山下舜平大、柴田獅子、山城航太郎...ドラフト指名続出! 福岡大大濠が誇る投手育成の極意

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2024年12月23日 07:30  webスポルティーバ

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 福岡県で近年、毎年のように好投手を輩出している高校がある。春5回、夏3回の甲子園出場を誇る福岡大大濠高だ。今年は、投げては最速149キロ、打っては高校通算19本塁打の二刀流・柴田獅子(れお/3年)が、日本ハムからドラフト1位指名を受けた。OBの最速154キロ右腕・山城航太郎(法政大4年)も同6位指名と、来年は北の大地での共闘が見られるかもしれない。

【指揮官が重要視する「考える力」】

 恩師の八木啓伸監督は、ふたりの愛弟子がプロへの扉をこじ開けたことに安堵の表情を浮かべた。

「柴田に関しては、私が思い描いていた高校時代での到達点に余力を残して到達できたと思っています。山城は高校時代、おもに野手だったのですが、本人は投手をやりたいという意思を強く持っていました。大学3年までは思うような結果が出なかったので『腐らずに頑張れ』という話をしていたのですが、4年で結果が出て、望んでいたプロというステージで野球ができる機会をいただいたので、柴田とはちょっと違う嬉しさがありますね」

 福岡大大濠の専用グラウンドは、大濠公園のそばにある校舎から車で30分ほど離れた「九大学研都市駅」の近くにある。2008年に竣工し、5年後の2013年、隣に福岡大のグラウンドが完成したタイミングで外野が人工芝となったが、ウエイトルームは校舎にしかなく、「(水の特性を利用した体幹トレーニング器具の)ウォーターバッグがあるくらいですかね」と笑う。

 そのような環境下で、なぜこんなにも好投手が生まれるのだろうか。八木監督はまず、選手たちの「考える力」に着目する。

「今はいろいろな情報がありますから。まずは自分に不足していることは何かを考えさせます。私からも『ここを強化すべきじゃないか』と求めているところを伝えたうえで、トレーニングの方向性が間違っているようだったら正していきます。私は選手たちが真っ直ぐに伸びるための"添え木"になれたらいいと思っています」

 自主性を尊重した投手指導で、大切にしている3つの方針を明かしてくれた。

 まず1つ目は「常に余力を持たせる」。八木監督は2004年から福岡大大濠高のコーチに就任し、大石達也(早稲田大→元西武)や川原弘之(元ソフトバンク)を指導。2010年に監督昇格以降は、浜地真澄(阪神→DeNA)、坂本裕哉(立命大→DeNA)、山下舜平大(オリックス)らをプロに輩出してきた。その教え子たちは、高校で燃え尽きることなく、伸びしろを残して卒業していった。

「球種であれば、あれもこれも覚えさせず、真っ直ぐと、何かひとつ自信があるボールを意図して操れるようになってからですね。まずは階段を一段ずつ上がっていこうということ。柴田に関しても、カーブとスライダーのみで、基本的に多くの球種を投げさせることはあまりしていません。多くても3つぐらいだと思います」

 近年は高校生でもフォークやチェンジアップに加え、カットボールやツーシームなど、多彩な変化球を操る投手は数多くいる。もちろん、本人と話し合った上で、球種を増やすことはあるが、まずは現状の持ち球を磨いて行くことに重点を置いている。

【球速よりも制球力】

 2つ目は「球速にはこだわらない」。八木監督自身、福岡大大濠から立命大に進み、野手として活躍するなかで、球速よりも「打ちにくい投手がいい投手」と体感してきた。こだわっているのは「制球力」だ。

「球速は意識して上げるものではなく、勝手に上がってくるものだと思っています。そこを意識すると、リズム、バランスがずれるひとつの要素になってきます。高校時代は球速ではなく、8、9割方は制球力で、あとは対打者との洞察力というか、見えない部分の話ばかりをしています」

 2017年のセンバツで8強入りに貢献した三浦銀二(法政大→元DeNA)は、2学年上の坂本、1学年上の浜地に球威こそ劣ったが、制球力に長けていたため、ベース板をワイドに使って打者と勝負することができた。3年になり、球速も140キロ台後半までアップ。制球力と球速を兼ね備え、U−18日本代表にも選出されるなど、世代を代表する投手のひとりとなった。

