Text by 生田綾
Text by 南麻理江
ボディペインティングやイラスト、デザイン、エッセイなど多岐にわたる表現で活躍中のチョーヒカルさん。
普段はニューヨークを拠点にするチョーさんが、新刊の絵本『あ、あな!』の発売にあわせて一時帰国したタイミングで、Podcast番組『聞くCINRA』に出演。
想像力が掻き立てられるボディペインティングの魅力や、中国籍で東京生まれ・東京育ちのチョーさんが、英語で「外国人」という意味もある「エイリアン」というモチーフを自身の作品や企画に用いる背景を聞きました。
「『エイリアン性』は自分自身を孤独にしがちなものかもしれないけど、それを逆手に取ってむしろかっこいいものに意識改革ができたら、自分の個性もより愛せるようになれるんじゃないか、と思ったんです」
―まずは、チョーさんが人や物に絵を書いていくボディペイントという表現手法を選んだ理由からうかがってもいいでしょうか?
チョーヒカル(以下、チョー):美大受験をしているとき、落書きで人間の目を描きたくなったけど紙を買いに行くのが面倒で、手の甲にメモを取るようなノリで自分の手の甲に友だちの目をアクリル絵の具で描いたんです。
それがものすごく面白い見た目で、SNSに上げたときにすごく反応も良くて。予備校の先生にも、紙に描くよりうまく描けてると言われて、当時の承認欲求がそこで満たされ(笑)、そこからズブズブとボディペイントにハマっていきました。
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チョー:描いたあとの動きによって見えかたが変わるとか、人によって絵に意味が足されるみたいなところにすごく面白みがあります。こういうボディに描いてあるからこう見えるとか、それは紙に描くことでは到達できないものなんです。
メディアの『She is』でコンプレックスについての作品をつくる企画があったのですが、それはモデルさんと作品があわさってより強い作品になりました。
すぐ落とさないといけないとか、残せないというデメリットもあるんですけど、それを上回る面白さがあると感じています。
―絵本もたくさん出版されていて、11月には新刊の『あ!あな』を発売されました。
チョー:私が個人的につくっていたものを出版社の方が見つけてくださって、本にしましょうとお声がけをいただいたのがきっかけでした。そのときは子どもが面白がってくれるわけがないと思っていたんですが、意外にもたくさんの人が楽しんでくれて、シリーズ化してそこから絵本をつくらせていただくようになりました。
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―2019年に発売された『じゃない!』には、きゅうりだと思ったら皮が剥けてじつはバナナだった、という騙し絵的な仕掛けがつまっています。見ていると脳がバグるような感覚になります……。子ども向けの絵本をつくるにあたって、意識していることはありますか?
チョー:どうやって子ども向けにするかはあまり意識しないように気をつけていて、私の作品をそのまま出すことを心がけています。やっぱり子どものほうが素直なので、ちょっと小細工みたいなことをするのは良くないかなと思うんですよね。
これからの将来を担ってくれる世代なので、想像力を欠かさないこと、いわゆる常識みたいなものにとらわれすぎないこととか、伝えたいメッセージがより伝わってくれたらいいなということを中心にして、毎回100%出し切る気持ちでやっています。
チョーヒカルさん
―以前チョーさんはインタビューで、創作のモチベーションに怒りや疑問があるという話をされていました。エッセイ『エイリアンは黙らない』でも、「私達はもしかしたら圧倒的に怒る経験が足りないんじゃないか」と題した一編があります。
チョー:「言わぬが花」ということわざがあるように、我慢するほうがエライとか、大人だという空気感が日本全体にありますよね。
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―エッセイ『エイリアンは黙らない』や、チョーさんが関わっているNHKの『プロジェクトエイリアン』など、「エイリアン」という言葉がよく使われています。この言葉は、チョーさんが大事にするモチーフの一つなのでしょうか?
