能登半島地震で倒壊したビルに自宅兼店舗が押しつぶされ妻と長女を亡くした男性が、300キロ離れた川崎市で再建した店がある。石川県輪島市にいた楠健二さん(56)経営の居酒屋「わじまんま」だ。「自分にできるのは能登の現状を伝えることくらい」と、客に被災体験を語り続ける。
楠さんは元日の被災後、避難所に4月まで滞在した。その時の暮らしについて、「死ぬことしか考えていなかった」と振り返る。一方で、共に生き延びた子供3人の存在が生きる原動力となった。
「避難所にいると悲しみに押しつぶされてしまう」。そう考えた楠さんは「とにかくお店を開こう」と決意。以前暮らしていた川崎市へ移り、6月には居酒屋をオープンした。店名は、輪島市で店を開いた際に地名から名付けた「わじまんま」を引き継いだ。入り口には「復興中」の札を掛け、店内にはつぶれた店舗から見つかった時計を飾っている。
川崎市で生活を始めると、「震災と関係なく世界が回っているのを不思議に感じた」という楠さん。自分にできることは何かと考えた結果、店の営業を通じ、能登の現状を知ってもらおうと決めた。
「能登で商売している人が困っている」として、食材や酒だけでなく、おしぼりなども可能な限り能登から仕入れている。店を訪れる客には自身の被災体験や能登の現状を話し、ボランティアへの参加を呼び掛ける。実際にボランティアをしたと報告に来た客もいるという。
毎月1日の月命日には、川崎市内の霊園を訪れ、妻由香利さん=当時(48)=と長女珠蘭さん=同(19)=の仏壇に手を合わせる。共に店を切り盛りしていた由香利さんは、家族思いのしっかり者だった。珠蘭さんは、障害を持つ弟の面倒を見るため看護師になるという夢を追い掛けていた。「今でも愛してやまない女房と、目に入れても痛くない娘だ」と、寂しそうな表情を見せる。
定住を決めた輪島に戻り、店を再建したい―。そう考えて荷物を取りに自宅周辺を訪れると、復興の遅れが目立ち、戻れる状況ではないことに気付かされた。「もうちょっと早く復興を進めないと、輪島から人がいなくなっちゃうよ」。歯がゆさを感じ、活動の意味に迷う時もある。それでも復興を信じ、楠さんはきょうも輪島への思いを伝える。
再建した居酒屋「わじまんま」の入り口に掛けられた「復興中」の札=11月28日、川崎市川崎区
能登半島地震で被災した店舗のがれきから見つかった時計。地震発生時刻付近で止まっていて、再建した居酒屋「わじまんま」の店内に飾られる=11月28日、川崎市川崎区