宮崎友花が世界の舞台へ バドミントン女子・史上5人目の高校生王者となった新星の可能性

0

2025年01月05日 07:00  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

 昨年末に行なわれた全日本総合バドミントン選手権(2024年12月24日〜30日/東京・武蔵野の森)。「来年や再来年になれば、年齢的に下の選手も増えてきたりすると思うので、やっぱり自分がチャレンジできるとき、(自分が)18歳というか、10代のうちに優勝したいなと思って」と話していた宮崎友花(柳井商工高)が、女子シングルスを制して日本の頂点に立った。

 ここ最近、宮崎は日本代表のユニフォームや、卒業後に所属するACT SAIKYOのユニフォームを着て試合に臨むことが多かった。しかし今回は、「柳井の赤いユニフォームを着て挑む最後の戦い。上下を赤でそろえて、しっかりと戦いたいなと思っていました」と、強い決意を秘めていた。

 そうして迎えた大一番、思わぬ事態が起こった。宮崎が「思いきってチャレンジしていく相手」と話していた奥原希望(太陽ホールディングス)と、日本のエースである山口茜(再春館製薬所)が、それぞれ大会途中で棄権。奥原が準々決勝で、山口が3回戦で姿を消して、世界ランキング12位で日本勢3番手の宮崎が断然の優勝候補に浮上。図らずも挑戦者から、受けて立つ側に回ってしまったのだ。

 そんな状況の変化によって気負ってしまったのか、2回戦、3回戦、準々決勝と順調に勝ち上がってきたものの、準決勝で宮崎は苦戦を強いられた。2019年の世界ジュニア覇者で、棄権した奥原に代わって勝ち上がってきた郡司莉子(再春館製薬所)にリードを許してしまう。

 この大会からサーブを、これまでのフォアハンドからバックハンドに変えていた宮崎は、第1ゲーム中盤からは受け身に回ってミスを連発。12対21とゲームを先取されてしまった。

「1ゲーム目は風がよくなく、気持ち的にも嫌な側のコートだった。相手も(自分に対する)対策をしっかりしてきて、バックの奥に攻めてこられて、そこで自分が崩れてしまった部分もあった。(郡司選手との)以前の対戦では、自分が上からのショットで相手を崩していたので、(相手が自分の)後ろ側を攻めてくることをあまり頭に入れていなかった。

 それに、バックハンドのサーブも相手がうまくかわして変化をつけてきた。自分もまだ、バックハンドのサーブに慣れていない面もあるので、そこで少し崩れてしまう場面があったかなと思います」(宮崎)

 しかし、第2ゲーム以降は相手の攻めにも対応。第2ゲームを21対12で取ると、第3ゲームもスタートから7連続ポイントを奪って21対11と圧倒し、ゲームポイント2−1と逆転勝ちを決めて、決勝へ駒を進めた。宮崎が語る。

「1ゲーム目は落としてしまいましたが、わかりやすくバックの奥を攻められたので、2ゲーム目からはそこをしっかり頭に入れてプレーした。あと、1ゲーム目は少し受け身になる部分もあったんですが、(2ゲーム目からは)自分からしっかり球を振り分けたり、変化をつけたりできた。それで、相手が崩れてくれたのかなと思います」

 決勝戦では、世界ランキング23位の仁平菜月(ヨネックス)と対戦。苦手なコートとなった第1ゲームを21対18で先取すると、第2ゲームも21対14で奪取。ゲームカウント2−0で勝利し、2014年の山口以来、史上5人目の高校生王者となった。

「小さい頃は卓球をやっていた」という宮崎だが、「運動神経があるほうで、『テニスはどう?』となったけど、力がなかったので『(卓球とテニスの)間をとってバドミントンをやってみれば』とお母さんに言われて、バドミントンを始めた」。

 ただ、「最初に入ったチームは強くて、監督も怖くて、なかなかコートに立たせてもらえずに泣いてばかりの日々だった」が、それでも小学校4年生の頃には全国大会に出場するようになる。

 以降、着実に力をつけていくと、中学校進学の際には「柳井商工高の竹光唯至監督に指導してもらいたい」と、生まれ育った大阪から山口県の柳井市にバドミントン留学。宮崎自身が「中学3年生になって初めて全国優勝をしたときはすごくうれしかったし、柳井に来て本当よかったなと思った」と振り返るように、順調に成長していった。

 そして2022年には、高校1年生で世界ジュニアを制する。フットワークもよくて高いスキルを持つ彼女は、2023年から日本B代表に。2024年にはA代表となって、9月にはワールドツアー最高峰のスーパー1000、中国オープンにおいて山口を準決勝で撃破。準優勝に輝いた。

「中国オープンの準優勝でランキングもすごく上がって。ワールドツアーファイナルズ出場には届かなかったけど、そこに向けて頑張ることもできた。そこから、自分のプレーの幅も広がっていったと思います。8月のジャパンオープン、11月の熊本マスターズでは1回戦負けと悔しい思いもしてきましたけど、今年(2024年)最後の大会でいい結果を残せたことがすごくうれしい」(宮崎)

 全日本総合で栄冠を手にした翌日には、高校でペアを組んでいた先輩の田口真彩(ACT SAIKYO)と「ディズニーランドに行く」と言って、満面の笑みを浮かべた宮崎。束の間の休息を経て、年明けの1月7日からワールドツアースーパー1000のマレーシアオープン、14日からはスーパー750のインドオープンに出場予定だ。今後、世界の強豪相手にしのぎを削っていくことになる。

 そんな宮崎の活躍を、奥原はどう見ているのか。

「私のなかでは、ディフェンスができないと世界では通用しないと思っているし、(山口)茜ちゃんがあれだけアグレッシブなプレーができるのも、ディフェンスがすごく強いから。そこは(宮崎選手の)大きな課題なのかなと思って見ていますが、まずは世界の強豪のキレのあるショットを取って、強みである独特なショットにどうつなげていくか。そうした経験を重ねていくことが必要かな、と。

 このまま(ハイレベルな舞台で)頑張っていきたいという気持ちは大事だけど、本気で五輪を目指すのであれば、これからの4年間における波の作り方も戦略的にやっていく必要がある。私も同じ年代でケガをした経験があるので、大きなケガをしないように慎重にやっていってほしいと思います」

 これから世界の舞台でハードスケジュールをこなしていくことになる宮崎。ロサンゼルス五輪の際には、日本を代表する選手のひとりになっているのか。注意深く見守っていきたい。

    ニュース設定