年収360万→300万→700万!? ある男性の数奇なキャリア「カメラマンとして約6年間、働きました」

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2024年12月26日 06:20  キャリコネニュース

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世の中には一風変わったキャリアを持つ人がいる。充実した人生のためには、過去にとらわれずに飛び込むことも時には必要だろう。そして、そこからまた戻ってきてもいい。これは数奇な運命に導かれた男性の話である。

北海道在住の平沼さん(仮名、50代男性)は看護師として22年間、従事してきた総合病院を辞め、プロのカメラマンに転向した。

「収入は、看護師時代に比べ2割程度、下がりましたが、カメラマンとして約6年間、働きました」

安定した仕事と収入を捨てるほど、平沼さんを駆り立てたものはなんだったのか。編集部が取材を申し込むと、平沼さんは看護師時代のある患者との出会いを語った。(文:天音琴葉)

「その足でカメラ屋へ行き入門機を買いました」

イタリア撮影旅行にて。市民や観光客が憩うポポロ広場。【平沼さん提供】

看護師を辞めカメラマンになったとき、平沼さんは43歳だった。経験を積み、看護師として職場で頼りにされていた頃だろう。話は、カメラを始めるきっかけとなった出来事へと遡る。

「僕が20代後半だった頃、外科病棟に勤務していました。そこで5つ年上の男性患者が大腸癌で入院してきました。同世代の患者は珍しく、気さくで趣味など話も合い、プライベートでも仲良くなりました。ひとりっ子の僕としては、友達のような、兄のような存在でした」

看護師と患者という枠を超え、生涯の友と言い合える関係になろうとしていた。だが、その男性患者の病状は悪く、手術や抗がん剤治療で入退院を繰り返すことに……。そんな彼をそばで見ていて、「自分に何かできることはないか」と考えた平沼さん。

「彼はバスの運転手で旅行が好きでしたが、もう病窓からの景色しか見られないのだと思い、代わりに僕が外の景色を撮影して見せれば良いのではと考えました。そんなある日、訪れた写真館で、風景写真が展示されていました。一眼レフのカメラなら安いものでもこのように撮影できると店主から聞き、その足でカメラ屋へ行き入門機を買いました」

そのことを入院中の彼に話すと、「いいね、オレもカメラとかやりたいんだよね」と言ったそう。以来、平沼さんは休日になると一眼レフを持って出掛けては、あちこち撮影した。だが……

「設定などわからないまま闇雲に撮っていたこともあり、あの店で見たような素敵な写真には仕上がらず、駄作ばかりで。彼に見せることもなく、彼は他界しました」

友人のお子さんを撮影。妹が泣き止むまでお兄ちゃんが何度も頬にキスをしている姿が愛らしかった。【平沼さん提供】

彼の人生から「人生は一度きり」と学んだ

写真を撮る目的を失い、カメラを箱にしまった平沼さん。だがあるとき、「オレもカメラやってみたいんだよね」という生前の彼の言葉を思い出した。

「彼ができなかったことを自分がやろうと思い立ち、地元の高齢者が集まる写真サークルに入り、使い方や設定など色々と教えてもらいました。初めは小さな写真展で賞を取れるようになり、その後、全国や海外の写真展でも選ばれるまでになりました。彼が見守って応援してくれていると感じました」

才能を開花させ、写真の世界にのめり込んでいった平沼さん。プロのカメラマンに転向した経緯を次のように語った。

「それまでは看護師をしながら、休日に結婚式の撮影に入るなどして現場で独学で学んでいました。さらにスキルアップを目指したいと思っていたところ、スタジオに勤める知り合いのカメラマンから、定年退職するから空きが出ると聞きました。給料は下がるがやりたいことをやってみようと思い、現場に飛び込みました」

一方で「看護師は一般職と違い、復職もできるといった強みもありました」とも口にする。また当時は独身だったことも、思い切れた理由だろう。色々な要因はあるものの、最後に背中を押したのは病院で親しくなったあの患者の存在だった。

「彼の人生から、人生一度きり、やりたいときにやれることをしておこう、やらないで後悔するならやって後悔したほうが良いと思いました」

カメラマンから看護師に復職。年収が一気に700万円に

こうして前述の通り43歳でプロのカメラマンになった平沼さん。初めてカメラを購入してから既に17年が経過していた。カメラマンとしての仕事について語る。

「写真館ではなくスタジオなので、マタニティや七五三、成人式、証明写真などの人物だけでなく、商品などの物撮りから、集合写真などの出張撮影、学校撮影、卒業アルバム作成、カタログや広告作成など行っていました」

思いのほか忙しく、休日は看護師時代の半分に。それなのに年収は「看護師の360万円から、300万円程度に下がった」と明かす。それでもカメラマンになって良かったというが、6年間ほど続けて辞めた。そして昨年11月、看護師向け転職サイトを使い、公的総合病院の夜間専従看護師として復職した。理由をこう語る。

「母が亡くなる前に病床で『最後は看護師に戻ったほうが良い』と話していたこと、カメラマン時代に結婚し、今後の生活を考えると収入面が心配になったことが理由です。年齢的にも今が復職のタイミングだと思いました」

夜勤のみという勤務形態で、平沼さんの出勤日は「月に10回程度」だが、一回あたりの勤務は残業も含め「18時間ほど」と長いようだ。しんどい面はあるものの夜間専従は給料が高く、年収は一気に700万円に。「貯金が少しできるようになりました」と喜びを語った。また、カメラマン経験も無駄にはなっていないという。

「商品としての撮影の方法や写真での稼ぎ方も身につきました。これからの時代、ちょっとした副業としてのスキルにもなると感じています」

友人からの依頼で撮影したマタニティフォト。お兄ちゃんとママと三人で。【平沼さん提供】

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