2025年、新年を迎えた。去った2024年は、ガザ侵攻やウクライナ侵攻といった、終わらない戦争に思いを馳せた1年でもあったのではないだろうか。長引く戦闘を報道などで目の当たりにし、「なぜ戦争は終わらないのだろうか」と疑問や憤り、悲痛な思いを抱えながら過ごした人もいるだろう。
西洋史、特にポーランド史を研究する小山哲・京都大学大学院文学研究科教授は、「大国を中心にした視点を変えて、地べたに立って想像してみることでまったく違う世界が見える」と、「自分ごと」として考える大事さを語る。歴史という長い文脈からパレスチナ、ウクライナについて考える本『中学生から知りたいウクライナのこと』『中学生から知りたいパレスチナのこと』(ミシマ社)の著者のひとりでもある小山さんにインタビュー。
どうすれば戦争は終わるのだろう? 私たちは、どのような視点をもって対峙していけばいいのだろう? じっくりと語ってもらった。
—『中学生から知りたいウクライナのこと』『中学生から知りたいパレスチナのこと』では、ふたつの戦争を、長い歴史の文脈から考え、その根本を紐解く内容となっていますね。「歴史学」から語ろうとした思いの底には、例えばいまの情勢だけではないところを知るべきだという思いがあったのでしょうか?
小山哲(以下、小山):そうですね。(同書で共著を務めた)藤原辰史さんと共通の思いとしてありました。
ウクライナの戦争も、ガザへの侵攻も、いま現在の時点、情勢だけですべてを語られてしまうことへの違和感がありました。もちろん、テレビや新聞による報道は重要で、必要な情報です。例えば、国際関係や軍事の専門家の方がよく出てきておられて、詳しい説明をなされますよね。
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例えば、イスラエルを建国したときのユダヤ人と呼ばれる人たちって、もともとどこから来たの? ということを考えると、東ヨーロッパ、東欧ロシアから来た人がものすごく多くて、建国の中心にいた人たちが見えてきます。その背景は400〜500年さかのぼって初めて理解できる。場合によっては中世まで見ないとわからないことかもしれない。
小山哲(こやま さとし)
1961年生まれ。京都大学大学院文学研究科教授。専門は西洋史、特にポーランド史。主な著書・共編著に『中学生から知りたいウクライナのこと』『中学生から知りたいパレスチナのこと』『大学で学ぶ西洋史〔近現代〕』『人文学への接近法』。
—欧州のように、たくさんの国が複雑に絡み合う歴史は、日本に住んでいる私たちからすると、感覚的にイメージしづらいように感じます。ウクライナやパレスチナの成り立ちや文脈を考えるためには、まずはどのような知識が必要でしょうか?
小山:『中学生から知りたいウクライナのこと』で藤原さんも特に強調していることですが、私たちは世界史を大国中心に学んできた経緯がありますね。例えばポーランドやウクライナの歴史と聞いても、流れをイメージしにくいと思うんですよね。
特に、この深刻な問題を考えるには「流血地帯」(※)の歴史について知る必要があります。1930年代から第二次世界大戦が終わるころまで、すさまじい暴力が放置された地域がバルト海と黒海の間に広がっていて、この地域を流血地帯と呼びます。イスラエルを建国した人たちは、ここから移住した人が中心になっているんですよね。
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バルト3国からポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、チェコ、スロバキア、ハンガリー、バルカン地域まで含めると、いまはたくさんの国に分かれています。この地域は言語も宗教も多様です。大国の狭間にあって、その支配のもとに翻弄されてきた場所なんです。
そういう歴史をどう学ぶかはとても難しいことで、私も正解を持っているわけではないのですが、例えばドイツとロシアの関係だけ見ても語りきれないし、そもそも一番深刻な問題はその語りでは見えてこない。
この流血地帯は、そこにいる人たちそれぞれの立場から、この状況がどう見えているかということを学ばないといけない地域なんです。それを学ぶ準備が日本の歴史教育のなかには、これまであまりなかった。だから何が起こってるのかわかりにくいと、みなさん感じているんだと思うんですよね。
『中学生から知りたいパレスチナのこと』書影
—小山さんがおっしゃっている「問題」とは、戦争の根本的なところにある、例えば民族だったり、ルーツであったりの衝突や軋轢が見えづらい、ということを指しているかと思います。それを教育のなかでカバーしようとすると、どうしても膨大な量になってしまうため、大国に焦点を当てざるを得ないという背景もあるのでしょうか。
