本多灯インタビュー(1)
パリ五輪に出場した日本選手団約400人のうち、周囲の期待を最も裏切ってしまった選手のひとりが、競泳男子200メートルバタフライの本多灯(22歳、イトマン東進)だったかもしれない。
2021年の東京五輪では、19歳にして同種目で銀メダルを獲得した本多は、今年2月の世界選手権(カタール)で金メダルを獲得。日本競泳界のエースのひとりとしてパリ五輪に臨んだが(16位以内が進める)準決勝にも残れず、まさかの予選敗退に終わった。
タイムは自己ベストの1分52秒70から4秒以上遅れた1分57秒30。予選2組で最下位の8位にとなり、全体22位とタイムも順位も振るわなかった。
「多くの方が期待してくださったなか、結果を残せなかったことは申し訳なく思っています。ただ、僕個人としては肩の荷が下りたというか、ほっとした気持ちもあります。大会後はいろんな感情が渦巻いていましたが、パリ五輪はもう終わったこと。いまはいい意味でも悪い意味でも、結果を受け入れています」
|
|
レースから約3カ月が経った11月のある日、都内で取材に応じた本多はそう切り出すと「レースの詳細はよく覚えていない」としながらも、現在の心境や今後について率直な思いを聞かせてくれた。
7月30日、大会3日目――。バスケットボール男子の日本代表が前回銀メダルの地元フランスからの金星にあと一歩と迫り、サッカー男子日本代表がイスラエルを下し予選リーグ首位通過を決めた裏で、本多はパリ五輪で唯一出場した200メートルバタフライの予選に挑んでいた。
18時開始。予選2組目に登場した本多は、中央の4レーンでスタートした。最初の50メートルこそ4位でターンしたものの、徐々に上位陣から引き離され、持ち味の終盤の伸びも欠いた。東京五輪以降、出場したすべての世界選手権でメダルを獲得していただけに、本多の予選敗退は驚きとともに報じられた。
いったい何があったのか。
「いま思えばですけど、2月の世界選手権で、ケガ(大会直前に左足首をねんざ)があったなか、初めて金メダル(1分53秒88)が取れました。それが僕にとってはすごく価値あるものだったのですが、パリ五輪を見据えると、そこでスイッチが切れてしまったというか......。
|
|
世界選手権は終わったわけで、パリ五輪に向けて新たにスタートできればよかったのですが、その約1カ月後には(パリ五輪の)選考会もあり、どこか気持ちが"なあなあ"になってしまった。五輪選考会も微妙ではありましたが(1分54秒18の2位ながら派遣標準記録を突破)、代表切符を取れたことで中途半端なメンタルのままズルズルといってしまったのかなと思っています」
【「心と体が乖離してしまった」】
ケガや体調不良ではなかった、メンタルの問題だったと、本多は強調した。
大会開幕の10日ほど前、事前合宿地のフランスのアミアンでメディアの取材に応じた本多は、当時の状態について「65%」などと話し、残り時間で本番に向け調子を上げていきたいと前向きな姿勢を見せていた。
「正直、調子いいときが100%なら、当時の出来は10%くらいでした。周囲に期待されているのもわかっていましたし、なんとなく65%と言ってしまったというか。体の状態が悪かったわけではないです。でも競泳って、体と気持ちが一緒にならないと結果が出ないもの。トレーニングしているので体の状態は少しずつよくなっているのに、心がどうしてもついていかず、心と体が乖離してしまっていたということです。僕自身もその時は『なんとかしなきゃ』と気持ちばかりがはやって、自分の状態についてよく理解できていなかったのですが......。
もし大きな目標に向かうなら、まずは自分の気持ちを鮮明にして、そこからトレーニング、必要であれば休養を取らないとダメですよね。振り返ると、パリの僕は自分自身の気持ちが鮮明でなかったことで、本来の泳ぎがまったくできなかったのかなと思っています」
|
|
不思議だが、レース中の感覚は、2年前の大学3年の時に自己ベスト(1分52秒70)を出した際に近いものがあった、とも振り返る。
「夢中になって周囲が見えない状況というのは、自己ベストを出した時に近い感覚がありました。もちろん、周囲の選手が自分より前を泳いでいるのは、なんとなくは感じてはいました。でも、必死に泳いだ割に体の疲れは感じなかったし、そうした感覚は調子がいいときに似ている。だから結果が出る、出ないというのは本当に紙一重で、些細なことだったようにも思います」
そして本多は続ける。
「もしかしたら頭脳明晰な選手なら、すぐに(自分の状況に)気づくのかもしれません。でも、僕はそういうタイプではないですから、パリ五輪が終わりようやく気づきました。
五輪前の僕は、正直、金メダルしか見えていませんでしたし、そこに届くまでは、それほど距離があるとは感じていませんでした。ただ、実際にはその差は僕の体では表現できないほど広がっていたというか......。差が大きいということは、そのぶん可能性もあるということです。ただ、そこに行くのは簡単ではないですからね」
本多は大会前のインタビューで、金メダルを取るには(パリ五輪で200メートルバタフライのほか4つの金メダルを獲得したフランスの新星)レオン・マルシャンと東京五輪金メダルのクリストフ・ミラーク(ハンガリー)のふたりに勝たなければ、と語っていた。
ふたりは、本多が金メダルを獲得した2月の世界選手権には不在だった。パリ五輪ではそのマルシャン(1分51秒21)とミラーク(1分51秒75)が、いずれも本多が未踏の1分51秒台を出し、それぞれ金メダル、銀メダルを手にしている。
金メダルだけを狙っていた本多にすれば、ふたりの存在が脅威に映ったに違いない。彼らの存在が本多のメンタルに少なくない影響を与えていたのかもしれない。
(つづく)
【profile】
本多灯(ほんだともる)
2001年12月31日、神奈川県生まれ。イトマン東進所属。幼稚園時代に兄の影響を受け、水泳を始める。2020年に日本大学に入学。2020年日本選手権の200mバタフライで初優勝を果たす。2021年東京オリンピックでは200mバタフライで銀メダルを獲得。2024世界水泳選手権ドーハでは200mバタフライで日本人初の金メダルを獲得した。2024年パリオリンピック200mバタフライに出場。