東海大相模・原俊介監督が語る指導論 「プロの技術を高校生に伝えるのは難しい」

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2024年12月28日 17:10  webスポルティーバ

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東海大相模・原俊介監督インタビュー(後編)

前編:東海大相模・原俊介監督が振り返る波乱の野球人生はこちら>>

 原俊介監督率いる東海大相模は2024年夏、神奈川を制し甲子園出場を果たした。「巨人ドラフト1位」という輝かしい球歴を誇る原監督だが、指導者として甲子園の地に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。そんな原監督に高校生を教える難しさ、やりがいについて語ってもらった。

【原監督が達成した史上初の快挙とは?】

── 甲子園初戦(2回戦)は富山商に4対0で勝利。198センチ左腕・藤田琉生投手(日ハム2位指名)が7回13奪三振。8番・柴田元気選手の8回中押しソロ本塁打は、開幕19試合目の大会第1号でした。

 ウチも相手も、みんな初戦の緊張で固まっていました。いくら東海大相模が甲子園で優勝経験のある伝統校と言っても、今夏のメンバーはみんな甲子園初体験ですからね。グラウンドに入るまでの過ごし方、入ってからのリズムなど新鮮でした。

── 原先生は選手としても甲子園に出場されていますが、見えた景色は違いましたか。

 私が甲子園に出た高校3年春のセンバツは、"阪神・淡路大震災"が起きた年(1995年)で、街はあちこちにブルーシートがかかっていました。試合は1回戦で県岐阜商に勝ち、2回戦でその大会で優勝する香川の観音寺中央高に敗れました。球場自体は同じ甲子園ですから、景色は同じでした(笑)。ただこの夏、生徒たちと一緒に戦って、校歌を聞いた時は感無量でした。

── この夏の1勝は、ドラフト1位の教員として、初の甲子園勝利でした。かつてプロにドラフト1位で指名され、早鞆高の監督を務めた大越基さんは甲子園に出場しましたが勝っておらず、全国制覇した智辯和歌山の中谷仁さんは教員免許を取得していません。

 それは初耳でした。なんでも"初"というのはうれしいですね。ただ何度も言いますが、これは自分だけの力でできることではありません。これまで多くの人との関わりがあって、今につながっている。そこは感謝しかありません。

── 3回戦は、同じく甲子園で優勝経験のある広陵(広島)に8対1と勝利。2年生の3番・中村龍之介選手が4安打4打点の大活躍でした。

 初戦で熊本工相手に1失点完投、9奪三振の高尾響投手が2番手で投げたのですが、2イニングで5点取れましたからね。中軸がしっかり打ち、いい試合展開のまま進めることができました。

── ベスト8に進出しましたが、準々決勝で関東一高に1対2の惜敗。7回に相手4番の高橋徹平選手に先制のソロ本塁打を浴びました。打線も、先発左腕の畠中鉄心投手、本格派右腕の坂井遼投手(ロッテ4位指名)のリレーの前に1得点。

 藤田が頑張って投げてくれたのですが、チェンジアップを本塁打されました。畠中投手はコントロールがよくて、簡単に打たせてくれませんでした。

── 現実的に真紅の大旗も見えたと思うのですが。

 確かに上の景色は見えました。ただ富士山にしても、車で登れる5合目に行くと頂上は見えますが、そこからが大変というか......。さらに上を目指すには、まだまだやらなければいけないことがある。上のレベルになればなるほど、なかなか点は入りません。その時にただ打って点を取るのではなく、いろんなアプローチをして風穴を開けていかなければいけないことを実感しました。

【プロの技術を伝えるのは難しい】

── 新チームとなった秋の関東大会は、山梨学院に延長10回タイブレークの末にサヨナラ負け。その大会を制し、神宮大会でも優勝したのが、ライバルである横浜高でした。

 夏の甲子園での課題を紐解きながらやったつもりだったんですけどね。横浜高が関東大会を制し、神宮大会も勝って日本一を達成しました。生徒たちには「来夏に向けて、君たちが日本一を獲りにいくつもりじゃないと、どんどん離される一方だよ」という話はしました。

── 原先生は、巨人で11年間プレー。高校生を指導するうえで、プロでの経験が役立っていると思いますが、具体的にはどんなところですか?

 プロのテクニックというのは、高校生には難しいです。プロの技術と言っても、そのとおりに体が動かないし、感覚もない。プロ野球選手の皆さんは試行錯誤を繰り返して、初めてその感覚に行き着いているわけですから。それなりのことは言いますが、言ってもなかなかできないのが現実です。

── コツやノウハウは教えられるのでは?

 主観的で言語化することができない知識のことを「暗黙知(あんもくち)」と呼びます。いわゆるコツや勘、ノウハウです。経験的知識とも言い換えられ、これは他者に伝播されないと言われています。だから技術であれば、望ましい結果になるように導いてあげるという感覚のほうが近いですかね。

── 実際に経験させないと、技術は身につかないということですね。

 ただ、これがまた面白いことに、試合中にテクニックのことを考えると体が動かなくなるんですよ。だから自主トレや基本練習の時に、意識的にテクニックを追究するのです。

── 練習の時に、技術をしっかり教え込んでいくと。

 練習でも、実戦形式の練習とそうじゃない練習があります。たとえば走者をつけてやるノックは、捕り方、投げ方うんぬんではなく、どういうふうに相手をアウトにするかがメインです。うまくやることが目的ではなく、相手を封じることが最優先です。逆に走者からすれば、いかに次の塁を目指して、ホームに生還するか。だから、守備側と走者側がもっと戦い合いなさいと、いつも言っています。その後に生徒たちだけで集めて話をさせるのは、自分たち発信で考えさせるためです。そうしないと、試合を運営できませんから。

── 逆に試合の時は、どういうことを意識させるのですか。

 いざ試合になれば、どう相手に立ち向かうか。テクニックのことなどは、もう二の次です。どれだけ無意識レベルで体が動くかどうかです。

【原俊介監督が目指す野球とは?】

── 最後に「原俊介流」の野球とは?

 「つながる野球」です。チームとして機能する野球ですね。単純な話、外野手が守備位置を後ろにして守っていれば、打たれる打球が深い外野フライでもいいわけです。これが外野手の前に落とされたり、内野手の間を抜かれたりする打球を打たれたりすると"機能的"ではなくなってしまいます。ということは、投手が野手の守備陣形を把握して投げれば、より機能的になってきます。つまり、投手が「いい球を投げたい」「速い球を投げたい」ということに固執すると、結果的に周りが見えなくなり、チームとして機能しなくなるわけです。

── そういう意味で"つながる"というわけなのですね。

 投手が投げることと打つことも守ることも、すべてつながっているわけです。そこにチームメイトとのつながり、応援してくれる人とのつながりもある。いろんな部分を自分たちのエネルギーとしながら、かつグラウンドではひとつのボールでつながりを持っていこうと。そういう野球を目指しています。


原俊介(はら・しゅんすけ)/1977年8月30日、神奈川県生まれ。東海大相模高の3年春にセンバツ大会出場。95年ドラフトで巨人から1位指名され入団。巨人で11年プレーし、引退後に教員免許を取得。2016年から東海大静岡翔洋高の監督に就任。21年夏は静岡大会決勝まで進んだ。同年秋に母校・東海大相模高の監督に就任。24年夏、神奈川大会を制し、監督として初の甲子園出場を果たす。甲子園でもベスト8進出を果たした。

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