先日、今年は『新機動戦記ガンダムW』30周年であると書いたが、実は『機動戦士Zガンダム』の40周年でもある。
1985年3月にファーストガンダムの続編として放送スタートした「Zガンダム」。本作はいろんな意味で革新的なものだった。そもそも5年も前に終わったと作品の直接の続編で、前作の登場人物も次々登場するという、世界観をそのまま継承・発展させたタイトル。前作のMSも型落ちの旧式として描写される。
本作では変形機能を有したMSが多数登場し、番組名でもあるZガンダムももちろん変形する。そして、そのZガンダムのパイロットこそ、本作主人公のカミーユ・ビダン。宇宙世紀でも最高のニュータイプとされる稀有なパイロットであるが、序盤では成り行き上仕方なく連邦軍内部派閥のエゥーゴに参加した学生という立場だった。
その後、カミーユはグリプス戦争を戦い抜く、エゥーゴにとって掘り出し物レベルのエースとして成長するわけだが、カミーユはときに苛烈なまでの暴力性を発揮することがあり、そのせいで一部ファンの間ではサイコパスとも称されることがあった。
……でも、本当にそうなんだろうか。カミーユが過剰な暴力を発揮するに至るまでには、実は前段階でしっかりと彼を怒らす存在が、必ずいたような気がするのだ。
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今回は、サイコパス呼ばわりされてしまうこともしばしばあるカミーユの、その怒りの原因について焦点を当てていきたい。2025年で40周年という節目に「あ、意外とカミーユはまともだったのかも」と思えるようなお話を提示したい。(文:松本ミゾレ)
「そこのMP!」ガンダムMk-II強奪を強奪して生身の人間を攻撃するシーンも、もとをたどれば…
カミーユは、本編第1話開始時点で自分の名前に女性的であるという点で劣等感を抱いていることが描写されている。そして、ティターンズのジェリド・メサが「女の名前なのに」といじり、カミーユの鉄拳を浴びることとなった。
よく言われることだが、この際にジェリドがカミーユの名前を茶化してさえいなければ、カミーユはエゥーゴに参加することはなかったかもしれず、ジェリド自身もカミーユに殺されることはなかったかもしれない。
言ってしまえばジェリドは、この一件だけでティターンズを壊滅に導いてしまった最悪の疫病神。実際、彼と親しい人物はほぼ全員が戦死してしまったし。
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まあジェリドの話はこのへんにしておいて、とかくカミーユはこの暴力事件のせいでティターンズに身柄を拘束されてしまうが、ちょうどこのとき、エゥーゴがガンダムMk-II強奪作戦を展開中だった。
カミーユはその混乱の中で運良く脱出に成功し、ガンダムMk-IIに搭乗。そして自分を拘束し、暴行を働いたMP(マトッシュという名前がある)に対して、バルカンで牽制を行うという無法を働く。
この際に高笑いしながら「ざまぁないぜ」と発言していたことから「とんでもない若者だ」という印象を抱く視聴者も多かったようだが、ここまで書いた通り、カミーユがこのような意趣返しをするのも無理はない。
ここでマトッシュを殺害していれば紛うことないサイコパスだが、カミーユはそれをやっていない。あくまでも、やられたことを数倍にして返した程度で、分別がついているように見受けられる。
そもそもジェリドが名前を馬鹿にしていなければ起きなかった諍いであり、なおかつマトッシュの暴力が連鎖していなければ、カミーユもここまでの行動には至らなかった可能性がある。
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ティターンズのいけすかない言動が生んだ、当然の反応だったというだけではないだろうか。よってカミーユは、サイコパスというほどではない。
自分に原因があれば一応納得して反撃はしないカミーユ
前項では、やられたら数倍返しをするカミーユの性質に触れたが、実はカミーユも毎回そのような過剰反応を見せるわけではない。
たとえば殴られたりしても、相手の言い分の方が正しかった場合は、それ以降の反撃を行わないという当たり前の対応を見せることがあった。その例となるのがエゥーゴの出資者であるアナハイムから出向してきたウォン・リーとの一件。
ミーティングに遅れたカミーユに対して遅刻を咎めたウォン。そのウォンに言い訳を展開して一向に謝罪しなかったカミーユ。血の気が多い上に、自身もカミーユと同じく空手を齧っていたウォンは、この態度に激怒して殴りかかり、カミーユも応戦したもののとにかくウォンがやたら強い。カミーユは攻撃をさばききれずにノックアウトされてしまったが、以降ウォンに復讐をする描写はなかった。
遅刻をし、煮え切らない言い訳で流そうとした対応に原因があったことを、さすがに理解したのだろう。ウォンもウォンでこれ以降は修正も済んだものと考えたのか、カミーユに対しての態度もフラットなものになっていった。
たとえ殴られても、自分が悪ければ逆恨みはしないというのは、ティターンズのジェリドとは大きく異なる精神的な強みだ。よってカミーユはサイコパスでもなければ、ジェリドほど心は弱くもない。
そもそも無秩序な暴力性を持つサイコパスなら、最終回で精神崩壊しないのでは?
