アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひくといわれながら親米一辺倒で歩んできた日本の戦後。来年80年の節目を迎えるに当たって、昭和史研究の第一人者である保阪正康氏とともに日本の民主主義を改めて振り返った…。
【写真を見る】本当の保守とは“緩慢な革新” 民主主義がアメリカ国益主義になってはいないか【報道1930】
「6年8か月の間にアメリカンデモクラシーが私たちに植え付けられた」日本は戦争に負けた“おかげ”で民主主義を手に入れた。アメリカの占領下で始動した日本の民主主義は当然アメリカの好む形で成長した。保阪正康氏はアメリカの民主主義は“(アメリカの)国益に合致する民主主義”だと言う。
昭和史研究家 保阪正康氏
「占領期は6年8か月続いた。この6年8か月の間に戦後民主主義つまりアメリカンデモクラシーが私たちに植え付けられた。ところが占領前期と後期で全く違った。占領前期は理想的、理念的…。後期は東西冷戦の下で現実的。アメリカンデモクラシーはこの二つを抱え込んでいる。…これが普遍的なものなのか、そうではないのか、(戦後80年)私たちは問うてこなかったんです。戦後80年っていうのは改めて問い直す時…」
一方で、毎日新聞・主筆の前田氏は言う…。
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毎日新聞社主筆 前田浩智氏
「戦争を戦ったのもアメリカ、占領を受けたのもアメリカ…、日本はずっとアメリカとどう付き合うかが最重要課題だった。アメリカがどう変わろうが付き合わざるを得なかった…」
そのため政治の主流である“保守”が常に第一にアメリカを考慮する“親米保守”なるスタンスが生まれた。親米保守の流れを簡単に振り返ると…。
1945年終戦〜。吉田茂総理はアメリカと上手に付き合い独立を成し遂げる。
60年代岸信介総理は日米安保を改定し地位協定を結んだ。
80年代は中曽根総理が“日本列島は不沈空母…ソ連の侵入に巨大な防壁を築く”と言った。親米保守には民主主義を守る“反共”という大義名分があった。ところが冷戦後も反共は先細るものの親米は続いた。
こうした親米保守を批判し“対米自立”を訴える民族派団体『一水会』はあらゆる国の価値観を尊重する“総調和”を主張する。代表の木村氏は2003年小泉純一郎総理がイラク戦争を始めたアメリカを真っ先に支持したことを“恥ずかしい”と語った。
『一水会』木村三裕代表
「親米というより従属、従米になってるんじゃないか…。アメリカに無批判に引き続いてしまうと新たな帝国主義的な覇権主義的な路線にハマってしまうのでないかと私たちは批判している。イラク戦争では大儀だった大量破壊兵器は発見されなかった。本当に恥ずかしかった。とにかく闇雲にアメリカを支持してしまえって…。自民党が親米路線で保守路線を担ってきたのは本質は私に言わせれば“損得”なのかと…(中略)確かにアメリカと一体で行くことは一つの国益ですが、本来的には自立して将来的にも総調和で行く足腰をしっかり持った国益にならないといけない…」
一方、保阪正康氏は“親米保守”という言葉自体が論理矛盾しているという。
昭和史研究家 保阪正康氏
「保守とはこの国の伝統的な考え方・習慣・発想色々なもの大事にしながらそれをもとにして日々改革をしていこうと…。それに“親米”という前提がついたら論理矛盾…」
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しかし、戦後日本政治の中で親米一辺倒ではなく是々非々の態度を取った政治家もいた。
ひとりは外務大臣時代駐留米軍の予算を削減した石橋湛山氏であり、ひとりは日中国交正常化を実現した田中角栄氏だ。
昭和史研究家 保阪正康氏
「極端な親米、一体化まで行っちゃいけないんだっていうのが湛山さんや角栄さん。国民の利益、民族的な誇りを大事にしなきゃいけない。その次に親米…」
田中角栄総理はオイルショックの時、キッシンジャー米国務長官からアラブの味方はやめてくれと言われ「中東の石油に依存している。アメリカがその分を肩代わりしてくれるか?」と返したという。
昭和史研究家 保阪正康氏
「田中角栄という人は、アメリカは寄って立つ柱ではあるけれど中心ではないと…。キッシンジャーは“こいつは何を考えてるんだ…。親米という柱を立てるのが筋だろ”と…」
そして冷戦終結後も日本の政治が親米を続けたことについて、保阪氏は歴史は状況が変わったからと言って簡単に変わらないという。
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昭和史研究家 保阪正康氏
「50年60年続いた親米…。国家と国家の利害関係が結びついている。これを解きほぐすのは1年や2年では進まない…。残念なのはこれを解きほぐして(自立する方向へ)向かってないって言っていいんじゃないかということ」
一方、前田氏は歴史だけでなく、今まさに進行している日本周辺の動きも重要な要素だという。
毎日新聞社主筆 前田浩智氏
「(―――冷戦が終わっても続いた…)2000年以降何が起きたか…、中国の発展と軍拡なんです。北朝鮮がどんどん核に向けて走る、ロシアではプーチンが復帰して…。権威主義国家が3つ出てきて、ここと日本はどうしていくか…。冷戦時アメリカに頼ることで紛争に直面することなくうまくやった。この成功体験から抜けられないままでいる」
保阪氏は“保守”というものに興味を持って沢山の政治家の本を読んだ。その中で前尾繁三郎の『政(まつり)の心』という本に惹かれた。因みに衆議院議長だった前尾氏は蔵書3万冊と言われる超読書家でもあった。
昭和史研究家 保阪正康氏
「『政の心』の中で、保守とは何かって…、字の解説から歴史解説までしていて…、なるほどなと思ったのは、保守というのは私たちの国の伝統とかものの考え方とかを踏まえながら日常の中で少しずつ改革をして行く…。目の前にある選択肢を改革という名で選択して行く…“緩慢な革新”だ。
保守とは何か立ち止まって古臭い考え方に過去を思い出して、すがっているんじゃないかって…。そうではなくて改革する、それもゆっくり改革していく。ひと世代でできなければ2世代で改革していく。それが“真正保守”。いま日本の政治でこの真正保守という、まっとうな保守を代弁してくれる政党・政治家っていうのがいるんだろうか…」
そして、保阪氏は以前の当番組内でも“今最も求められる政治家”として名を挙げた石橋湛山氏こそ真正保守としてふさわしいと語った。
昭和史研究家 保阪正康氏
「今、石橋湛山がいろんな形で脚光を浴びるのは、真正保守という言葉が彼に代置することができる。石橋湛山を見るということは真正保守を求めてるんじゃないか…。そういうのが政界にも世論にも社会にもあるんじゃないか…(中略)真正保守というのは“イズム”じゃない。政治思想じゃない。日々の律し方、政治の在り方…」
現在の政党地図でいうと真正保守はどこに位置するのか問うと、保阪氏は“中道”と答えた。そして、目指すべき政党地図を語った。
昭和史研究家 保阪正康氏
「極論ですけど…。左派右派いるでしょうけど中道グループとリベラル左派とナショナリズム右派、この3党に…。全部一回解党して作り直したらいいと思いますね」
(BS-TBS『報道1930』12月23日放送より)