ブーイングをエネルギーに変えてきた森脇良太「世界でも通用する監督になりたいと本気で思っています」

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2025年01月04日 07:30  webスポルティーバ

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引退インタビュー
森脇良太(愛媛FC)後編

◆森脇良太・前編>>現役生活20年の原点「公園の水道をシャワー替わりに...」

◆森脇良太・中編>>衝撃を受けたミシャの言葉「こんな監督がいるのか」

 森脇良太のキャラクターといえば、チームを盛り上げる「ムードメーカー」としてのイメージが強い。しかし、過去の経歴を振り返れば、常に結果も残している。

 クラブチームでは、J1リーグ、J2リーグ、J3リーグ、すべて優勝。天皇杯も、ルヴァンカップも、ACLも制している。また、日本代表の一員としてアジアの頂点も掴んだ。

 ただ、その強烈なキャラクターゆえに、サポーターから批判を受けることもあったという。彼はどういう気持ちで、周囲の厳しい目を受け止めていたのか。

   ※   ※   ※   ※   ※

── サンフレッチェ広島、浦和レッズ、愛媛FC、そして日本代表と、所属したチームで数多くのタイトルを獲得してきました。20年のキャリアを振り返ると、まさに「優勝請負人」という言葉がぴったりとハマります。

「全カテゴリーをコンプリートさせてもらいました。獲れていないのはワールドカップとクラブワールドカップだけ。それ以外、全部獲れたのは本当に幸せなこと。20年間、サッカーに真摯に向き合ってきてよかったなと思いますし、誇れることだと思います」

── 自身でも意識されていたんですか?

「いや、全然知らなかったんですけど、愛媛に帰ってきた時に知り合いの方から、J3で優勝すればタイトルのコンプリートだということを聞いたんです。だからここで、絶対に優勝したいなと。自分の情熱をさらにたぎらせてくれるモチベーションになりました。本当に勝ち取ることができてよかったですね」

── アジアカップでの役回りもそうでしたが、森脇選手のような存在がいることが優勝するためには必要なんだということを、自身のキャリアが証明していますよね。

「クラブでもそうですし、アジアカップ、東アジアカップと、日本代表でもアジアで獲れるタイトルは全部、獲らせていただきました。実はユースの時も全部のタイトルを獲っているんですよ。

 もちろん、ピッチ上で貢献してきた部分もたくさんあると思っているんですけど、チームを盛り立てるとか、いい雰囲気を作るとか、タイトルを勝ち取るためには絶対にそういう要素も必要だと思っています」

【レアル相手でも勝てると本気で思っていた】

── ムードメーカーとして一番意識していたことは何でしょう?

「僕がこの20年間、思い続けていたことは、今いるメンバーでどうやったらタイトルを獲れるかということ。もちろん若い時は、自分が試合に出る、自分が活躍することにフォーカスしてやっていたんですけど、中堅になってからは、常にチームがどうあるべきか、どういうチームが強いのかっていうのを考え続けていました。

 自分のなかで出た答えが正解かどうかはわからないですけど 今のメンバーを心から信用して、自分たちの力を信じ続けようと。馬鹿かと思われるかもしれないけど、愛媛に帰った時もこのチームがどこよりもベストチームだと思ってやっていましたし、たとえレッズが相手でも、レアル・マドリードが相手でも、絶対に勝てると本気で思っていました。

 その本気の思いを周りの選手に伝染させていくことが、僕の役割でした。そしてそのエネルギーが大きくなればなるほど、強いチームになれると思っています。自分のなかではそれを強い信念として持っていたので、そこを多くの選手に伝えてきました」

── ポジティブな雰囲気を作っていったわけですね。

「僕はこういった性格なので、いつもおチャラけて、ふざけていて、『何も考えてないな』と思われがちなんですね。でも、周りからそういうイメージを持たれるのは全然いいんですけど、ピッチでは常に100パーセントの力でやってきましたし、サッカーと真摯に向き合ってきたつもりです。その姿勢が、すべてのタイトルを獲らせてもらった要因だと思っています。

 やっぱり、信じ続けることが大事だと思うんですよ。予算がないとか、このメンバーじゃ勝てないよとか、はじめからから言い訳がましいことを言う人がよくいるんですけど、いや、そうじゃないと。予算がないのはしょうがないこと。選手がいないのはしょうがないこと。この規模で、このメンバーでどうやったら勝てるかをみんなで考えないといけないんです。

 そうじゃなければ、絶対に強いチームなんてできるわけがない。そのために僕は愛媛に帰ってきてからも、どうやってポジティブになれるかを考え続けてきたし、そういう言葉もかけ続けてきました。そこが一番、伝えたかった部分ですね」

【大宮アルディージャからオファーが来た】

── ただ明るく振る舞っていたわけではないと。

「そうですね。ピッチで戦うところでは絶対にふざけたくないなって。周りの人からは、あいつはちゃらんぽらんでサッカーにまじめに向き合ってないとか、いろんなことを言われましたし、誹謗中傷もたくさん受けました。記者の方にもいろんなことを書かれたんですけど、ある意味で成長する糧としては必要なことだと思っていました。

 ただ、やっぱり悔しい気持ちも当然ありました。反論したい気持ちもありましたけど、自分はピッチで結果を残すことで自身の存在価値を証明したかった。その意味では批判の声も、自分が成長するために必要なことだったと思います」

── 特に熱いサポーターが多い浦和時代には、メンタル的にも厳しい時期があったのでは?