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歴史を見るとき、どこから見ればいいのかという問題です。明治以降の日本の歴史の学び方には、世界の歴史を動かしてきた強国大国、そのなかに日本も加わって、日本も強く大きくならねばならない、そのためにどこから学ぶか、という考え方があった。そういう発想から歴史をとらえてきて、教育もその方向から行われてきたように思うのですが、そうではなくて。
例えば、強国大国に占領されたり、支配されたりした側から見たら、どう見えるのか。そういう感覚を持てるかどうかの問題だと思うんです。
日本の歴史もそうで、例えば鎌倉時代と江戸時代は、その時代を統治した幕府の拠点によって時代区分がされていますよね。切れ目や意味づけがないと歴史はとらえづらいので、もちろん、その視点から歴史を学ぶことに意味がないと言うわけではありません。
一方で、それに加えて、例えば江戸時代には琉球王国があった。いまの北海道には、アイヌ民族も暮らしていた。琉球王国やアイヌの人びとが暮らす地域は、幕府の支配の及ぶ領域の「一部」といえるのかいえないのか、曖昧な領域だったわけですよね。まず、その曖昧な領域があったんだ、と感じとる必要があるのと、琉球王国の人からみたらこの関係性はどう見えるのだろうか、という感覚を持ちながら江戸時代について学ぶ。そういうことをもっと学校教育のなかで考えてみると、また違うと思うんです。
例えば、ウクライナの戦争が起こったとき。プーチンがどう考えてるかって大事だけれど、ロシア側からだけを見るのではなくて、プーチンに攻め込まれた人たちからすると一体この状況はどう見えてるんだろうか、と考えることができると思うんです。
2024年7月8日、ウクライナのキーウ(Shutterstock)
—たしかに、プーチン側の動機に焦点が当てられることも多いように感じます。無意識のうちに、大国とされる側の視点に重きを置いていたといいますか……。
小山:歴史学者も反省することなのですが、例えばホロコーストを考えるとき、ナチスドイツとユダヤ人の二項対立で語られてきました。でもそれだけではないんですよね。
第二次世界大戦中、ナチスが占領した地域で、たくさんのユダヤ人がアウシュヴィッツ収容所に移送、隔離され、殺されていった。学校でもそういうふうに習うと思います。その側面が強く語られてきましたが、じつはそれは問題の一部なんですよね。
なぜホロコーストが起こったのか、ということを考えるとき、どこで暮らしていたユダヤ人が隔離され、殺されていたか。それは先ほども触れた「流血地帯」のなかにあって、もともとドイツ人がいた場所ではないんです。
ポーランドやウクライナ、ベラルーシ……その辺りに多くのユダヤ人がいて、普段彼らが接していたのはポーランド人であったり、ウクライナ人であったりするわけです。そこにドイツ軍が入ってきて占領して、実際に虐殺が起こったとき、ドイツ人とユダヤ人の二つの集団だけで説明することはできないんですね。
虐殺の現場には、ポーランド語を話す住民も、ウクライナ語を話す住民もいた。その人々を傍観者と言い切れるかはそこも微妙で。最近やっと、ドイツ人とユダヤ人だけの関係としてみるだけではなく、それに加えて、ユダヤ人が暮らしていた地域、状況を考えのなかに入れて、ホロコーストという現象を見直そうという動きが歴史学の研究者のなかでも起こってきていて。そうすると、問題はもっと深刻だということになるんです。
ポーランド系の人たちのなかでも、迫害に加わった人、逆に匿った人たちもいる。どういった動機で匿っていたか、それをさらに詳しく調べていくと、人道上の理由で匿った人もいるんですが、もうひとつ、ユダヤ人からお金がもらえるから、という理由もある。これはポーランド人自身もあまり語りたくない歴史の一面であるから、研究もすごくしづらいんです。
—例えば、ホロコーストをテーマにした映画では、どうしてもドイツ人とユダヤ人という二項対立で語られるケースが多いので、そのほかの環境はあまり想像したことがなかったです。
小山:そうですよね。なぜアウシュヴィッツ収容所のことを私たちが知っているのかというと、そこには生き延びた人もいて、その人々が非常に詳しくそのなかで起こったことを語ってくれたからなんですね。一方で、じつは同じくらいの人々が、収容所に送られることもなく、現場で殺されている。生き残った証人がいないんです。