チョー:エイリアンというコンセプトは昔から好きだったんですが、番組名やエッセイのタイトルに使い出したのはニューヨークに行ってからです。アメリカは移民のことを「Alien(エイリアン)」と法的に表記してきたんですね(※)。
チョー:排他的な言葉ではあって、この言葉が問題視されたことにほっとした部分もあるものの、エイリアンという言葉には独特のカルチャーやかっこよさも付随しているように感じていました。
私はネイティブではないので、英語のネイティブの人からすると、もしかしたらもっと排他的に感じられるのかもしれないんですけど……。「エイリアン性」は自分自身を孤独にしがちなものかもしれないけど、それを逆手に取ってむしろかっこいいものに意識改革ができたら、自分の個性もより愛せるようになれるんじゃないか、と思ったんです。
―エッセイ『エイリアンは黙らない』には「私たちはみんなエイリアンで、みんな一人ひとり違って、違うということだけが私たちに共通していることだと思うことはできないだろうか」という文章があって、すごく素敵だと思いました。NHKの番組はどんな番組なのでしょうか?
チョー:『プロジェクトエイリアン』の概要を話すと、まったくの他人である4人の方々がエイリアンのアバターを使ってVR上で出会い、月を目指すという番組です。アバターを使っているので顔も見えないし、自分のバックグラウンドやアイデンティティ、何の仕事をしているかなど、何も明かさない。お互いが「エイリアン同士」の状態で知り合ってもらって、月に入るときに自分が何者かを明かしてもらいます。
そのとき、例えばその4人の中に違う意見を持つ人がいたり、普段だったら相容れないアイデンティティを持った人がいるかもしれない。それでもまだ対話が続くんだろうか、ということを見守るVR社会実験ドキュメンタリーみたいな番組です。
―ディレクターの方もnoteで番組への思いを書いていて、すごく熱意が伝わってきました。
チョー:もともとは、マイノリティの人の存在や声をより拾える場所をつくりたいという思いからはじまったプロジェクトでした。
私自身はニューヨークに行く前、「もう国籍とか人種とかどうでもいいじゃん、私は私」みたいな感じだったんですよね。でも、やっぱり集団に属して安心したいという気持ちからはどうしても逃げられなかったんです。
だから、集団に属したい気持ちを一度認めたうえで、排他的ではない、みんなが安心して属する集団をつくったらいいんじゃないかと思いました。みんなの声を拾い上げることができて、みんなが安心して属することができる場をつくれないかと思ってプロジェクトの枠組みをつくっていきました。
ただ、それを番組にするとなったとき、それこそエンターテインメント性みたいなものがないとテレビ番組として成り立たないので、ディレクターさんとは結構言い合いをしました(笑)。
―番組として成立させるために工夫していることは?
チョー:アバターやVRの世界観とか、ビジュアルやデザインで「とっつきやすさ」をどうつくるかというところは私自身取り組んでみて、すごく学びになっているところです。
もうひとつ、番組をはじめてから大切だと思ったことが、言ってほしいことや言いたいことを押し付けないということですね。はじめる前は「対話の大切さ」みたいなテーマを結構大きく持っていて、こんな2人を掛け合わせてみたらこうなるんじゃないか、みたいなことを考えたりしていたんですけど、そういう介入はせず、できる限り楽しく人と知り合える場所だけをつくって、あとは本人たちにやってもらいましょうというのが一番いいかたちだなと思いました。
―自分たちの伝えたいストーリーをつくるのではなく、その人たちが知り合っていく場をつくるという原点に立ち戻るということですね。すごく素敵です。
―先ほどチョーさんが「私は私と思いつつもグループに属したい気持ちには抗えなかった」とおっしゃっていたのが印象的だったのですが、ニューヨークに住むようになって、ご自身のアイデンティティに関する向き合いかたに変化はありましたか?
