1月2日・3日に行なわれる第101回箱根駅伝(217.1km/往路107.5km・復路109.6km)の優勝候補・國學院大。そのチームで1年時から主力として支えてきたのが4年生のふたり、平林清澄と山本歩夢である。
ともに入学前から互いの存在を意識し、高め合ってきた。平林は学生界を代表するランナーに成長し、山本は紆余曲折を経ながらも今季、チームの屋台骨としての活躍を見せている。
『4年目に箱根駅伝で総合優勝しよう』。入学してからずっと言い続けてきたふたりの合言葉は今、現実の目標となり、満を持して勝負の時を迎えようとしている。
【入学前から意識し合う存在に】
國學院大学に入学する前からふたりの合言葉は、ずっと変わらなかった。
「4年目に箱根駅伝で総合優勝」
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平林清澄と山本歩夢の思いはひとつ。それもそのはずである。高校時代に前田康弘監督からスカウトされたときに同じ口説き文句に惹かれたのだ。
「一緒に箱根駅伝で初優勝しよう」
山本は、福岡県の自由ヶ丘高校から上京してきた4年前のことをはっきり覚えている。國學院史上初となる13分台(5000mの記録)の大型ルーキーとして迎えられ、誰よりも評価されていた。ただ、2月の沖縄合宿で平林の走る姿を初めて見たときに、危機感を覚えたという。
「こいつは強いなって。自分のほうがタイムを持っていましたが、同じレースを走れば、勝てる確証はないなと思いました」
山本が肌で感じた実力は、本物だった。平林は1年目の前半から台頭し、駅伝シーズンが始まる頃には主力メンバーのひとりになっていた。出雲駅伝、全日本大学駅伝で区間5位以内にまとめる堂々とした同期の走りを見るたびに、唇をかんだ。
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故障に苦しんでいた山本が初めて学生三大駅伝の舞台に立ったのは、1年目の箱根駅伝。往路の3区に抜擢され、区間5位と好走する。役割をしっかり果たし、安堵した思いで2日目へ。すると、復路で衝撃を受ける。9区にエントリーされた平林はシード圏内ぎりぎりの10位で襷を受けると、圧巻の5人抜き。裏のエース区間と呼ばれる場所で区間2位の快走を見せ、チームを救ったのだ。その後も、2022年2月に山本がハーフマラソンで日本人学生歴代2位(当時)となる1時間00分43秒の自己ベストを更新すれば、その翌月には平林が日本学生ハーフマラソンで初優勝。山本が走れば、平林も負けじと結果を残してきた。
「僕が記録を出すと、平林はめちゃくちゃ調子がよくなるんですよ。誰もできないような練習を楽にこなしますから。学生ハーフのときもさすがだな、と思いました。勝ちきるのはすごかった」
互いに切磋琢磨し、下級生の頃の山本は対抗心を隠さなかった。
「入寮時は僕のほうがタイムは速かったので、平林の活躍を見るたびに悔しさが込み上げてきました。自分も絶対に上り詰めてやるぞって。一番近い存在だけど、一番負けたくない」
一方の平林も、山本を意識していた。
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振り返れば、福井県の美方高校時代までさかのぼる。國學院大への進学が決まっていた山本のことを知るコーチから、ハッパをかけられていたという。
「『山本くんは13分48秒を出したって』と言われたのは覚えていますね。僕は記録会にどれだけ出ても、13分台を出せなかったので。あのときから、いつか歩夢には勝ちたいと思っていました」
大学に入学したあとも、ライバル心を持ち続けた。ハーフマラソンで同期が1時間00分台を出せば、負けず嫌いの魂に火がついた。國學院大のコーチから山本が大会前に練習していたタイム設定を聞き、それよりも速いラップで走っていたという。
【3年目の経験を力に変えて】
2年時になってもつば競り合い続け、ふたりそろってチームの主軸に成長。三大駅伝でも主要区間を走り、結果を残してきた。2年目の箱根駅伝は平林が2区で区間7位と踏ん張って襷をつなぐと、山本は3区で区間5位と力走した。
3年目はともに副キャプテンとなり、さらに飛躍していくはずだった。しかし、2023年度は『明と暗』に分かれてしまう。平林は伊勢路の7区で区間賞を獲得し、箱根路では2区で区間3位。名実ともに学生長距離界のトップランナーになったが、山本は苦しんだ。夏合宿の後半で故障し、歯車が狂う。伊勢路の2区では区間11位とブレーキを起こし、11月末には右の大腿骨を負傷。箱根駅伝の出走も断念するしかなかった。
「3年目は空回りしたところもありました。故障中に平林との差もどんどん広げられて」
それでも、4年目は心身ともに落ち着いて取り組んできた。春先から故障や体調不良に悩まされたが、大崩れはしなかった。夏合宿の途中から徐々にコンディションを上げ、10月の出雲駅伝は2区で区間5位にまとめた。11月の全日本大学駅伝ではつなぎ区間の6区を任されると、三大駅伝で初の区間賞を獲得し、初制覇に大きく貢献。区間新のタイムを出し、MVPにも輝いた。
絶対的なエースの平林とともに強い國學院を足でけん引しながら、チームづくりにも心を砕く。副キャプテンとして、主将の平林を献身的にサポート。すべてが順風満帆だったわけではない。一時期は平林の求めるストイック過ぎる取り組みに同期がついていけず、不穏な空気が流れたこともあったようだ。そのときも、山本は陸上一直線に突き進む相棒から離れず、そばで支えてきた。
「常に上を目指す平林の陸上観を大事にしてほしかったんです。何があっても、僕は理解者であることを伝えました。箱根駅伝で総合優勝を目指すうえでは、絶対に必要だと思ったので。國學院のなかで、最も経験値が高いのは平林です。1年生のときからほとんど故障することなく、すべての駅伝で結果を残していますから」
外からは見えない壁を乗り越え、いまはチーム一丸となり、最終目標に向かっているという。山本自身、苦労を重ねて、人間的にも成長してきた。
「3年目の経験が生きていると思います。精神的に間違いなく強くなりました。スタートラインに立てば、誰にも負ける気がしません。気持ちだけではなく、足もついてきています。いままでにないくらいよい練習を積めているので」
底抜けに明るい表情からは状態のよさが、ひしひしと伝わってくる。1年時から平林と一緒にジョグをするたびに話していたことを、ふと思い出す。
「『4年目に箱根駅伝で総合優勝しよう』と言い続けてきましたので」
故障中に掛けられた熱い言葉もよみがえってくる。
「俺は歩夢と一緒に優勝したい。待っているから」
そして、いま三冠に王手をかけ、叶うと信じてきた夢を実現しようとしている。4年前と比べると、可能性は比較にならないほど高まっているはずだ。