小林雅英は勝てば日本シリーズ進出の大一番で4点差を守れず逆転負け 娘からの「パパのバカ」のひと言に救われた

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2024年12月18日 07:30  webスポルティーバ

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セーブ制度導入50年〜プロ野球ブルペン史
「幕張の防波堤」小林雅英が語るクローザーの極意(後編)

 ロッテ入団3年目の2001年、小林雅英は開幕から抑えで活躍する。5月には6日連続セーブのプロ野球新記録を達成し、月間MVPを受賞。後半戦は疲労の影響で不調も、リーグ2位の30セーブを挙げた。前年8月、中継ぎから突然に配置転換されて以降は「無責任の境地」だったというが、いかにして成長を遂げたのか──。日米通算234セーブを挙げた小林に聞く。

【3つの球種で抑えられたワケ】

「毎日投げる可能性があるポジションになって、キャンプのブルペンで毎日50球を投げる、という練習をやったんです。僕は真っすぐとシュート、スライダーと、球種が少なかったんで、50球のなかでその球種を磨いていかないといけない。キレもそうですし、コントロールもそう。意図したところに意図したボールを投げられるか、考えながら投げていくことで向上できました」

 真っすぐとシュートは150キロを超え、縦のスライダーは140キロ近い。ほとんど緩急差もなく、抑えには必須とされるフォークもない。それゆえ小林の投球は球の力で押しているように見えがちだったが、実際にはコントロールの向上が何より結果につながっていた。

「球種が3つしかないので、もう相手もわかっているわけです。だから毎年、自分のボールを突き詰めて、精査して、磨き続けないといけない。じゃあ、そう考えながら、どうやってコントロールをよくするか。僕の場合は、自分のリリースポイントとキャッチャーミットでラインを引いて、そのラインに乗せていくようなイメージを大事にしていましたね」

 一段と制球力が向上した02年、小林は43登板で43回1/3を投げて与四球はわずか6。自責点4で防御率0.83と盤石の守護神となり、パ・リーグ新記録の17試合連続セーブ、プロ野球新記録の33試合連続セーブポイントを樹立。他球団に研究され、特に右打者がシュートを狙ってきても、それを逆手に取った。本塁打を量産するクリーンアップ相手でもまったく動じなかった。

「たとえば、ノリさん(中村紀洋/当時・近鉄)がシュート狙っていて、会心のファウルを打つとすごく気持ちよさそうな顔をするんですよ。でも、僕は心の中で『ありがとうございます』と。そのつもりで投げているし、しっかりカウントを稼げているわけです。それで次にスライダーを投げたり、シュートでも曲げる位置を変えたりすると、詰まったり、内野ゴロでアウトにできる。小久保さん(裕紀/ダイエー)もそうでしたね。うまい具合に追いこめると、打ち取れる確率が上がります」

【1勝に対しての執着心】

 自己最多の37セーブを挙げた02年に続き、03年も好調を維持して44登板で33セーブ。だが、ボビー・バレンタインが監督に復帰した04年は51登板で20セーブに終わり、8勝5敗、防御率3.90と安定感を欠いた。抑え失敗が目立ったなか、気持ちの切り替えはどうしていたのか。

「気持ちというか、僕は思考ですね。全部、自分で考えたことの表現、結果なので。だから失敗にしても、失敗の許容範囲をつくり出す。ここまではOK、これ以上の失敗はしないよねって。その範囲を超えての失敗もありますけど、それでも思考を切り替える。失敗の原因は必ずどこかにあるので、フォームなのか、バランスを崩していたのか、チェックするとすぐ修正できますから」

 前任者のブライアン・ウォーレンが抑えに失敗し、ロッカーで暴れて発散する姿を小林は見ていた。だが、思考を切り替える小林に発散の必要はない。失敗した時の映像を見られる時はじっくりと見て原因を探し、できる修正をしていたという。

 一方でチームの勝利、勝ち投手の権利を消したことについては、突然の配置転換後と変わらず「無責任」で通したのだろうか。

「先発ピッチャーには『さーせん!』って言ってましたよ。でもやっぱり、そこまで重く『すみません......』とは言わなかった。『文句あるならおまえ最後まで投げろよ』(笑)と、やや野手よりの感覚でしたね。ブルペンが長くなると、そんな意地の悪い、汚い考え方になるわけです(笑)。ただチームの勝利を消した失敗に関しては、その年は重かったですね」

 04年からパ・リーグでプレーオフが導入され、レギュラーシーズンの上位3球団がリーグ優勝を目指して戦うことになった。しかし、ロッテは3位の日本ハムと0.5ゲーム差の4位に終わり、プレーオフ進出を逃した。

「その年は何度か抑えに失敗して、僕に勝ちがついた試合もあれば、負けがついた試合もあって。それを考えると、僕が1つ負けてなかったら3位だったっていうのを、そこで初めて感じて......。1勝に対しての執着心が出てきたんです。これはチーム全体、そうなったと思います」

