佐藤琢磨への“直訴”も結実、海外挑戦の太田格之進が抱く『その先の夢』。LMP2で追加参戦の可能性も

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2024年12月11日 20:00  AUTOSPORT web

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2025 Honda Racing 四輪レース体制発表会に出席した佐藤琢磨HRCエグゼクティブアドバイザー、HRC渡辺康治社長、太田格之進
 12月11日、都内で行われた『2025 Honda Racing 四輪レース体制発表会』にて、IMSAウェザーテック・スポーツカー選手権GTPクラスへの参戦が明らかとなった太田格之進。アキュラARX-06をドライブし、シリーズ開幕戦かつ最大のイベントであるデイトナ24時間レース、さらにワトキンス・グレン6時間、インディアナポリス6時間という3つのレースへの出場が明らかとなったが、会見後の取材では参戦決定への経緯や2025シーズンのIMSAへのさらなる出場可能性、そして将来に描く夢などが太田の口から語られた。取材に同席した佐藤琢磨HRCエグゼクティブアドバイザーのコメントも交えながら、お届けする。

■伝え続けていた海外への想い

 記者会見の壇上で琢磨アドバイザーは、太田が早くから海外挑戦の意思を周囲に伝えていたと明かした。

「自分は2019年からスクールを見ていますが、彼は2018年のスカラシップ生だったということで、じつは2019年を通してかなり注目している選手でした」と琢磨アドバイザー。2019年といえば、太田にとってはFIA F4への参戦初年度だ。

「2019年の終わりだったと思いますが、僕の出るイベントを聞きつけた彼が自ら連絡をしてきて、『どうしても時間を作って欲しい』というとで、個人的に相談を受けました。そこで『とにかく世界に行きたいんだ』と、ものすごいアピールを受けたんですね。本当に初々しく思いながらも、ずいぶんとしっかりと考えを持ったドライバーだなと思いました」

 太田自身は、この琢磨アドバイザーへの“直訴”が発端という認識ではなく、キャリアを始めてから常に「上を目指す気持ちは誰にも負けない」と思い、海外を意識しながらやってきたという。思い描いていたのは、やはりF1だったのだろうか?

「あまりどのカテゴリーというのは決めてなくて、世界的に認識されているカテゴリーでやりたい、という感じでしたね。事あるたびに『何かないですか?』『何か(海外に)行けないっすか?』と言い続けてはいました」と太田。

 もちろん、“ただ言うだけ”ではなく、努力も重ねてきた。幼稚園からインターナショナルスクールに通っていたことで英語でのコミュニケーションには覚えがあったが、スーパー耐久に海外チーム(クラフト・バンブー・レーシング)から出場することで、レースの中での生きた英語、必要とされるコミュニケーションも磨いていった。

 2023年にスーパーフォーミュラにステップアップした太田にとって、転機となったのは最終戦での初優勝だった。時を同じくして、アメリカでのレース活動を担ってきたHPD(ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント)が『HRC US』と社名変更・リブランドされたことで、日本のHRCとのつながりも強化された。琢磨アドバイザーも後述するように、スポーツカーレースの最高峰を戦うARX-06に誰か日本人ドライバーを、となったときに、自然と太田の名前が浮上する流れはできていたと言える。

■「いまだに涙が出る」2017年インディ500

 太田にとっては悲願の海外挑戦が決まった形だが、「まったくゴールだとは思っていない」と、本人は“その先”を見据えている。

「チーム(メイヤー・シャンク・レーシング)はインディカーもやっていますし、僕としてもル・マンだとか、インディ500だとか、ここまで来たからには、そういうところまで行き切らないとダメだと思います」と語る太田の目つきは力強い。

「2017年の、琢磨さんが勝ったインディ500。いまだに、あのレース見ると涙出るくらい感動するんですよ。やっぱり、やりたいのはあれなんです。(勝ったら)一生、言えるじゃないですか。世界三大レースで勝ちたい。それはドライバーなら誰しも心の中にあることだと思うんですけど、いま自分はそこにどんどん近づいて行ってるなと」

 さらに太田は、自身のキャリア形成を超えた、海外挑戦の『もうひとつの大きな理由』も口にした。

「レースファンじゃない人でも、その名前を知っているということですね。スーパーフォーミュラもスーパーGTもいま盛り上がってますし、認知度も上がっていると思いますけど、やっぱり『デイトナ24時間』『ル・マン24時間』『インディ500』『F1モナコ』といったイベントは、別(格)の認知があると思うので、そういったレースのひとつに出られるのは本当に名誉だと思っています」

