前編:青学大の強さの源にある「厳しさ」と「優しさ」
2025年1月2日・3日に行なわれる第101回箱根駅伝(217.1km/往路107.5km・復路109.6km)。青山学院大は、今回も優勝候補として大舞台を迎えようとしている。
過去10大会のうち7度の総合優勝を果たし、誰もが認める「箱根の王者」としての地位を築いてきた強さの源は、何なのか。
あらためて振り返ると、そこには原晋監督の「厳しさ」と「優しさ」が同居するケミストリーが選手たちの成長を促してきたような気がする。
【チーム全体に浸透する規律を重んじる文化】
2015年の箱根駅伝。
5区で神野大地(現・MABP)が先頭に立ち、青山学院大学がそのまま逃げきって初優勝。
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そして2024年までの10年間で、実に7度の総合優勝を遂げ、名実ともに「箱根の王者」となった。
私が青学大を取材し始めたのは、2012年ころのこと。箱根初優勝までのプロセス、そしてそれから起きた変化を目の当たりにしてきた。
私が感じるのは、「厳しさ」と「優しさ」が青学大にはあるということだ。
青学大は、「規律」を重んじる。
門限に遅れることは、たとえ小田急線(寮の最寄り駅は小田急線町田駅)が人身事故で遅延しようとも、許されない。だから学生たちは念には念を入れて、門限の2時間から1時間半前までには町田駅まで戻ってきている。
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そして他大学では「1カ月につき、外泊は3泊まで」といったルールが設けられるが、青学大では外泊は許されない。2024年に総合優勝して卒業、現在はSGホールディングスに進んだ佐藤一世は、「夜始まりのコンサートには行けないですし、野球のナイターも見られないです。社会人になると自由な時間が多くて、びっくりするほどです」と話す。
寮内で保たれる規律は、当然のことながら練習にも影響する。
監督が不在のときの練習というものは、緊張度が不足しがちである。ある大学の監督の話だ。当初は練習に顔を出す予定はなかったが、スケジュールが変わってグラウンドに顔を出してみて、愕然としたことがあった。「まるで、同好会の練習みたいで」。
ところが青学大の場合、監督が不在であったとしても、練習の質は維持される。特に、箱根駅伝が終わってから春にかけての時期は、原晋監督が練習を空けることが多い季節となる。しかし、そこでも常に競争がある。佐藤一世に、そのことについて尋ねたことがある。青学大の選手たち、誰も見てないところでも、手を抜くことはないですよね、と。
「気を抜いていると、居場所がなくなっちゃうんです。朝のジョグも、めちゃくちゃ飛ばす下級生とかがいて、常に緊張感があるので。そこでオーバーペースになってしまうとケガのリスクが増えますし、緩く走っていたら試合に出られません。自然と、自分と向き合うことになります」
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当然、自分が実力不足だと認識しなければならない時を迎える学生もいる。
「そういう時こそ、人間性が問われますよね」
原監督は、そう言う。
「箱根駅伝に出るのは難しい。そう認めざるを得ないときがやってくる学生は、必ず出ます。部員は40人以上いるわけですからね。そういう時、自分は部に対してどんな形で貢献できるか考えられるかどうか。それは、とても重要なことなんです」
【失敗から学ぶことの重要性】
青学は厳しい。
それでも、青学は優しいとも思う。
特に、駅伝で「外した」選手に対して、原監督はセカンドチャンスを与える。
たとえば2023年の箱根駅伝で、中央大の吉居大和、駒大の田澤簾(ともに現・トヨタ自動車)とともに「史上最高の2区」を演出した近藤幸太郎(現・SGホールディングス)は、2020年の全日本大学駅伝で苦い思い出がある。2年生だった近藤は、これが初めての大学駅伝だったが、2区を走って区間13位だった。近藤は振り返る。
「僕は高校時代、部員が7人しかいない部活だったので、誰かが病気になったり、ケガをしたら、駅伝に出られない環境でした。都道府県対抗駅伝では走りましたけど、駅伝の経験が不足しているといえば、不足していて。2年生の時の全日本は、たすきをもらったのが10位で、最初、なにも考えずに突っ込んでしまったんですよ。すると、後半に足が止まって区間13位。本当に悔しかったですけど、『序盤は落ち着いて入らなければいけない』ことを、身をもって体験しました」
近藤は2年生のこの時の失敗から、「レースマネージメント」の重要性を学んだ。走り出す前も気合いを入れすぎず、リラックスを心掛ける。たすきを受けてからは冷静に。
すると、年明けの箱根駅伝では7区を任され、10番目でたすきを受けたものの区間3位の好走で3人抜き。3年生になってからの活躍は、ここに記すまでもないだろう。
近藤の例からも明らかなように、原監督はミスをした選手であっても、その後の練習がしっかり積めていれば、起用を躊躇することはない。
原監督はいう。
「そりゃ、本番で失敗してほしくはないですよ。青学の看板を背負って走るわけですし、負けたら悔しいから。それでも、学生諸君は失敗から学べます。特に駅伝での失敗は精神的にこたえるだけに、それに反発する力、『レジリエンス』が必要になる。その力を発揮すれば、成長につながるんです」
【紆余曲折を経て躍動する鶴川正也の歩み】
今年の4年生でも、失敗をプラスに変えた選手が出場する。
鶴川正也だ。
取材をしていて、原監督は"鶴川に対しては厳しいな"とは思っていた。
熊本の九州学院高から鳴り物入りで入ってきたが、練習しては故障し、故障明けで後れを取り戻そうと頑張ると、また故障することの繰り返し。3年の秋、出雲駅伝の6区を任されたが、区間10位に沈んだ。そのあと、原監督はこう話していた。
「鶴川は発想を変えないと、ポテンシャルを発揮できないんじゃないかな」
どこか突き放したようでもあるが、それでもあきらめてはいない。あとからわかったのだが、出雲の凡走に自分自身がっかりした鶴川は、練習で気合いを入れた。しかし、それがオーバーワークにつながり、故障。前回の箱根駅伝のメンバー16人にも入れなかった。
「チームは総合優勝しましたけど、自分だけはどん底でした」と鶴川は振り返るが、原監督は冬の時期から彼に寄り添った。
「鶴川は4年生になってから、授業の関係もあって、個人でポイント練習をすることが多かったんです。ひとりのポイント練習はきつい。引っ張ってくれる仲間もいないし、自分で限界に挑戦するしかないからです。それでも、鶴川は自分で追い込めたね。彼の陸上に対する思いが強かったんでしょう。6月の日本選手権の前は、5000mで優勝するんじゃないかっていうくらい、絶好調だった」
日本選手権では4位入賞。やはり、並の選手ではなかった。そして駅伝シーズン。出雲の1区、全日本の2区で区間賞を獲得し、太田蒼生、若林宏樹らとともに、4年生としての存在感を発揮している。
そういえば、鶴川に向き合ったのは、監督だけではなかった。寮母を務める原美穂さんは、こんな話をしてくれたことがある。
「鶴川が1年生だった時、フラフラしてたから、言ったの。『同級生の東洋の石田(洸介)は結果、出してるよ』って。そうしたら、鶴川はムキになって、『自分だって走れる状態だったら絶対に負けない』って言い返してきて。そう言うんだったら、走れる状態にしなさいって話なんだけどね(笑)」
美穂さんのこの言葉にも、厳しさと優しさがあふれる。
鶴川にとって、今回の箱根駅伝は最初にして最後の機会。4年間のストーリーをどう、締めくくるだろうか。
つづく