「これからは元日が命日」 妻子ら10人失った男性 能登地震1年

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2025年01月01日 21:18  毎日新聞

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能登半島地震から1年を迎えた元日の朝、津波で流され、そのままにされている車=石川県珠洲市宝立町で2025年1月1日午前7時7分、滝川大貴撮影

 能登半島地震で家族と親戚計10人を亡くした金沢市の寺本直之さん(53)が1日、石川県輪島市で開かれた県主催の追悼式に出席し、亡くなった家族らを悼んだ。「これまでは普通の正月、元日だったが、これからは命日と考えて、生きている限り見守っていきたい」と尽きぬ思いを語った。


 妻弘美さん(当時53歳)と当時15〜24歳の3男1女の一家5人が一足先に同県穴水町由比ケ丘の実家に帰省。地震当日は5人に加え、弘美さんの両親ら親戚5人もおり、計10人が家ごと土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。


 寺本さんは2024年4月下旬まで、妻子が亡くなったことに伴う手続きや周囲へのあいさつ回りなどに追われた。「もちろんさみしいけど、心折れる時間なんかないほど過酷だった」と振り返る。


 家族と暮らしていた金沢市の自宅は売却し、今は同市内の実家に暮らす。「1人になったんでどうしようもない。さみしいし、思い入れが強いから」と理由を話した。


 住まいでは家族の写真を部屋の出窓に並べて、出勤前や帰宅した時にひと言ふた言声をかけるのが日課だ。声が聞きたくなれば、家族旅行で行った東京ディズニーランド(千葉県)で撮った動画を見返す。24年12月中旬にようやく亡くなった家族の納骨を終えた。


 1日は追悼式に先立ち、穴水町の妻の実家跡を訪れた。家はがれきや土砂に押しつぶされた妻の乗用車がそのまま残り、公費解体を待つ。


 追悼式で黙とうをささげ、最愛の家族に「生きていく限り、みんなのことを伝えていきたい。天国で見守っててね、みんなのために頑張っていきたい」と心の中で語りかけたという。【国本ようこ】



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  • 可哀想だけど、人間なんて毎日どこかで亡くなっている。個人のミクロな問題を国家規模=マクロの問題にすり替えて政権批判の出汁に利用するれいわ裏金組の輩には反吐がでる。
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