 すでに11月のIMSA公式テストの時点で速さは見せることができており、「あとはエマージェンシーだとか、何か起きたときのルールとか、スイッチ類の操作だとか、そのあたりのエラーを減らしていく方向になると思う」とデビュー戦に向けた現状を冷静に語る太田は、今週のスーパーフォーミュラ鈴鹿テストの後、またも渡米してテストに参加するという。

 ただし、これはテスト規制の厳しいLMDhカーではなく、LMP2車両でのものになる。

 さらに、2025年のアキュラARX-06での出場レースはこの日発表された3イベントのみだが、それ以外もLMP2クラスから出走するレースが予定されている模様。3月のスーパーフォーミュラ開幕翌週に行われるIMSA第2戦セブリング12時間レースにも、LMP2クラスに出場する可能性があるようだ。出場チーム等は、追って発表されるだろう。

「もちろん結果は求めつつも、来年はアメリカという土壌に慣れつつ、サーキットの習熟など、いろいろな意味で“成長どころ”ですね」と太田は2025年に始まる挑戦を広い視野で捉える。

「それがまた再来年以降につながってくると思うし、僕としてはそんなに焦っているわけでもなく、短期的なゴールというよりはある程度中長期的にプランを組み立てて、やっていきたいと思っています」

■悲運のSFもてぎ戦、2日後に届いた吉報

 取材に同席した琢磨アドバイザーも、今回の太田の挑戦には大きな期待をかけている。

「2019年に話をして、その後パンデミックになってしまって、みんながうまくレースできる環境ではなくなったなかですごい頑張っているのは見ていました。だからSFに乗れるチャンスがあったときは、すごく嬉しかったですね」と琢磨アドバイザー。

「(2023年最終戦の)初優勝の後は、『本当に良かったよね、来年に繋げようね』という話をして、今年はエグゼクティブアドバイザーとして多くのレースに帯同させてもらって、カクのレースも本当に間近で見て。スタートできなかったり、アクセル関係のトラブルが出たりとかが続いてしまったけど、トップコンテンダーとして常に戦っていたカクの成長は、ずっと見ていました」

 琢磨アドバイザーによれば、HRCの世界的なブランド統一の動きが始まったときから、この種のプロジェクトの話は内部で出ていたという。「ドライバーもある程度は目星がついていたんだけども、『いつ言うか』みたいなタイミングについては、HRCのなかでもずっと話はしていました」。

 その話は2024年8月頃にはまとまりかけていたようで、琢磨アドバイザーはIMSA挑戦の話を携えて、スーパーフォーミュラのモビリティリゾートもてぎ戦に向かった。結果はご存知のとおり、ダンディライアン同士の激しいトップ争いの末、最後は太田のスロットルトラブルにより、勝負が決してしまった。

 号泣しながらピットに帰ってきた太田の隣には琢磨アドバイザーの姿があったが、さすがにIMSAの話はできなかったという。太田にはもてぎ戦の2日後に、「こういう話があるんだけど」とアメリカ挑戦が伝えられた。

「伝えたら、もう一気にテンションが上がって。その後のレースもずっとトップコンテンダーで来てくれてましたから。今日こうやってようやく正式に発表できて、過去2カ月、彼はもう家に帰れないくらい忙しい生活を送っていて、いまはいろいろなことを吸収している最中だと思うので、本当に楽しみですね」(琢磨アドバイザー)

 そして世界への挑戦が決定した状況のなか、太田はSFの最終鈴鹿ラウンドで2連勝を遂げる。「(アメリカに)行くって決まってるのに最後に10番手とか走っていたら、今日も恥ずかしいじゃないですか(笑)」と、負けられない状況であったことを振り返った太田。琢磨アドバイザーも、その種のプレッシャーがかかる状況のなかで2連勝を達成したことは「頼もしかった」と評している。

 まだアメリカ現地でのレースを生で見たことはないという太田。2025シーズンはスーパーフォーミュラにも引き続き参戦することが発表されており、大陸間の移動を繰り返すタフな1年となりそうだが、海外挑戦の第一歩をどういった形で踏み出してくれるのか、まずは1月のデイトナ24時間レースから注目したい。

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