カミーユの性質については、これまで僕と同じガンダムオタクたちとも、何度か話をしたことがある。僕はカミーユについては、繊細でコンプレックスが多く、与えられた環境にあんまり満足しないものの、それを打破しようと積極的に動くほどのタイプではない普通の子という印象を昔から持っている。
だって女性的な名前を嫌うなら、髪型をまずどうにかして、より男っぽくするだろうし。要は年齢相応に、良い意味で意気地なしなところもあるはずなのだ。が、ネット上ではカミーユはサイコパスだという人は前から多い。
ま、たしかにプッツンキャラというか、血の気が多くてすぐ殴る傾向はある。上司であるシャアさえ、カミーユにぶん殴られてるし。
でもその原因はシャアが自分以上に煮え切らない性質をしているくせに年長者ぶるところにあっただろう。シャアは本作では一貫して、なかなか視聴者の反感を買う態度を見せる。
なのであそこでカミーユがぶん殴るのは、視聴者への代弁的行動だったのではないだろうか。
しかも殴られたら殴られたで、シャアはその原因をカミーユの若さにあると認識してたし。結局殴られても分からないのか、と余計な絶望をしてしまう。カミーユは毎回の戦いでそれこそ命を削って他人の命を散らす仕事をこなす羽目に追い込まれ、そのせいで目の前で両親やフォウを殺され、悲劇の強化人間ロザミアを泣きながら撃墜せざるを得ない立場となった。
ロザミアの一件では最後、なかなかとどめを刺す決心がつかず「だれでもいい、止めてくれ」と絶叫していた。ティターンズがカミーユの存在によって存亡の危機に陥ったのであれば、カミーユもまたティターンズとエゥーゴの内紛によって精神の危機に追いやられたのである。
最終回では、ティターンズを掌握したパプテマス・シロッコと対決し、見事に勝利するもそこで精根の限界。シロッコの超常的な断末魔の思念の影響で、カミーユは精神崩壊してしまい、物語は終わる。
こうなったのはカミーユが、グリプス戦争を通して戦ったことで、本来の年齢に見合わない人の生き死にの経験を積みすぎてパンクしてしまったことにも要因があるだろう。別にシロッコの断末魔は、そこまで万能の精神的道連れ発生機とかではないはずなので。
張り詰めていた感情が、最後の最後のダメ押しで全部弾け飛んでしまい、心を持っていかれたのではないか、と僕なんかは思ってしまう。っていうか、ネット上ではしばしば、ジョークめいた感覚でカミーユをサイコパス、サイコパスとネタにする人はいるけれど、そのカミーユに倒されたシロッコのほうがよっぽど……。
冒頭で書いたように、2025年はZガンダムの40周年。今はサブスクでも簡単に視聴できるので、以前観たことがあるという方も、もう一度楽しんでみては?