宇賀神友弥はなぜ浦和の監督ではなくGMを目指すのか「自分は名将と言われる存在にはなれない」

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2024年12月25日 10:20  webスポルティーバ

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引退インタビュー
宇賀神友弥(浦和レッズ)後編

◆宇賀神友弥・前編>>「あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれない」

◆宇賀神友弥・中編>>「他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいた」

 ホーム埼玉スタジアムで行なわれた引退セレモニーで、宇賀神友弥は、あらためて次のように今後の目標について語った。

「プロサッカー選手は引退しますが、あらためて、僕の夢は浦和レッズのゼネラルマネージャーになることです」

 2021年に浦和レッズを去る時も、宇賀神はそう語っていた。

 チームの強化を担うその職を目指そうとしたきっかけは、どこにあるのか。また、思い描くチーム像はあるのか。選手としてのキャリアを終えた宇賀神に、次のステップについて聞いた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 現役引退会見では、忘れられない試合として、勝利すればホームでJ1リーグ優勝を決められた2014年11月22日のガンバ大阪戦を挙げていました。浦和レッズでのキャリアを振り返った時に思い起こすのは、やはり、うれしいことよりも悔しい記憶でしょうか?

「試合に出場していたからには、自分の力で(タイトルを)つかみ取る、またチームに(タイトルを)獲らせてあげられることができたので。確実にタイトルを獲らなければいけなかったシーズンが何度かあっただけに、そこだけは悔いが残っています」

── タイトルを逃した理由がわかっていたら改善していたと思いますが、あえてそこに共通した何かはありますか?

「共通している何か......。たしかにそこは、自分が今までとは異なる形で浦和レッズを強くしていく立場を目指していくのであれば、導き出さなければいけない答えだと思います。今季のJ1リーグで優勝したヴィッセル神戸が連覇を達成していることを考えると、おそらくタイトルを獲るためにも、共通した何かはあるはずだと思うので。

 一度ですが、浦和レッズもJ1リーグで優勝(2006年)した経験はあるので、その時の選手たちにタイトルを獲れた理由を聞くことができれば、ヒントはわかるかもしれないですね」

【優秀なコーチにはなれるかもしれないけど...】

── 15年に及ぶキャリアにおいては、AFCチャンピオンズリーグをはじめ、YBCルヴァンカップや天皇杯と、タイトルを獲った経験もあります。宇賀神選手はいわゆる、タイトルを獲った景色も見ているわけですよね。

「優勝争いや残留争いをしている時には、目に見えないプレッシャーを実際に感じていました。そうした時はチームとして全体的に、自分がいいプレーをしようというよりも、ミスをしたらどうしようという考えや感覚になりがちでした。それによって思いきったプレーができなくなる。そうしたところでの覚悟が足りていなかったから、タイトルが獲れなかったように、今、思います。

 カップ戦とは異なり、リーグ戦は1年間の積み重ねが結果として表れるもの。一つひとつ殻を破ることができなかった結果だったのかな、と。もちろん、ほかにもタイトルを獲れなかった理由はたくさんあるとは思いますが、選手として感じていたのは、プレッシャーへの向き合い方だったように思います」

── 引退セレモニーのスピーチでも、あらためて「今後の夢は浦和レッズのゼネラルマネージャー(GM)になること」と宣言されました。いつ頃から、そうした夢を抱くようになったのでしょうか?

「自分の次のキャリアについて考え始めたのは、ちょうど30歳になったくらいの時でした。それでまずはいろいろと可能性を広げるために、フットサルコートを経営するなどビジネス面でチャレンジしてみることにしました。新しいことにトライすることで、今までの自分が出会っていなかったジャンルの人たちや立場の方と出会う機会にもつながるかな、と。

 そのうえで、サッカー選手を引退したあとの自分を想像し、まずは最も多くのサッカー選手が進むであろう指導者になることを考えてみました。その時、優秀なコーチにはなれるかもしれないとは思いました。話をすることは嫌いじゃないし、言語化することも得意だったので。

 でも、指導者の最高峰を監督とした時、自分が監督になった姿を再び想像すると、名将と言われる存在にはなれないだろうなと、自分自身で思ってしまったんです」

【レッズのすばらしさを伝えて強くしたい】

── それは、なぜですか?

「僕のなかで出会ってきた尊敬する監督たちには、共通してオーラがありました。それも監督としてだけではなく、人間としてのオーラがある方ばかりだった。たたずまいや話す口調も含めて、すごいと言われる雰囲気やみんなから愛される人間性、試合に勝つ勝負強さがあった。

 そうした部分をすべて持ち合わせている監督が、名将と言われていた。自分がそうなれる想像できなかったんです」

── なるほど。

「身近な存在を例に挙げると、『浦和レッズの監督を目指したい』と明かした(興梠)慎三くんが監督になった姿を想像して、交代カードを切った時に、おそらくピッチに投入された選手は結果を残しそうな雰囲気がありますよね。すでに指導者としてのキャリアもスタートさせている阿部勇樹さん、槙野(智章)も監督を目指しているなかで、自分がそうなれる想像も、自信もなかった。

 そうなった時に、自分はどうやって今後もサッカーに関わっていけばいいのか。チームに関わり、チームを支え、チームを強くする立場で、何ができるかと思案したら、GMに行き着きました。実際、今の浦和レッズにGMという役職はないのですが、みんなが聞きなじみのある言葉はGMだと思ったので、そう表現したんです」