チョー:私は中国籍で、日本にいたときは親が中国語を話す環境で育ったので、まわりから中国人として扱われてきたし、私も自分のことを中国人だと思って生きてきました。それがニューヨークに行ってから、初めて自分はめちゃくちゃ日本人だなと思ったんですよね。
考えてみたらそれは当然でもあって、私は日本生まれ日本育ちなので、第一言語も日本語です。日本のご飯と文化も身体に染み付いて大きくなって。ニューヨークに行ってから、はじめて中国生まれ中国育ちの同年代の友達がたくさんできたんですが、その子たちと喋っているとき、「あれ、自分は全然日本人じゃん」という自覚を持ったんですね。
日本に住んでいるとき中国籍であることでちょっと嫌な思いをすることもあったので、もう国籍からも国というものからも解放されたいみたいな気持ちも結構あって、それでニューヨークに行った部分もあったんです。なのに、逆に自分にある日本のルーツに気づいてしまって。
―国籍というものから脱したいと思っていたのに、逆にそうではなくなったと。
チョー:思っていたよりも深く身体に日本が染み込んでるんだなと。私は日本で生まれ育って、私の大元にあるのは日本のカルチャーであるということをようやく認めざるを得ないんだなって感じました。
それまでは国籍という違いによって、日本の代表として日本のものについて我が物顔で紹介したり自慢したりすることができなくて、抵抗があったんです。ニューヨークを経て、ようやく私は日本のカルチャーをすごく知っている人間という自覚ができたので、いまはラーメンとか寿司とか、めちゃくちゃ自分の手柄のように話していますね(笑)。
―(笑)。ぜひお願いします。エッセイで、移住前は日本のお友達と過ごしているとき、その人にとって自分は数少ない中国籍の知り合いだから、中国に対してのイメージを裏切らないようにしようと心がけていたと書かれています。それはすごくストレスもかかるのではと思ったんですが、自身の振る舞いについて、何か変化はありましたか?
チョー:そうですね。以前はずっと気を張ってるところがあったと思うんですけど、そこが割と楽になったかなとは思います。たぶん友達も何かしら感知していると思います。
ずっと何かいい行動をしなきゃいけないとか、私は日本人じゃないからみたいに思っていたところがちょっとほぐれたというか。私は日本で生まれ育って、カルチャーのルーツは日本で、親が中国人の人間であるということを自分で受け入れたので、固執していたことから少し解放されたかなとは思います。
―チョーさんと話していて感じますが、すごく気遣ってくださいますよね。ジェスチャーもまじえながら、この場をたくさん盛り上げてくださって……。
チョー:それは、私が気を気を遣うのが下手なあまり、人の地雷をたくさん踏んできたので、気を遣うことを意識しているからです(笑)。
―最後に、みんなにとっての安全な場所をつくる動きが増えてきているとはいえ、現実世界は嫌なこともたくさんあって、アメリカはトランプさんが当選し、マイノリティの人々にとっては過酷な現状もあると思います。そのなかでどうやってサバイブしていくかということについて、チョーさんの考えを聞かせてください。
チョー:難しいですよね。根本的に、私は性善説を信じてしまっている人間なので、話し合うことはあきらめないほうがいいと思っているんですね。人間はほかの人間を思いやることができると思っているので、それをなくさないようにしたい、とすごく思います。同時に、人間には自分のグループと自分以外のグループみたいに分けてしまう性質があると思うので、他者になった瞬間、急にどうでもよくなったり想像力が働かなったりしてしまう。そこになんとか働きかけていきたいという気持ちがあります。
ただ、日常的なサバイブに関しては、やっぱりもっと実用的な手段が必要だなと思いますね。それこそガザのことであればちゃんと募金するとか、当事者の人がいる場でLGBTQ+に関して問題のある発言をしている人がいたら、ちゃんと直接それはおかしくないですかって言うとか、もっと直接的なアクションがないとサバイブしていくのは難しいと思います。
でも、そういう小さいところから変わっていくものだとも思います。差別って、それによって暴力も起きますし、すごく大きな問題な感じがするじゃないですか。だけど本当に小さいグループのなかで起きる会話とか、空気感みたいなものからどんどん派生して、人間は他人への想像力を失っていくものだと思います。だから、逆に言えば、我々はそういった小さい場で、まだ小さいうちに止めることもできると思います。
みんな生きていくだけで大変だと思うので、本当に自分に余裕があってできるときでいいと思いますが、ちょっとだけ勇気を出して何かひとこと言ってみると、その分だけ良くなっていくと信じています。