パラスイマーと健常スイマーが同じ表彰台に立つことはできるのか?【松田丈志の手ぶらでは帰さない!〜日本スポーツ<健康経営>論〜 第11回】

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2024年12月29日 10:40  週プレNEWS

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6度のパラリンピック出場で金メダル3つを含む14個のメダルを獲得したレジェンドスイマー・鈴木孝幸の名を冠した競泳大会に参加した松田。今回は、「パラスイマーと健常スイマーの共生」というテーマについて語る


11月24日に開催された【第1回鈴木孝幸杯/Suzuki Takayuki Cup】に参加してきました。

【写真】大会に参加した松田と寺村美穂

鈴木孝幸選手といえば、6度のパラリンピック出場を果たし、金メダル3つを含む14個のメダルを獲得したレジェンドスイマーです。今回、鈴木選手から「自らの冠のついた大会を創設し、その大会をパラスイマー、健常スイマー関係なく参加できるインクルーシブな大会にしたい」と聞き、ぜひともお手伝いしたいと思いました。

実は私自身も、パラスイマーと健常スイマーが共に出場できる場をつくりたいと以前から考えていました。しかし、イベント運営の大変さを知る身として、自らが旗振り役となって大会を実現するには至りませんでした。

私がインクルーシブな大会をつくりたいと思った原点は、現役時代に出場したオーストラリアでの大会にあります。プログラムを確認していると、何やら見慣れない種目がいくつかありました。英語で表記されていることもあり、はっきりとわからないまま大会が進んでいきましたが、それらはパラスイマーのレースであることがわかりました。自分のレースに集中しなければいけない一方で、日本ではパラスイマーと健常スイマーが同じ大会で泳ぐことはほとんどありませんでしたから、同じ大会に自然な形でパラスイマーが参加している光景に感動しました。そして、彼らが競泳を通じて自身の限界に挑戦する姿に大きな刺激を受けたのを覚えています。同じ競泳をする身として、「競泳大会はこうあるべきだ」と感じました。

その経験から、既存の競泳大会のプログラムにパラスイマーのカテゴリーを追加し、同じ日に同じ舞台でレースできる形を目指したいと思っていました。しかし、鈴木孝幸杯はさらに一歩進んだ取り組みを実現しました。前述の大会ではパラスイマーと健常スイマーが同じ大会に出場しても、レースそのものは別々に行なわれることになります。鈴木孝幸杯では、両者が同じレースで一緒に泳ぎ、競い合う形式が採用されたのです。


この革新を可能にしたのが、パフォーマンスをタイムではなく「ポイント」で評価する仕組みです。このポイント制度では、各種目の世界記録を基準(1000ポイント)とし、その記録との比較によって選手のパフォーマンスがポイント化されます(これは従来の競泳の大会でも、異なる種目間の比較や大会MVPの選出をする際に使われています)。鈴木選手は、このポイントがパラ競泳でも健常競泳でも同じ算出方法である点に着目し、それを活用して「共に競い合える場」を創出しました。

大会では午前に予選、午後に決勝が行なわれ、パラスイマーと健常スイマーがポイントを通じてメダル争いを繰り広げました。この光景は、競泳が身体の状況に関係なく誰もが挑戦できるスポーツであることを示していました。また、単純な速さだけでなく、ポイントによって競技者同士が垣根を超えて競い合う素晴らしさをも感じることができました。参加した選手からは、「普段競い合うことのない人たちと泳ぐことで技術面での学びがありました」や、「自らの身体を最大限に活用してダイナミックに泳ぐスイマーたちに刺激を受けました」など、たくさんの前向きな言葉を聞くことができました。

鈴木選手が伝えたかったメッセージは「共生社会の実現」です。健常スイマーとパラスイマーが一緒に泳ぎ、互いの存在を認め合いながら競い合うことで他者への理解を深め、共生社会の実現につながる大会を目指したのです。鈴木選手自身も50m平泳ぎに出場し、優勝を果たしました。その際、3位に入った健常スイマーと共に表彰台に立ったことを「本当にうれしかった」と語っていました。


パラ競泳の課題のひとつに、競い合うライバル選手の少なさがあります。パラ競泳では障害の程度によってクラスが細かく分かれていますが、それにより1種目の出場者数が極端に少なくなることがあります(場合によっては、選手がひとりで泳ぐこともあります)。長年この課題に向き合ってきた鈴木選手は、「もっと多くの選手と競い合いたい」という思いを抱いていました。

かつて日本では健常者向けのスポーツは文部科学省、パラスポーツは厚生労働省が管轄しており、同じ「スポーツ」でありながら所管省庁が分かれていました。2011年にスポーツ基本法が施行されると一元化される方向へ進み、2014年にはパラスポーツの管轄も文部科学省へ、2015年にはスポーツ庁が文部科学省の外局として設置されました。一方、日本オリンピック委員会(JOC)と日本パラリンピック委員会(JPC)は現在も別組織として運営されています。

海外に目を向けると、アメリカ、イギリス、カナダなどではオリンピックとパラリンピックを包括的に支援するため、支援組織を統一しています。この統一化により、資金調達の効率化や政策決定の迅速化、運営コストの削減が実現しています。日本においても、こうした海外の事例を参考にしながら、より包括的な支援体制の強化を目指すことが求められるでしょう。

鈴木孝幸杯は、鈴木選手自身が運営や事務作業にも積極的に関わりながら実現した大会です。そして、参加者や観客からの評価も高く、従来のパラ大会に比べて「車椅子の動線が確保されていない」など、運営側に寄せられるバリアフリー対策への苦情も少なかったといいます。この大会が示した「共に挑戦するのが当たり前」という価値観が広がれば、スポーツだけでなく社会全体における「共生」の意識が自然と育まれるでしょう。

また、競泳界だけでなく日本社会全体にとっても大切な示唆を与えてくれました。大会は来年以降も続いていきます。この取り組みがこれからの日本のスポーツ文化、そして共生社会の実現に大きな影響を与えることを願っています。

文/松田丈志 写真提供/株式会社Cloud9 協力/株式会社ゴールドウイン

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