことに、今年は水をあげられた。来年は出た芽が大きく育つようにさらに頑張って行きたい。ライブで、日本全国を回って歌っていきたい」と話した。


尼子氏は、堀のファンになったきっかけについて「高校生の頃に歌番組を見ていて、この子しかいないと思いました。何人かの知り合いから『“堀ちえみと結婚する”って言ってたよね』と言われます。歌は全部好きですが、一番は『さよならの物語』(83年)です」。


堀が主演して大ブームを巻き起こしたTBS系の連続ドラマ「スチュワーデス物語」(83年10月〜84年3月)についても「全部、見ています。私は次の教官ですから」と、堀が演じたスチュワーデス候補生・松本千秋が憧れた、風間杜夫が演じた村沢浩“教官”に自身をなぞらえて笑った。

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