長谷見昌弘ニスモ名誉顧問「よく走ってきた。本当に偉いよ」GTラストレースを迎える愛弟子ロニーとの秘話と私見

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2024年12月01日 19:00  AUTOSPORT web

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2008年にニッサン陣営にロニー・クインタレッリを迎え入れた長谷見昌弘氏。ハセミ・モータースポーツでロニーは2年間走行した。
 11月20日にスーパーGTの活動終了を発表したロニー・クインタレッリ(23号車MOTUL AUTECH Z)。12月1日に富士スピードウェイで行われたニスモフェスタでは、イベントの最後にファンへのセレモニーが行われた。スーパーGTで唯一、GT500で4度のチャンピオンに輝いたレジェンドドライバーのロニーについて、この人物に聞かないわけにはいかない。現在、ニスモの名誉顧問を務めるニッサンのレジェンドドライバー、長谷見昌弘氏にロニーとの思い出について聞いた。

 ロニーは2002年に来日し、2003年の全日本F3を経て2005年にトヨタ陣営のSARDからスーパーGT500クラスにデビュー。2008年にはニッサン陣営に移籍して、長谷見昌弘氏のハセミモータースポーツでGT500クラスを戦い、そこからニッサンのドライバーとして数々の実績と記録を打ち立てていった。

「僕が(ロニーをニッサンの)GTに乗せたんだけどね。最初は全日本F3で日本に来ていて、チャンピオン(2004年)を獲ったりしていた時に見ていて『このドライバーは速いな』と。当時はGTにもスポットなどでトヨタから乗っていたけど、僕の方から声をかけた」と、最初のアプローチが長谷見氏側だったことを明かしたが、そこからすんなり移籍、とはいかなかったようだ。

「本当なら2007年にデビューする予定だったんだけど、1年ズレたんだよ。僕がロニーを乗せたいとニスモに言ったんだけれども、その時、ニスモの方ではすでにホンダで乗っていた外国人ドライバー(セバスチャン・フィリップ)と約束がされていた。本当はロニーを1年前から乗せたかったんだけどね」

 それでも翌2008年にロニーを迎え入れると、その年の第7戦もてぎでロニーはスーパーGTで初優勝を挙げた。チームメイトの横溝直輝にとってもGT500初優勝だった。

「ロニーは最初からなんでも乗れるドライバーだったね。フォーミュラでも、ツーリングカーでも。そういうドライバーはすぐにタイムを出すことができるよね。(2008年第7戦もてぎでの優勝は)そうか……もう忘れたね(苦笑)」

 続いて、長谷見氏は日本で活躍できる外国人ドライバーの特徴に言及した。

「僕が外国人のドライバーを選ぶ基準はね、やっぱり見ていてなんでも乗ることができるドライバー。そして、乗ってすぐにタイムが出ること。そしてもうひとつはね、すぐに日本語を覚えようとして、しゃべれるようになるところ」

「というのもね、早く(自分の母国に)帰りたい外国人ドライバーは日本語を覚えようとしない。でも、ロニーはすぐに日本語を覚えて、その頃から日本語を話していた。(ミハエル)クルムもそうだよね。そういう気持ちと、日本の言葉を覚えようとしないと(日本では)長く続かないよね」と長谷見氏。

「スーパーGTは混走が難しくて日本最高峰のレースですから、なかなか慣れるのに時間がかかるけれども、ロニーはすぐに慣れた。とにかく器用なんですよ。ただ、フォーミュラに乗るチャンスはなかったね。巡り合わせがよくなったというかね」と続けた。

 活動を発表したロニー本人から、長谷見氏への報告もあったという。

「発表した、その日のうちに電話がありました」と長谷見氏。

 ロニーのその律儀な性格には、改めて驚かされる。

「そりゃそうでしょ。最初に(自分がスーパーGTのニッサン陣営に)引っ張ってあげたのだから。いやでもね、そういう面でロニーは本当に偉い。僕らの時代には必ずあったのですけど、今の若いドライバーは先輩に『盆暮れ(ぼんくれ)』って、ほとんどないんですね」

「僕たちの時代にはお盆と暮れ(年末)に挨拶やお歳暮を先輩にしたものだけど、ロニーはいまだに贈ってきてくれる。偉いよね。僕がこれまで教えた他の若いドライバーたちからはもらったことがない(苦笑)。それまでの家庭環境、親の影響なのかな、日本人らしい礼儀とか義理とかしっかりしているよね」と、長谷見氏。

 まさにロニーの人間性が伺えるエピソードと言える。その長谷見氏は報告してきた電話でロニーになんと答えたのか。

「びっくりしましたけど、ただ、ここのところスーパーGTのレースを見ていても飛び抜けて速いというわけではなくなってきていたからね。そろそろかなとは思っていた。ニスモとしても若いドライバーを育てたいだろうしね。それでもロニーは45歳? よく走ってきたよ。やっぱりだんだん、体力とか視力とかいろいろな面で落ちてくるんですよね。これはしょうがないですよ。ですので、電話をもらった時には『お疲れさま』という感じでね」

 最後に長谷見氏に、今季のスーパーGTについて聞いた。

「年間に何回かはスーパーGTに行って、行かない時でもテレビでは毎戦確実に見ています。まあ、見ていて言えることは、クルマはともかくとして、タイヤはね……。日本はタイヤメーカーがいっぱいあって、こんなにタイヤメーカーがたくさんある国は世界にはないんですけど、今年見ていて、だいたい勝っているタイヤメーカーが決まっている。勝てないタイヤメーカーに乗っているドライバーが可哀想ですよ」

「せっかく才能があるドライバーでも潰れてしまう。辞めていってしまう。チームはタイヤメーカーとの契約金などで運営しているからしょうがないけど、ドライバーはそうじゃない。ドライバーが可哀想で、タイヤメーカーは3年ごとに交代するようになればいいんだけどね」

 近年のスーパーGTへの私見だけでなく、ロニーへの思い出と合わせて、最後までドライバー想いの長谷見氏らしい見解と感想だった。

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  • 長谷見の生存確認は嬉しいが老害の極みになってる。
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