悲劇は、2013年夏に始まった──。
およそ四半世紀にわたってマンチェスター・ユナイテッドの監督を務めたサー・アレックス・ファーガソンが勇退。バトンはデイヴィッド・モイーズに託された。
あまりにも突飛な人選に、世界中のユナイテッド・サポーターが絶望感と不安に苛まれた。
ふたりの共通点は国籍(スコットランド)だけだ。モイーズはエバートンに安定感をもたらしていたが、サー・アレックスの足もとに......いやいや、彼の背後に並ぶことすら許されない程度の監督である。
案の定、多くの選手が反発した。
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「朝令暮改で困惑する」(リオ・ファーディナンド)
「ゲームプランが不明瞭だ」(ガリー・ネヴィル)
「神経質で人づきあいが悪い」(ウェイン・ルーニー)
主力がこぞって反旗を翻した結果、6年契約だったモイーズは10カ月で監督の座を追われている。
サー・アレックスが推薦したジョゼップ・グアルディオラ、ユルゲン・クロップが契約上の理由で、ジョゼ・モウリーニョは役員会の猛反対に遭ったとはいえ、なぜモイーズだったのか。キャリア、物言い、カリスマ性など、ユナイテッドの監督には小指の先ほどにもふさわしくなかった。
モイーズを解雇したあとも、監督の人選は迷走を続ける。ライアン・ギグス(暫定)、ルイ・ファン・ハール、モウリーニョ、オーレ・グンナー・スールシャール、マイケル・キャリック(暫定)、ラルフ・ラングニック(暫定)、エリック・テン・ハフ、ルート・ファン・ニステルローイ(暫定)......。基本方針が異なる監督を連れてきても、パフォーマンスは向上しない。
また、オーナーのグレイザー・ファミリーはユナイテッドを金儲けの手段としか考えず、強化もインフラの整備も素人同然のスタッフに任せていたため、他クラブから大きく後れをとった。サー・アレックス退任後10年、プレミアリーグの優勝争いに一度も絡めず、チャンピオンズリーグの出場権は5回、取り逃がしている。
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【アモリムは就任してまだ50日足らず】
10年も続いた監督人事の迷走が、間もなく終わろうとしている。11月11日、スポルティングからルベン・アモリム(39歳)がやって来た。レアル・マドリードとマンチェスター・シティが近い将来の指揮官として熱視線を送っていた青年将校の招聘は、イングランド屈指の名門にひと筋の光明をもたらそうとしている。
昨年11月、グレイザー・ファミリーに代わってユナイテッドの実権を握ったジム・ラトクリフ卿も、アモリムこそが新監督にふさわしいとかねてから考えていたという。いくつかの交渉に不手際が生じ、シーズン開幕と同時に新体制の発足には至らなかったものの、アモリムの招聘は予定どおりだ。
ただ、この出遅れが響いている。
今シーズンのメンバーは、あくまでもテン・ハフ前監督の発想によるものだ。アモリム構想の基軸となる両ウイングバックは人材不足で、サイドバックが適任と考えられるディオゴ・ダロト、ヌサイル・マズラウィを起用せざるをえない。さらに相手センターバックを背負えるアタッカーも、ラスムス・ホイルンドただひとりだ。
本来、こうした事情を踏まえながら夏の間に強化し、キャンプで戦略・戦術を落とし込む。この作業をシーズン中に着手し、週2〜3試合の過密日程のなかで解決策を見いだすのは難しい。グアルディオラ、クロップ、モウリーニョなど、前述した名将でも頭を抱えるに違いない。彼ら同様、名伯楽に数えられるカルロ・アンチェロッティも次のように語っている。
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「新しい環境に馴染むまでには、少なくとも三カ月が必要だ」
アモリムはユナイテッドに着任し、まだ50日足らずである。
「選手の個性を重視する」
「取り巻きではなく、選手自身の話を信用する」
「敗因はすべて私にある」
アモリムは急ピッチで信頼関係を築こうとしている。
移籍を示唆したとされるマーカス・ラシュフォードに関しても、「本当に彼がユナイテッドを出たいと話したのか。取り巻きの発言には尾ひれがつくものだ」と、必要以上の摩擦を避ける努力を怠らない。テン・ハフとは正反対のアプローチだ。前監督は時に権力を振りかざし、クリスティアーノ・ロナウドとジェイドン・サンチョをチームから追放した。
