<バドミントン:全日本総合選手権>◇最終日◇30日◇東京・武蔵野の森総合スポーツプラザ◇女子シングルス決勝
28年ロサンゼルスオリンピック(五輪)の星が、18歳で日本一に輝いた。宮崎友花(ともか、山口・柳井商工)が平成以降では4人目となる女子高生優勝を達成。決勝で仁平菜月(26=ヨネックス)を2−0(21−18、21−14)のストレートで破った。
世界ランキングも日本勢3番手の12位につける3年生。バドミントン界に現れたニューヒロインが、五輪金メダルの夢へ突き進んでいく。
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将来の夢は何ですか−。優勝インタビューで問われた宮崎は、間髪入れずに宣言した。
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「五輪で金メダルを取ることが夢です」
観衆から拍手が沸き起こっても、表情は毅然(きぜん)としたまま。18歳は口元を結び、静かにうなずいた。
自身初の決勝でも堂々としていた。8歳上の仁平から攻め立てられた中、冷静にコーナーへ振り分ける。鋭い瞬発力と豊富な運動量でラリーへ持ち込み、粘り強く加点。最後は6連続得点で頂点に立ってみせた。「向かって来られる試合も多かった」と重圧を感じながら、攻める姿勢は貫いた。
「緊張や疲労もあったけど、我慢強く戦えたことがすごく良かった。諦めずに最後まで攻め切れた」
11年同大会を16歳8カ月で制している奥原希望も「自分のタイミングやリズムを持っている選手。よく重圧を乗り越えた。やっぱり宮崎ちゃん。強さを証明した試合だった」と11歳下の新エースをたたえた。
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その奥原や山口茜ら、平成以降では3人だけが成し遂げていた高校生日本一。宮崎が4人目として続いた。「憧れの選手たちと同じ結果を残すことができて、本当にうれしい」。世界で戦っていく自信も深める称号をつかんだ。
生まれは大阪だが、中学で実家を離れて山口の強豪へ。高校1年時の22年に奥原や山口に次ぐ世界ジュニア女王となった。2年時からは全国高校総体を2連覇。磨いた芯の強さを全日本でも示したが、試合終了30分後の会見では、あどけない受け答えで場を和ませた。
「運動神経が良かったので、母から『テニスはどう?』と言われたけど、あまり力がなくて。『間を取ってバドミントンをやってみたら』と言われて始めました、何となく」
卓球少女だった6歳の頃にバドミントンと出合った日を、ふわっと回想して笑いを誘った。優勝のご褒美も、初々しい。中高の1学年先輩にあたる田口真彩とディズニーリゾートへ行くといい「今日から遊びたい」と高校最後の冬休みに胸を躍らせた。
つかの間の女子高生を堪能し、年明けの1月7日からマレーシア・オープンに臨む。
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「来年はすぐ大会があるので、しっかり頑張りたい」
その道は4年後に続く。21歳11カ月で迎えるロサンゼルス五輪へ。夢の金メダルへ、足跡を1歩ずつ刻んでいく。【藤塚大輔】
◆宮崎友花(みやざき・ともか) 2006年(平18)8月17日、大阪市出身。6歳で競技を始め、山口・柳井中を経て22年に柳井商工へ入学。同年世界ジュニア選手権優勝。全国高校総体では23年から2連覇。現時点の世界ランキングは日本勢3番手の12位。高校卒業後は山口県内の実業団「ACT SAIKYO」へ加入予定。好きな色は緑色。好きな教科は美術。右利き。身長164センチ。
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