だから、流血地帯という言葉の意味は、収容所でたくさんの人たちが殺されたことだけではない。収容所の外の空間にも、本当にたくさんの血が染み込んだ土地が広がっている、そういうイメージで見なければいけないんですよね。
これも上から見下すのではなくて、地べたに立ってもう一度歴史を見直すと、少しずつ見えてくる問題なんです。そういう視点で歴史を見る習慣を、例えば中学高校で知識を勉強するときから身につけておくと、実際に起こっている戦争を見るときの目線が変わってくると思います。同時に、「自分ごと」にもなってくると思うんですよね。
『中学生から知りたいウクライナのこと』書影
—どこか遠くで大きな国同士が戦っているという感覚ではなくて、すべては自分の延長線上にある問題と地続きであるという感覚が重要だ、ということですよね。これは著書のなかでも、例えば日本や欧米が「外」にいるかのような感覚があることを問題として指摘されていました。
小山:そうですね。だからできるだけ、その地域で日常を生きている人たちにとって、いま起こっている戦争がどういうもので、どういうふうに見えているのか。自分は実際その場にいるわけではないので、想像してみるしかないわけです。
たしかに想像するためには知識が必要です。例えばウクライナであれば、ロシア語とは違うウクライナ語という言語があります。そこから、ロシア語とウクライナ語はどういう関係にあるのか、考えてみる。ウクライナ語で作品を書いて出版したり、ウクライナ語の教育をすることが抑圧されたり、禁止されたりした時代があったわけですから、そのことは知識としてわかっていなければいけない。そのうえで、ウクライナ語を自分の言語だと思っている人の立場に立ってみると、ロシア語を押し付ける軍隊が攻め込んできたら、どう感じるか。それを想像してみる。
それと同時に、例えば沖縄の人々は沖縄の言語で暮らしていたところに、明治以降、日本の教育が入ってきて、沖縄の言葉で話すと叱られる状況があった。教室で「標準語で話しなさい」と。アイヌもそうですし、関東大震災の朝鮮人虐殺においても、言葉の訛りを理由に非常に理不尽なかたちで殺されていった。
そういうことも同時に想起されてくる。そういった歴史のとらえ方、考え方というのが、もうちょっと社会にあるといいなと思いますね。
—これまで小山さんに、俯瞰でみる視点だけではなく、例えば隣人のように地べたから見る視点の大事さ、そして単純な二項対立で考えることの危険性についてお話しいただきました。それを重視する理由は、分解するとどういうところにありますか。
小山:そういう状況になったときに、ひょっとすると自分も殺す側に立つ可能性がある、と考えることが私は大事だと思うんです。
私たちはどうしても、被害を受ける側に感情移入をするのだけれど——もちろん、それも大事です。それがないと自分ごとにならないから——でも、自分ごとにすることのさらに大事な意味は、つねに自分が侵略する側になる可能性があるのだと考えることだと思います。それをわかっているかどうかというのは、大きなことじゃないかなと思う。
2024年8月29日、ガザ地区中心部(Shutterstock)
—例えばロシアがそうであるように、大国で暮らす人のなかにも侵略に反対する人はいて、しかし大きなムーブメントや抑圧から加担せざるを得ない状況にある。それは私たちが暮らす日本もその枠の外にはいないという意味でしょうか?
小山:さらにもっといろいろな考え方ができます。例えば、いまのロシアで、ウクライナ戦争に批判的な人もいると思うんです。この戦争はやっぱりおかしいと感じている人もロシアの社会のなかにはいるはずで、でも声を出せないわけですよね。弾圧されてしまうから。
ただ、ロシアのいまの体制だって、いろいろ圧力のかかったかたちではあれど、選挙をやって、一応民主主義的な手順を踏んでから成り立っています。
そういう体制が日本ではあり得ないのかというと、そんなことはないわけです。イスラエルも、ちゃんと議会があって、選挙もやっていまの体制になっている。遡れば、ナチスドイツもワイマール憲法という民主主義的な憲法のもとで成り立ち、その後のやり方が強権的だったということですよね。
だから民主主義的な——あるいは議会制民主主義のもとでも——一歩間違えば、強権的な体制はできる。つい先日、韓国でもそうなりかけた場面を私たちは見ましたよね。
だから、私達はとても危うい世界に生きている。そういう感覚で、いま起こってる戦争を見てみれば、それはやっぱり他人事ではないと感じると思います。
2023年11月12日、東京都渋谷(Shutterstock)
—最後に。ウクライナ侵攻もガザ侵攻も、いまだ終息が見えない状況です。その二つをはじめ、なぜ戦争は終わらないのでしょうか?