「浦和のサポーターはすごかったですね。3連勝しても次の試合に負けたら、かなり厳しい声が飛んできましたから。でも、サポーターの人たちからすれば、目の前の1試合にかける思いが強いのは当然のことですし、それではダメなんだなっていうことを学ばせてもらいました。

 だから、厳しい声も前向きに受け止めていたので、メンタルが挫けることはなかったですね。浦和に移籍した当初も、なんでこんな下手くそな奴を獲得したんだっていう声も聞こえてきましたけど、それも自分のエネルギーに変えていました」

── 浦和に移籍する際には、広島のサポーターからも厳しい声がありましたよね。

「初優勝した次の年ですからね。『お金に釣られたのか?』っていう声もありました。もちろんお金のことを僕も否定しないし、やっぱり選手としての価値はお金で測られる部分もあるじゃないですか。ただ、お金も大事なんですけど、それだけじゃなかったということを多くの方に知ってもらいたいなと思います。

 これはあまり言ったことがないんですが、ミシャが広島を辞めた年、僕に大宮アルディージャからオファーが来たんですよ。アルディージャもうしろからボールをつなぐサッカーをやりたいから、その色を加えてほしいと。

 本当に必要だと言ってくれて、お金もかなりよかった。魅力的なオファーでしたけど、自分はどこでサッカーと向き合いたいのか、どこで成長できるのかを考えた時に、やっぱり広島だなと。広島でまだタイトルを獲っていないし、もっと活躍しなきゃいけないという思いもあったので、広島に残る決断をしました。

 次の年に浦和に行った時も、お金以外のところに重きを置いて、移籍を決めました。多くの方はお金かよと思ったでしょうけど、広島で優勝して、今度は違う環境で、また結果を残したいという気持ちが強かったですね」

【僕みたいな監督がいても面白い】

── これから始まるセカンドキャリアについても聞かせてください。先日、愛媛FCポジティブエナジャイザーに就任することが発表されましたが、具体的にはどういった活動をするのでしょうか。

「その人といたら元気になれる、笑顔になれる、明るくなれるっていうのがポジティブエナジャイザーということらしくて、森脇にはぴったりだということで、そういう肩書になりました。

 簡単に言うと、愛媛FCを盛り上げる、愛媛全体を盛り上げるということなんですけど、僕自身は愛媛を盛り上げることはもちろん、Jリーグを、日本サッカー全体を盛り上げるポジティブエナジャイザーとしてやっていきたいと考えています」

── Jリーグの許可が必要ですね。

「この前、番組の収録でノノさん(野々村芳和チェアマン)と一緒だったんですよ。それで、Jリーグポジティブエナジャイザーとしてのオファーを待ってますと言ったら、『大丈夫です』と軽くあしらわれました(笑)。その時にJリーグの関係者も一緒にいたので、その方にもお願いしたら、それまでは目が合っていたのに、その時だけは目線をそらされて......」

── その肩書を手に入れられるかはさておき、メディアなどに出ながら、愛媛の魅力、サッカーの魅力を発信する役割を担っていくのですね。

「そうです。愛媛FCの価値を上げていきたいし、愛媛県のブランドも全国の方たちに伝えていきたい。それプラス、いろんなメディアに出ながら、サッカーの魅力、Jリーグの魅力を伝えていきたいなと。

 今までは相手のサポーターからも、自分のチームのサポーターからもブーイングを受けてきたんですけど、今度は一般の方からもブーイングを受けるような、そんな存在になれたら面白いですね」

── 指導者の道には進まないのですか?

「自分のなかの最大の目標は、監督になることです。それこそ、世界でも通用する監督になりたいと本気で思っています。そのためには自分の思いを言語化する力を身につけなければいけないと思っているので、ポジティブエナジャイザーの仕事をしながら、そういう勉強もしていくつもりです。

 選手としてすべてのタイトルを獲らせてもらいましたが、今度は監督としてもすべてのタイトルを獲りたいという野望があります。またいろんな人から批判やブーイングを受けるかもしれないですけど、僕みたいな監督がいても面白いじゃないですか」

<了>


【profile】
森脇良太(もりわき・りょうた)
1986年4月6日生まれ、広島県福山市出身。2005年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。翌年から愛媛FCで2年間プレーしたのち、2008年に復帰してJ1優勝(2012年)に貢献する。2013年に浦和レッズへ移籍し、ルヴァンカップ、ACL、天皇杯を制す。その後、京都サンガF.C.を経て2022年から愛媛で再びプレーし、2024年シーズン後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴=3試合得点。ポジション=DF。身長178cm、体重72kg。

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