【4点差を守れずまさかの逆転負け】

 05年、序盤から投打が噛み合ったロッテは交流戦で初代王者となるなど、充実の戦力で快進撃。特に先発6人が2ケタ勝利し、薮田安彦、藤田宗一、小林の勝ちパターンが"YFK"と呼ばれた投手陣は強力だった。

 そして1位のソフトバンクに4.5ゲーム差の2位でプレーオフに進出すると、第1ステージは西武に連勝で突破。第2ステージも第1戦から連勝して優勝に王手をかけた。だが、第3戦の9回裏、4対0とリードしてマウンドに上がった小林に異変が起きる。

「4点差って十分すぎる点差なのと、31年ぶりの優勝ってことと、その1勝へのリスペクトが強すぎたのか、思考をコントロールできなくて集中できなかったんです。チームメイトは僕が投げる、必ず抑えるってことでソワソワしている。『あっ、やばい。集中しなきゃ』と思っているうちに、先頭の(ホルベルト・)カブレラに追い込んでからセンター前。その後、悪送球して......そこから覚えてないです」

 一死一、三塁となったあと、3連打を浴びて4対3。二死二、三塁となり、迎えた松中信彦を敬遠で満塁策も、つづくフリオ・ズレータに押し出し四球で4点差を追いつかれた。小林は降板し、延長10回裏、小野晋吾、藤田が打たれてサヨナラ負け。まさかの失敗となった試合後、小林はどう過ごしていたのか。

「ホテルに帰って、当時6歳の娘と電話で話した時に『パパのバカ』って言われて。そしたらポンって切り替わった。周りから『大丈夫?』とか『何で?』とか言われる前に『バカ』(笑)。こんな時もあるよね、と。それで明日のゲーム、僕が申し訳なさそうに体丸めてグラウンドに出たらチームに申し訳ないと思って、いつもよりも堂々と、偉そうに入っていきました」

【抑え投手の極意】

 その第4戦も2対3で連敗して2勝2敗。逆王手をかけられたロッテだったが、第5戦は序盤で2点ビハインドも後半に3点を取って逆転。9回には当然、小林が登板した。

 だが、先頭の大村直之を四球で出す。1点差だけに、ベンチも守る野手も心穏やかではなかっただろう。それでも、大喜びで一塁に向かう大村を冷めきった目で見るほど、マウンド上の小林は落ち着いていた。

「自分のなかでは、『ツーベースを打たれるなら、最悪フォアボールでいい』なんです。次の鳥越(裕介)さんはたぶんバントなんで、1点差で一死三塁をつくられるよりも、大村にはボール球を振ってくれたらラッキーって投げて、結果フォアボールでもいいと。案の定、バントで一死二塁になりましたけど、プランどおり。いつも3つのアウトを取るプランを立てていたんですけど、4点差を逆転された時は、ただアウトをほしがって失敗したんです」

 冷静なまま後続の柴原洋、川?宗則を打ち取り、胴上げ投手となった。抑えとなって以来、コントロールよく球威十分の球を投げつつ、三者凡退にも無失点にも特別こだわらなかった。与えられた条件の中でどうやって勝って終わらせるか、思考を組み立ててきた小林にとって、投手人生最高の瞬間だった。

 阪神を4連勝で下した日本シリーズでも最後を締めた小林は、3年後の08年からインディアンス(現・ガーディアンズ)でプレー。10年に巨人、11年はオリックスと移り、同年限りで現役を引退。その後はオリックス、ロッテでコーチを歴任し、女子野球、社会人野球でも投手を指導していた。あらためて、指導者の目で見て、抑え投手は何が一番大事なのか。

「準備とか技術とか思考は当たり前として、どの状況でもバッターとケンカできるかどうか。僕自身、30歳を超えてガッツポーズしていたのも、ケンカしていたからなんです。"タマの取り合い"じゃないですけど、アウトって『死』って書きますよね。取れなかったら自分が死ぬし、取ったら相手が死ぬ。飄々とやって抑えられるほど、甘いところではないと思ってるんで」

(文中敬称略)


小林雅英(こばやし・まさひで)/1974年5月24日、山梨県生まれ。都留高、日本体育大、東京ガスを経て、98年のドラフトでロッテから1位指名を受け入団。2年目以降はロッテのクローザーとして活躍。2005年は最多セーブのタイトルを獲得するなど、チームの絶対的守護神として「幕張の防波堤」の異名をとった。通算200セーブを達成したあと、MLBのクリーブランド・インディアンス(現・ガーディアンズ)に移籍。帰国後は巨人、オリックスでプレー。11年に現役を引退し、その後はオリックス、ロッテでコーチを務め、19年は女子プロ野球の投手総合コーチに就任。21年から24年まで社会人野球のエイジェックで投手総合コーチを務めた

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  • ロッテ3大劇場→小林劇場、薮田劇場、益田劇場に、最近は澤村劇場が出てきたわ。
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