【リバプールとアーセナルの例では...】
また、ピッチ上では、相手陣内のパフォーマンスが急速に整備されてきた。
マイボールを失った瞬間、複数の選手でサイドに追い込みターンオーバー。そのままショートカウンターを仕掛ける。ボールサイドの人間に限定され、ひとりがはがされるとプレスが無意味になった昨シーズンまでとは雲泥の差だ。
さらに両ウイングバックが高い位置をとり、センターフォワードと2シャドー、ふたりの中盤センターが加わった6人によるビルドアップも、短期間で効力を発揮しつつある。アモリムがスポルティングで見せた破壊的な攻撃に及ばないとはいえ、グループ戦術が実を結ぶまでには時間が必要だ。
敵陣やや高めからコンパクトな陣形を維持するシステムも、50日足らずの現状では及第点といって差し支えない。
それでも、アモリムには多くの批判が飛び交っている。監督就任後、プレミアリーグで喫した11失点のうち、5失点がセットプレーからだ。手もなくやられるため、心象がよろしくない。
しかし、大半は人為的なミスだった。集中力を欠き、あっさり前を、背後をとられている。選手の心構えさえしっかりしていれば、防げていた公算が非常に大きい。すべての責任をアモリムに押しつけるのはアンフェアだ。
2015年10月8日、リバプールの監督に就任した当時のクロップは、スピード感に著しく欠けていた攻撃を改善するとともに、練習場、ロッカールーム、本拠アンフィールドに充満していた疑心暗鬼を取り除く作業にも重点を置いた。
「監督として、選手として、プレミアリーグで実績がない」(スティーヴ・ニコル)
「名門を率いる器ではない」(ジェイミー・キャラガー)
地元愛が強すぎるOBの発言も障壁になっていた。
3年後、ドイツ人の名監督はリバプールをヨーロッパの頂(いただき)に、翌年はプレミアリーグ優勝に導いた。
2019年12月20日、アーセナルに着任したミケル・アルテタは、最初の6試合で1勝4分1敗。ボーンマス、クリスタル・パレス、シェフィールド・ユナイテッドに勝てず、周囲の期待を裏切った。最終的には優勝したリバプールと43ポイント差の8位。アルテタ解任論が熱く燃え盛った。
あれから5年、アーセナルはプレミアリーグ、チャンピオンズリーグの優勝候補である。
【スポルティング時代から対話を重視】
アモリムはユナイテッド初戦となったイプスウィッチ・タウン戦を1-1で引き分けたあと、エバートンに4-0、アーセナルに0-2、ノッティンガム・フォレストに2-3、マンチェスター・シティに2-1、ボーンマスに0-3。敗れた3試合はすべて体力、プレー強度で下まわり、ここ数年の欠点があらためて浮き彫りにされている。だらしないパフォーマンスに、本拠オールド・トラッフォードからブーイングが聞こえてきた。
だが、千里の道も一歩から──。クロップが、そしてアルテタが時間をかけて魅力的なチームを創りあげたように、アモリムに短期の成功を望むのはあまりにも酷な状況だ。決して厚くない選手層、体力不足を補う特効薬など、どこにも存在しない。多くの監督が10年かけて壊した組織を建て直すには、少なくとも3〜4回の移籍市場が必要だ。
その間にアモリムが好んで用いる3-4-2-1に適したタレントを獲得し、彼が基本プランに掲げる「プレスの強度」を有していない選手は、仮に二束三文でもカネになる間に放出する。
「一朝一夕にして片付く問題でないことは百も承知している」
ラトクリフ卿も時間を強調していた。
最高権力者が覚悟を決めた。再建はアモリムに託すしかない。選手との対話を重んじ、常に寄り添い、なおかつ自分の意見を押しつけない人柄は、スポルティングを率いていた当時から好評だった。
しかも、コミュニケーション能力が高い。記者会見で底意地の悪い質問が飛んでも、笑顔を絶やさずに答える。クロップもメディアと良好な関係を築き、記者会見場は明るいムードに包まれていた。メディアとの対立を好んだファン・ハール、モウリーニョ、ラングニック、テン・ハフとは正反対のキャラクターだ。
「夜明け前が一番暗い」とは、シェイクスピアの戯曲『マクベス』に由来する名文句である。サー・アレックスが勇退して10年が過ぎた。もう少しだけ余裕を持って、暗い時代を楽しもうじゃないか。