 八木監督の20年を超える指導歴のなかでも、三浦は「打ちにくさ」の点で、山下と双璧を誇る。今季限りでDeNAを戦力外となったが、まだ24歳。現役をあきらめるような年齢ではない。

「三浦は打者が踏み込んできたら内角を攻めたり、外角への変化球で追いかけさせたりしていました。山下は縦の変化でしたが、三浦は横の変化で打者を打ち取っていました」

 3つの方針の最後は「我慢」。若い頃は選手と一緒になり、手取り足取り指導した時期もあったが、最近は「少し我慢をするということがわかってきた」という。

 転機は、立命大で同級生だった田中総司さんからの"金言"だった。田中さんは大学当時、最速145キロ左腕として注目を浴び、1999年ドラフトでダイエー(現・ソフトバンク)を逆指名して1位入団。しかし、左ヒジの手術や、サイドスロー転向などでフォームを見失い、わずか5年、5試合のみの登板で戦力外となり、現役を引退した。

「彼はプロに入って周りからいろんな指導をされ、それを取り入れようとして、僕らが知っていた本来の姿ではなくなってしまいました。そういう話を彼とした時に、『投手はすごく繊細なので、投げたいように投げさせた方がいい』と言われたことがずっと頭のなかに残っていました。それからはあまり詰め込みすぎず、自分で気づいてもらうまで我慢しています。自分で気づくことができた時に、グッと伸びていくという気がしますね」

【野手の練習もさせる】

 ただ高校野球は、2年3カ月ほどの限りある期間で、甲子園出場を目標に活動をしていく。気づきがない選手に対しては「言いたいことが喉元まで来ることもある」が、目的は何かを考え、思いとどまるという。

「もっとこんな球種を覚えたら、この子にとっては"今"はいいのかなと思ったりもするけど、『いや、大事なのは"今"じゃなくて、この子の将来だ』とか...。もうずっと我慢している感じです(笑)。でも、基本心がけていることは『投げたいように投げろ』ということ。もちろん目標は甲子園ですが、目的は彼らの将来や人生です。だから、目標と目的が逆にならないようにやっています」

 投手だけに偏ることなく、野手の練習をさせるのも福岡大大濠の特徴のひとつだ。山下も入学時は三塁を経験。柴田も一塁や左翼を守らせることで、二刀流の可能性を引き出した。

「野手が守りづらい投手になってほしくないんです。客観的に投手を見ることで学べることは多くあります。野手の練習は下半身強化にもなるし、起用な子には三塁をやらせたり、外野もしっかりと足を使って投げていかないといけないので、そういう狙いを持ってやらせています」

 新チームからエースナンバーを背負う左腕の中野悠斗(2年)も、外野手の練習をしている。中学時代は北九州市立田原中でプレー。高校から硬式に変わるタイミングで「いい投手を多く輩出して、自分に向いている環境だと思ったので」と、福岡大大濠高の門を叩いた。最速は131キロながら、身長は185センチと大型で、ひと冬越えれば大きく飛躍するポテンシャルを秘めている。

「中野に関しては、小さくまとまらず、大きく見える投手を目指してほしいということを話しています。左投手でサイズもありながら、今はかわしていくタイプなので、もっと躍動感が出てくれば自然とスピードも上がるだろうし、打者を飲み込んでいける投手になれると思っています。伸びしろは十分なので、いかに彼のハートに火をつけてあげて、どう取り組んでいくのかを楽しみにしています」

 今秋の東京六大学秋季リーグ戦、立大−明大の1回戦では、勝利投手が森本光紀(立大2年)、敗戦投手が毛利海大(明大3年)と、OB左腕ふたりに白星と黒星がついた。プロアマ問わず、卒業生たちが活躍する姿に「本当にうれしいですね」と目尻を下げる。

「基本的に、自分磨きは自分でやろうよという話をよくしています。そうすることで地力がつくし、僕は磨いてはあげないけど、困った時に何か手を差し伸べられたらいいのかなと。みんな自分でやるというスタンスを持っているので、上でもやれているのではないでしょうか」

 八木監督はこれからも「選手ファースト」の立ち位置から、好投手を輩出し続ける。

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