JR東海初代社長の須田寛(すだ・ひろし)さんが13日、老衰のため死去した。93歳だった。京都市出身。後日「お別れの会」を開く。
京都大法学部を卒業し、1954年日本国有鉄道(国鉄)入社。旅客局営業課長時代に70年代の旅行ブームのきっかけとなった大型観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を担当、大阪万博後の新幹線利用客落ち込みを防ぐのに貢献した。優先席「シルバーシート」や特急回送車両を通勤客向けに運行する「ホームライナー」を発案したアイデアマンとしても知られ、社長時代には東海道新幹線に最速の「のぞみ」を導入した。
国鉄で旅客局長や常務理事などを歴任し、87年に分割民営化で発足したJR東海の初代社長に就任。会長、相談役などを経て2024年7月に参与となった。
工場遺構や古い機械類などの産業遺産を巡る「産業観光」を提唱。観光業の発展にも尽力し、日本観光振興協会中部支部長を務めた。98年〜04年にはNHKの経営委員長も務めた。「東海道新幹線50年」「新・観光資源論」など鉄道や観光分野を中心に著書も多い。12年に旭日大綬章を受章した。