12月15日、東京都青山にあるホンダ・ウェルカムプラザ青山にて『Honda Racing 2024 SEASON Finale』が開催され、全日本スーパーフォーミュラ選手権でホンダ陣営として戦うドライバー、監督によるトークショーが行われた。
このファン感謝イベントは、例年12月に『Honda Racing THANKS DAY』がモビリティリゾートもてぎにて開催されていたところ、2024年はホンダの本社ビルであるウェルカムプラザ青山に会場を変更。名称も一新し、ホンダのレーシングドライバーやライダー、マシンが多数集結するイベントとなった。
週末二日間で多く展開されたトークショー企画のラストに近いころには、2024年でスーパーフォーミュラを勇退した山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)を主役とした『スーパーフォーミュラ フィナーレトークショー 〜尚貴ありがとう、これからもよろしく〜』が開催された。
特設ステージ会場の壇上には伊沢拓也監督(PONOS NAKAJIMA RACING)、牧野任祐(DOCOMO TEAM DANDELION RACING)、佐藤蓮(PONOS NAKAJIMA RACING)、岩佐歩夢(TEAM MUGEN)、そして2024年限りでシリーズ引退を決断した山本尚貴(PONOS NAKAJIMA RACING)の5人が登壇。さらにシークレットゲストとしてHRCの渡辺康治社長が花束を持って登場し、山本へ贈呈された。そして始まったトークショーでは、山本のフォーミュラ初参戦から引退までの15年間のあゆみを振り返りつつ、いまだから明かせる裏話を披露した。
最初の話題としてまずは、山本尚貴の2010年を振り返っていく。この時期はまだ、シリーズ名称が『フォーミュラ・ニッポン』であったころであり、山本はNAKAJIMA RACINGからデビューシーズンを戦っていた。当時についてどうだったかと聞かれ、「ちょっとこの世界でやっていくのは厳しいな、無理かもしれないと思いました」として、当時の記憶を赤裸々に振り返る。
「菅生のテストのときに最終コーナーでクラッシュしちゃって、マシンを全損にしてしまうなど、その時トップフォーミュラの洗礼を受けました。そのあと、開幕戦も戦い抜きましたけど息もあがっちゃいましたし、プロの厳しさを痛感した1年でした」
「(菅生テストの帰りについて)僕は父親と帰ったのですが、(マシンを全損させたことを受けて)そのとき父が『家をいま売ったらいくらになるかな……』と言っていて。そのときはまだチームと契約していなかったのですが、ちょうどマシンがローラからスウィフトに切り替わる年だったので、(チームとしては)次の年に必要となるクルマではありませんでした」
「ですが、壊したものをそのままにするわけにはいかないので、父親が『家を売ったらいくらになるか』と真面目に勘定しているのを見て参ったなと思って。ですが、まさかその(クラッシュした)NAKAJIMA RACINGからデビューさせてもらえるとは思いもしませんでした」
そして話題は、デビューから4年目の2013年、初代スーパーフォーミュラ年間チャンピオンに輝いたときの話に移り、モニターには当時チャンピオンを獲得した表彰台の写真が表示された。
「ここから自分の人生が変わったといっても過言ではないくらい、このチャンピオンが今の自分のポジションを確立させてもらいました。このチャンピオンがなければ、今ごろ違った人生になっていただろうなと思いますね」と山本は振り返る。
しかし、その翌年2014年からはマシン規定も新しくなったことで勢力図も一変し、王座から遠のく時期が続いた。そうして沈み込んだ時期を乗り越え、徐々に速さを取り戻していった山本は、2018年に2度目のスーパーフォーミュラ年間チャンピオンに輝いた。この時は、選手権3位で最終戦鈴鹿を迎えていたが、ポール・トゥ・ウィンで逆転したのちに王座を手にした。
「すべてのタイトルがギリギリで獲ってきたので……。今年の坪井(翔)選手のように余裕をもって獲ったというわけではなく、3タイトルとも最後の最後にギリギリで獲ったので、振り返ると『獲れてよかった』ですけど、当時は(チャンピオンを)獲れる確率はかなり低い局面が多かったので、3タイトルともすべてがいい思い出ですね」
さらに、チャンピオンを獲得した2018年の出来事として、山本にこんな珍事に起きていたという。
「この表彰台のあとにシーズンエンドパーティーがあって、みんながスパークリング(ワイン)を2本持ってシャンパンファイトをするセレモニーがありました。そこで全員が僕に(スパークリングワインを)かけてきて。そうしたら、皮膚から(アルコールを)吸収しちゃって、記者会見のとき一滴も飲んでいないのにベロンベロンになってしまい……。全身真っ赤になり寒くて震え上がるほどで、伊沢さんから『大丈夫か? 大丈夫か?』って心配してくれて。多分、それからシーズンエンドパーティーでシャンパンファイトがなくなったんだと思います(笑)」
その2年後、2020年には自身3度目のSF王者に輝いた山本。当時は、コロナ禍真っ只中だったこともあり足を運んだファンも少ない状況を振り返ったが、HRC渡辺社長が当職に就いたころでもあったことから「自分としては印象が強いチャンピオンで、嬉しかったですね」と、直々にお墨付きが告げられた王座となった。
参戦初年度から遡るようにして進んだトークショーだったが、ここまで登壇していた若手の佐藤や岩佐にとっては参戦前の話ということもあってか、ほぼ置いてきぼり状態で会話に混ざることができず。そこで司会進行のサッシャは声をかけると、山本は苦笑いしながら隣に座る佐藤のことを一目見て、「でも、そろそろ蓮の話が出てくる頃だよ」と、2021年の話を振った。
山本:「(佐藤へ)何があったか覚えているの?」
佐藤:「はい」
伊沢:「よく覚えていられるね、俺なら生きてられないよ(笑)」
山本:「ちょっと、(会場に)知らない人もいると思うから、この場で説明してもらってもいい?」
佐藤:「はい、あの〜……」
山本:「するの!? しなくていいよ、大丈夫」
牧野:「え、なんかありました?」
山本:「お前もほじくり返さんでいい!(笑)」
当事者たちがズバズバと語り進める様子には、集まった大勢のファンからも笑い声が。皆が揃って肩の荷を下ろしたような和やかな空気に包まれた。
そして、そんなアクシデントの2年後の2023年には、PONOS NAKAJIMA RACINGに佐藤蓮がTEAM GOHより移籍し山本のチームメイトに。
「もしかしたら、伊沢監督がいなかったら3年間も続かなかったかも(笑)。僕ら以上に周りがすごく気を遣っているのを感じましたね。そんなアクシデントもありましたけど、まさかスーパーフォーミュラで3年、彼とペアを組むことになるとは思いませんでしたけど、やってみたら彼のいいところも知ることができましたし、楽しかったです」と、佐藤と過ごした3シーズンを振り返った。
トークショーの終了時間が近づいてくると、最後は山本から会場、そしてライブ配信を見ているファンへのひとこととして、「出てくる言葉は“ありがとう”、そのひとことです。スーパーフォーミュラについては僕は乗りませんが、ここにいる3名(牧野、岩佐、佐藤)だけでなく、スーパーフォーミュラに参戦するドライバー全員が力を証明するステージをサポートできるように、自分なりに頑張ってみたいと思います。みなさん、またサーキットで応援しにきてください。よろしくお願いします。本当にありがとうございました」と締めくくり、会場は大きな拍手で包まれながらドライバーが降壇した。
2025年以降も、15年間スーパーフォーミュラに参戦した経験をもとに、レースを裏から支えていく山本尚貴のさらなる活躍に期待したい。