小山:それは本当に、難しい問いですね……。いろんな答え方があるとは思うのですが、きょうの話の流れでいうとひとつ、「〇〇人の〇〇国」、そういうかたちにしたいとみんなが思っている限りは、この戦争は終わらないだろうと思うんです。
例えば、ロシア人のロシア。ウクライナはその一部であるべきだという考え方——あるいはユダヤ人のイスラエルであるべきだという発想で、その国とその地域に暮らす人々の関係をとらえようとする限り、戦争は終わらないし、またこれからも起こる可能性がある。
すごく根深い問題です。気になるのは、だんだんいまの世界でそういう考えが強くなってきていると感じることです。例えば、トランプが言う「アメリカファースト」とか。中国だってチベット、ウイグルの問題があるし、台湾の問題もある。じつは日本でもそういう考え方は強いですよね。だから日本のなかのマイノリティの人たちに向かって「出ていけ」みたいなことを言うわけですが、これを考え直さないと、戦争というのはなくならないような気が、私はしています。
—それは、国境線の線引きでとらえるというより、その歴史の文脈の大きな流れ——俯瞰の視点から個々をとらえるような視点が大事ということでしょうか……?
小山:そういった国境線を取り払って、地域社会のようなとらえ方を、頭のなかでしてみるといいかもしれないですね。
東ヨーロッパの歴史を研究していると実感できるのですが、いま引かれている国境線って、全然確定しているものではないんですよね。歴史を見れば、どんどん動いている。特にポーランドの歴史はそうで、途中で国が無くなっちゃうんですよね。
「ポーランド分割」というものがあって、19世紀にまるまる100年以上、自分の国がなかったんです。そのあいだポーランド人は、ドイツ、ロシア、オーストリアという3つの国に分かれて暮らしていた。でもそこを超えて、同じポーランド人だという意識を持って、「我々の文化を守らねば」という運動もたくさんあった。世代を重ねて、ポーランド人であり続けねばという思いを持った人がいたわけです。
そういう歴史を学んでると国境線というのはまったく自明のものでないし、むしろ外して考えてみると、そういう線を越えて「同胞」という感覚を持って生きてる人たちがたしかにいるわけです。むしろその側から考えてみると、どうしたらいま起こっている戦争が終わるのかとか、今後起こらないようにしたらいいのかとか、考えるヒントになると思います。
ただすごく難しいですよ。現実、どうするんですかと言われると、簡単な答えは見つかりません。だって何しろ、いまある国際秩序というのは——例えば国連、国際連合だけれど、結局その基本的な単位は、国境線で区切られた諸国なわけですから……。
—先ほどのお話にもあったように、「ポーランド分割」の時代に当てはめて考えてみると、その単位ではポーランド人の意思は国連に反映されないという問題が生じますね。本当はあるのに、なかったことになってしまう。
小山:そういうことです。ウクライナの問題でも、トランプがプーチンと交渉をして戦争を終わらせると言っているけれど、そのとき、軍事侵略されたウクライナ人の立場はどうなるの、という問題は当然ある。
パレスチナの問題だってそうですよね。現地にいる人たちの意思は全然関係ないところで、もともと植民地としてヨーロッパ列強が分断支配をしていた地域だったわけで。ほかにも、アフリカにも直線的な国境線が引かれている国はたくさんありますよね。
簡単に戦争を終わらせる手立ては見つからないけれど、でも、私たちひとり一人の問題として、国境線を外したときにどう見えるか考えてみる。そして、できたら考えたことを、コミュニケートできた人たちと話し合ってみる。もっといろんなかたちでさまざまな人と話し合う、そんなことがもっとできたらいいと思います。