2023年9月、大阪府吹田市に誕生した子育てシェアハウス「すいまーる」。8LDKの一軒家で居住、宿泊、地域交流、レンタルスペース、こども食堂など何役もこなし、“0歳から120歳まで訪れる多国籍コミュニティハウス”を謳う。
運営にあたるのは、應武茉里依氏(29歳)だ。2022年には夫婦別姓のために事実婚をしている夫との間に長男も誕生した。同シェアハウスは應武氏の「そもそも家族だけで子育てを担うのは難しいのではないか」という疑問から生まれたという。人気ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ、2024年5月26日放送)でも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。
一方で2024年4月に長男が入院し、現在でも痰の吸引や人工呼吸器の管理が必要な状態が続く。育児だけなく、医療的ケアを「誰が担うのか」という問題が浮上した。日本社会において求められる“献身的な母親像”について、應武氏に話を聞いた。
◆きっかけは「南太平洋の島国」
――應武さんが「すいまーる」を立ち上げようと考えたきっかけについて教えてください。
應武茉里依(以下、應武):南太平洋の島国・ツバルを旅行したとき、女性が子どもを抱っこしながら話しているのを見かけました。お母さんと子どもかなと思ったのですが、「自分の子どもではない」と言われて驚いたんです。同時に、社会全体で子どもを育てている文化に希望を感じました。
翻って日本においては、育児が家庭の、もっと言えば母親だけの役割として当然視されているところについて、ずっと疑問に思っていました。核家族の限界のようなものには早くから気づいていて、独身の頃から子育てするならシェアハウスでしようと考えていました。また、子どもの視点に立ってみても、多くの大人の価値観に触れながら成長したほうが有益そうだなと感じていました。そうした考え方が根底にあり、夫が理解のある人間だったことで実現しました。
◆実家に来た夫の指摘で気づいたこと
――應武さんはご自身の生育歴において心理的虐待を受けたことを告白していますよね。
應武:そうですね。物心ついた時から両親の仲が悪く、夫婦喧嘩は日常茶飯。家庭内での会話は皆無でずっと私が伝書鳩を行っていました。親の機嫌を損ねないよう精一杯振る舞っても「ほんっとにもう」「理解できない」「もう置いてくからね」としばしば言われ、しんどさを感じながらもそれが私の日常になっていきました。そんな我が家に違和感を抱いたのは、結婚に際して夫が実家に来たときです。夫から「皮肉や否定的な言葉が飛び交っている」と指摘され、「確かにそうだ」と腑に落ちました。
また、出産後、保育士資格を取ったことで児童虐待について勉強し、「否定的な表現」を始め「夫婦喧嘩を見せる」それ自体も心理的虐待にあたるということを理解しました。大人になってからの手紙や番組のなかで、母は「とっても後悔しています」と口にしていて、今の私は当時のことを「母ではなく環境が悪かった。頼る人がいないという“孤育て”が心理的虐待を産んだ」と理解しています。
◆なぜ入院する息子の付き添いを断ったのか
――現在、ご子息は入院中であると伺いました。2024年4月に初めて体調を崩されて入院したとき、應武さんは付き添いを断り、結局、旦那さんが付き添いされたとか。その理由を教えていただけますでしょうか。
應武:当時、私は夫から「ついに卒乳もできたことだし、これまでずっと頑張ってきた分1週間くらいリフレッシュでもしてきたら」と提案され、旅先にいました。息子の不調の報せを受けて、急遽帰宅したんです。その病院は家族の誰かひとりが付き添えるシステムで、感染症対策のため、1度付き添ったら同じ人が2週間ずっといなければなりません。私は「母が私にしたように、私もまた息子に虐待をしてしまうのではないか」と恐怖しました。虐待は起きてからでは防げません。
夫は「息子視点で今一番そばにいて欲しいのは母親だと思うから、付き添ってあげてほしい」と言っていました。その気持ちもわかります。しかしそうした私の考えを夫に伝え、議論した結果、彼が息子に付き添うことで決着しました。彼からは「まりーちゃんに親らしさを求めることはもう諦めた方がいいのかな」と言われてしまいましたが。
◆ずっとそばに居続けることだけが愛ではない
――ご子息への思いはあるものの、ご自身の生育歴からくるトラウマなどを勘案した結果、付き添わない選択をしたわけですね。
應武:そうですね。虐待の多くは密室で起こります。虐待を防ぐため、具体的には、子どもとの一対一の空間で煮詰まったり親が精神的に追い込まれてしまう瞬間を少しでも減らすために子育てシェアハウスを立ち上げた経緯があります。子育てに向き合うなかで少しずつ恐怖が薄れている最中ではありましたが、どうしても2週間の付き添いは難しいと判断しました。後ろめたさはありましたが、親子関係を破綻させないために長い目で見てプラスの選択だったと思います。ずっとそばに居続けることだけが愛ではないと信じています。
――今後、ご子息は医療的ケア児となります。シェアハウスの同居人はご子息の法律上の家族ではありませんが、これまでと同様に共同で育児をすることが可能なのでしょうか。
