西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第28回 マルティン・ウーデゴール
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
今回はアーセナルのキャプテン、マルティン・ウーデゴールを紹介。16歳でレアル・マドリードと契約した天才少年は、現在26歳。順調なキャリアではなかったものの、10年の時を経てトップクラスに戻ってきた稀な例です。
【「天才少年」から10年】
2シーズン連続でファンの選ぶクラブ年間MVPを受賞したキャプテン、マルティン・ウーデゴール(アーセナル)も26歳になった。
その名が世界に知れ渡ったのは16歳、レアル・マドリードとの契約である。
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ノルウェーのストレームスゴトセトでは、14歳ですでにトップチームのトレーニングに参加していたという。すぐに昇格して活躍、16歳の時点では30クラブからオファーがあった。
レアル・マドリードとは6年契約。Bチームのカスティージャでプレーする条件つきとはいえ、いったいどんな天才少年なのだろうと思ったものだ。しかしその後、ウーデゴールの名を聞くことはなくなっていった。トップチームでプレーすることはほとんどなく、オランダのヘーレンフェーン、フィテッセへ貸し出された。
スペインに戻ってレアル・ソシエダでの活躍が21歳。まだ若手なのだが、しばらく経っていたので「ああ、あの選手か」と思い出した時は懐かしい感じさえしたものだ。レアル・ソシエダで主力としてプレーした後、ようやくレアル・マドリードに戻ったが構想外とされ、アーセナルへ貸し出し。2021−22シーズンに完全移籍となる。
アーセナルではその才能が開花した。2シーズン目にはキャプテンを任されている。そして今や世界最高クラスのMFと認識されるようになった。天才少年が期待どおりの選手になるまで、およそ10年を要したことになる。
ペレは17歳で世界チャンピオンになり、そのままサッカーの王に上り詰めた。ディエゴ・マラドーナも10代からキャプテンマークを巻き、20歳の時にはすでに世界最高の選手のひとりだった。リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニーなど、10代でデビューする天才児は、少なくとも表面上は順調にキャリアを駆け上がっていった印象がある。
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そうでなければ、10代の天才はそのまま忘れ去られている。
世間が大騒ぎした後、ほとんどその名を聞かなくなり、突然表舞台に現れるというウーデゴールのような例は極めて稀なのではないだろうか。
【23歳でアーセナルのキャプテン】
ノルウェー代表の初キャップは最年少記録の15歳。左利きのテクニックと類まれなパスセンスは、注目の的だった。
ラストパスのうまさは同じ北欧出身のミカエル・ラウドルップを思わせるものがあり、それは現在でも変わらない。ボールが通る道筋を瞬間的に見つけ出し、最適のタイミングと球質を調整する能力が図抜けている。
こうした才能は10代ですでに表れているケースが多い。ウーデゴールのような10番タイプだけでなく、GKもDFもFWもそれぞれの特別な能力はすでに表れているものなのだ。ただ、それだけではプロにはなれても、プロのなかで成功を収められるとはかぎらない。
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同世代では飛び抜けた存在だったウーデゴールでも、レアル・マドリードに行けば未熟な選手にすぎなかった。トッププロの選手たちは天才の集まりだからだ。自分の得意分野でひけをとらなくても、不得意分野で負け続ければポジションはとれない。
ウーデゴールに限らず、天才MFの落とし穴はたいてい守備である。同世代では問題なくても、トッププロとなれば恐ろしく速く、あるいは強く、うまい選手を相手にしなければならないわけで、そこで戦えない選手は確実に淘汰される。チームの穴になってしまう選手を起用することはできない。
つまり、才能はその選手がどのレベルまで行けるかの可能性を示しているが、実際にそこに到達できるかどうかは不得意な分野で決まるということ。例えばプレミアリーグで通用する攻撃の才能があるとすれば、問われるのはプレミアで少なくとも平均レベルの守備ができるかどうかだ。
アーセナルでのウーデゴールは、守備での貢献度も高い。素早くプレスし、戻って守備を助ける。抜群の運動量と、球際で戦う強さを示していて、モダンなプレーメーカーの代表格となっている。
ただ、その守備力を身に着けるのに約10年を必要とした。その間、諦めずに精進し続けた精神力は、並々ならぬものがあったに違いない。移籍したチームですぐに、23歳の若さでキャプテンを任されたのは、10代から発揮していた才能によるものではなく、10年間で磨かれてきたものがあったからではないかと思う。
【冷静さ、辛抱強さこそ才能】
旧ユーゴスラビアの名将ミリヤン・ミリヤニッチは、かつてこう言っていた。
「コーチは10年先を見なければならない。10年後のサッカーには何が要求されるのか。それを見越して子どもたちを指導しなければならない」
10年先を予見するのは容易ではない。ただ、15歳の選手が25歳になった時にサッカーがどうなっているか、そのために今から身に着けておくべきことは何なのか。それを踏まえて指導する責任があるというミリヤニッチの言葉は説得力があった。
さらに天才的な10代となれば、早々にプロの試合に放り込まれる可能性が高く、いきなり厳しい競争のなかを勝ち抜いていかなければならない。
ルカ・モドリッチは18歳でクロアチアの名門ディナモ・ザグレブのトップチームに昇格したが、すぐにボスニア・ヘルツェゴビナのクラブに貸し出された。プレー環境はかなりの厳しさだったようで、後にモドリッチは「あそこでプレーできれば、どこでもできる」と話していた。タフな環境でMVPに選出される活躍をみせ、ディナモ・ザグレブに戻っている。
そもそも貸し出された理由は、同年代の同じポジションにニコ・クラニチャールという天才選手がいたからだが、モドリッチはクラニチャールを凌駕する選手に成長していった。
レアル・マドリードに来た16歳のウーデゴールがポジション争いで勝たなければならないのは、こういう選手たちだったわけだ。泥まみれで危険なタックルと戦い、同世代の天才少年を凌駕した天才に勝たなければならないというのはハードルが高すぎる。
おそらくウーデゴールは、自分に何が足りないか理解していたのだと思う。それを得るために10年を使えたのは、すでに持っていた能力があったからだろう。いわば才能を担保に入れて時間を稼いだ。その冷静さ、辛抱強さこそ、ある意味最大の才能だったのかもしれない。
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