── サイドバックながらピッチを俯瞰して見られたように、チーム全体が見える宇賀神選手には、指導者以上に合っているように感じます。

「選手の組み合わせや、チームというひとつの組織を作るうえで、人と人をうまくつなげ、融合させる仕事は、自分の特徴や気質的にもパーソナリティーを活かせるのではないかと思っています。

 また、選手を獲得する際にも、相手はモノではなく人間なので、金額面だけではなく、最後は絶対に思いや気持ちが左右するはず。そこでも自分の強みは活かせるはず。浦和レッズのすばらしさや自分の熱量を伝えて、このチームを強くしたい。そう思ったのがきっかけでした」

【関わる人すべてがみんなでひとつのチーム】

── 次なるその目標にたどり着く過程も、プロサッカー選手になるのと同様、険しい道のりかと思います。どのような道筋を描いていますか?

「やらなければいけないことはたくさんあると思っています。浦和レッズがJ1リーグで優勝するだけでなく、アジアでも頂点に立ち、さらに世界にも出て行くと考えた時には、外国人選手の力も必要になりますよね。外国人選手に浦和レッズのすばらしさを伝えるためには、通訳を介さず、熱量のある自分の言葉で話さなければならない。そう考えると、語学力は絶対に必要だと思っています。

 また、今までピッチレベルにいたからこそ見えてくるもの、感じることがたくさんありましたけど、ピッチの外や上から見た時に、それをどこまで把握することができるのか。この選手と、この選手を組み合わせることで、よりチーム力が上がるなど、先を見据える目は最も必要になると考えています。

 あとは、僕自身がどんなGMになりたいのか。いろいろな機会にそれを聞かれるのですが、本当の意味でひとつの『ファミリー』だと胸を張れるようなチームを目指したい」

── その言葉には続きがありそうですね。

「みんな『ファミリー』という言葉を安易に使うじゃないですか。でも、選手のなかには、働いているクラブスタッフの名前と顔が一致していない人もいたりする。また、掃除をしてくれるスタッフや警備に当たってくれているスタッフ、そうしたクラブで働くすべての人たちを含めて、僕はファミリーだと思っています。

 浦和レッズというクラブのために働いてくれているそのみんなが、自分たちを代表して戦ってくれている選手たちを、心から応援したいと思えるようなクラブにしたい。浦和レッズに関わる人すべてがみんなでひとつのチームになり、みんなでひとつの目標に向かっていく。目標を達成できなかった時には、選手だけでなく、みんなで悔しがるのが一番いい。

 そんなクラブを、そんなチームを、GMとして目指したいなと思っています」

【チームにひとりは欲しい選手にはなれたかな】

── 選手だけでなく、すべてのスタッフが本気で悔しがり、本気で喜ぶ。素敵な景色ですね。

「今はまだ、選手たちという単位でがんばっているような気がしていて。もちろん、スタッフの人たちもがんばってくれているのですが、どこかそれぞれがバラバラにがんばっているように僕は思っていて。

 僕がいた一番いい時代の浦和レッズって、槙野(智章)といったキャラクターの強い選手がいたというのもあるけど、すごく理想系に近かった。みんなでやろうね、みんな一緒だよね、みたいな。

 もちろん、そうなるようにミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)がやってくれていたというのもあるけど、全員で集まって食事をしたり、バーベキューをしたり。それが絶対に必要とは言わないけど、自分の理想に近かった。

 なおかつ、優勝はできなかったかもしれないけど、サッカーも魅力的で、そこに結果もついてくることが理想で。残留争いを強いられた今季は、それとはかけ離れてしまっていたような気がしてならなかったんです」

── 本当の意味で、ファミリーと胸を張れるようなチームを作っていきたいということですね。

「目指したいというか、やらなきゃいけない。そう思っています。たまにサッカーのドキュメンタリーを見るんですよね。ユルゲン・クロップ監督とかアレックス・ファーガソン監督といった世界の名将たちの映像を。

 ファーガソン監督のドキュメンタリーに登場した人が、彼について語っていたのは、ファーガソン監督が全員の名前を覚えているということ。それだけ、本当に自分の子どものように思っていると。まずはそこ。自分がGMになることができたら、みんながそう思えるクラブを作りたいですね」

── 選手として話を聞ける機会は最後になると思っています。振り返ってみると、宇賀神友弥という選手は、どんな選手でしたか?

「自分のなかで、自分の評価としては、決してサッカーが上手ではなかったというのが大前提にあります。でも、それでありながら、チームにひとりは欲しい、一家に一台じゃないですけど、そんな選手にはなれたかなと思います。

(興梠)慎三くんは絶対にどのチームもほしいけど、慎三くんがひとりいるだけではAFCチャンピオンズリーグをはじめとする結果は得られなかった。だから、獲れた理由のひとつに、自分もなれていたようには思います。

 そうなれたからこそ、選手として晴れやかな気持ちで引退できるとも思っています」

<了>


【profile】
宇賀神友弥(うがじん・ともや)
1988年3月23日生まれ、埼玉県戸田市出身。中学時代から浦和レッズの下部組織に所属し、流通経済大学を経て2010年に浦和に加入。1年目からサイドバックで頭角を表し、チームに欠かせぬ戦力として2021年まで12年間プレーする。2022年からFC岐阜で2年間プレーしたのち2024年に浦和へ戻り、シーズン終了後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴は2017年のマリ戦で先発デビューを果たしている。ポジション=DF。身長172cm、体重71kg。

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