應武:息子の入院前までは、同居人には一緒に育児を担ってもらいました。放送では触れていませんが、我が家は家事や育児への協力の度合いによって、家賃や食費が割引されていく仕組みを導入しています。ただ違法性のない子育てシェアと違い、医療的ケアのシェアは難しい問題がありますよね。息子を在宅で診ることになった場合、家族以外の非医療従事者が痰の吸引、人工呼吸器の管理、経鼻栄養の管理などを担えるのかどうか、厚生労働省の資料を読み込んで検討しているところです。あるいは現行制度に合わせるならば、同居人にそれらの研修を受けてもらって、介護者として協力してもらう道もあり得るかもしれません。
◆核家族での子育ては「母親に著しく負担が偏りすぎる」
――應武さんは核家族で子育てをすることの限界、殊に母親に著しく負担が偏りすぎることへの危惧を述べておられます。その原因はどのようなものだと考えますか。
應武:原因は複合的だと思います。1つは日本社会に蔓延する“母性神話”のようなものはあるでしょう。母親の自己犠牲の精神に支えられた家庭は多く、子どもや夫に尽くす姿こそ清いという幻想がいまだに残っています。お互いにフルタイムで仕事をしている夫婦で、立場としては変わらないはずなのに、家事・育児の負担比率が妻に偏っているときは、さも当然。一方で夫に偏っているときは世間に持て囃される。不思議ですよね。
もう1つは、「頼るのが苦手」な人が多いことです。夫婦だけで家事育児を抱え込まないために家事代行やファミリーサポートサービスが存在していますが、案外「知ってはいるけれど利用していない」という層が多いと思います。「こんな理由で使っていいのかな」という引け目があったり、「家庭内のことをアウトソーシングしてはいけない」という圧力を感じたり、また「家に人を入れたくない」「知らない人だと気を遣う」といった声も耳にします。
◆義母が理解のある人で良かった
――應武さんも、そうした経験がありますか。
應武:あります。「すいまーる」設立以前、義実家に住まわせてもらっていたのですが、出産後にファミリーサポートを活用して好きなバンドのライブへ出掛けました。内心、義母がなんというか怖い気持ちもありました。しかし義母はとても理解のある人で、「私たちの時代はそうした発想がなかったけど、先進的でいいね」と評価してくれたんです。あのときもしも否定的な言葉をかけられていたら、私も世の中のお母さんと同じように自分が楽しむことを諦めていた思います。
◆「私たちの生き方」が「他の誰かの選択肢の1つ」になれば…
――そうした「母はかくあるべし」というしめつけに染まらないために、應武さんが意識してやっていることがあれば教えてください。
應武:子どもに対して人生を楽しむ姿をなるべく見せること、そしてより多くの大人との接触の機会を持たせることでしょうか。
前者は、これから大人になっていく子どもが「大人になったら義務ばかりなんだ」とげんなりしないためにも必要だと思っています。たとえば我が家では、月に2回ずつ、特に何もなくてもどちらかが自由に遊びに行ったり飲みに行ったりする日を作っています。母親だって、ライブに行ってもいいし、野球にいってもいいし、資格勉強してもいいし、ミュージカル出演してもいいし、海外に一人旅に行ってもいいと思っています。見聞を広げるためにも必要ですし、そうしたリフレッシュが家庭に新しい風を吹き込み、健全な家庭をつくります。
後者は、閉じられた核家族において親だけの価値観を子どもに押し付けてしまわないように行っています。私は「すいまーる」設立以前もさまざまなシェアハウスで生活した経験があり、生活習慣にバリエーションはあっても善悪は存在しないことを知りました。単なる価値観の違いなのに、それを善悪で捉えないようになってほしいと思っています。
そして何より、これらを私たちの中だけにとどめないこと。我が家は“住みびらき”や宿泊でたくさんの人が足を運んでくれるのですが、こういった考えや姿勢を積極的に話すようにしています。すると「こんな風に頼っていいんだ」とか、「そんな発想はなかった」といった声があがるんです。今回の取材もそう。批判を受けることもありますが、たった1人でもこれを見て希望を見てるなら万々歳です。私たちの生き方が他の誰かの選択肢の1つになり、頼り頼られながら楽しく生きる大人が世の中に増えていったらいいなと思っています。
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應武氏の話を聞いて思う。自らを雁字搦めにするものから解き放たれるのは、極めて難しい。社会と、社会に影響を受けた自分の両方からの束縛によって徐々に身動きが取れなくなるからだ。そして何より、不自由な自分を受容してしまう諦めが社会全体に沈殿していないか。
もしもその諦めの延長線上に育児があるとしたら、幸福そうにみえる不幸がそこらじゅうで萌出していることになる。世間の目線に怯え、義務感を背負いながら子どもと向き合うのではなく、フラットな状態で対峙した。付き添い拒否という衝撃の選択の裏に、應武さんなりのそんな葛藤が確かにあった。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki