■『今こそ女子プロレス!』vol.25
アジャコング スペシャルインタビュー(1)
昨年9月に配信スタートしたNetflixシリーズ『極悪女王』が、今なお話題になっている。全日本女子プロレスのヒールユニット「極悪同盟」のリーダー・ダンプ松本の半生を描くとともに、1980年代の女子プロレスブームの熱狂を描いた作品だ。
インターネット上では「ドラマのラストに出てくる女の子は誰か?」という論争が巻き起こっているが、「アジャコング」という説を唱える人が多い。企画・脚本・プロデュースを務めた鈴木おさむが『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に登場した際も、「続編があるとしたら主人公はアジャコングが最有力候補」と発言している。それだけ彼女の半生は壮絶であり、1990年代のプロレス界で残した功績も大きい。
しかし、アジャコングが現役で活躍していて、しかも今が「アジャコング史上最高」と思えるほどすばらしいレスラーであることを知っている人は、そう多くはないのではないか。年齢を重ねた彼女の表現力は目を見張るものがある。
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最高のアジャコングはどのようにして生まれたのか? 全5回のインタビューでその謎に迫りたい。
【今を頑張っている人は、今が一番輝いている】
――私は今のアジャ選手が「アジャコング史上最高」だと思っているのですが、ご自身ではどう感じていますか?
アジャ:日々、進化だとは思っています。もちろん「すごく昔がよかった」「あの試合がよかった」と言ってくださる方もいて、観てくださる方はそれでいいと思うんですけど、やってる自分は常に「今が一番」と思ってはいますね。じゃないと、やってる意味もないので。
――体力的にはどうですか?
アジャ:体力的な全盛期という意味では、やっぱり20代、30代のほうが元気でした。技のスピード感とかも、人間ならどうしたって落ちてくる。でも、勢いだけでやっていた若い頃と違って、今は頭で考えながら試合できるようになりました。友だちとよく話すのは、「今の自分の頭があって、20、30代を過ごせていたら、こんな最強な奴はいないよね」と。
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――そうなったら無敵ですね!
アジャ:だけど、そううまくはいかないから、人間はもがきながら生きていく。プロレスに限らず、ほかのスポーツの選手でもなんでも、今を頑張っている方って今が一番輝いていると思うんですよ。そこに負けたくないというのもあります。今までも幸せだったし、今も幸せだけど、もっと幸せになりたい。欲張りなんですよ。もっともっと幸せになるために、もっともっと日々進化していくんだっていう話をよく友だちとします。
【自分の知らないことは全部体験したい】
――近年のアジャ選手は、とにかく振り幅が大きいと感じます。らく選手と「おやすみエクスプレス」(仰向けに倒れた相手の腹部を走り抜けながら踏みつけ、複数回走り抜けた後に相手の腹部上に座りながら就寝する形の体固め)をやったかと思えば、DASH・チサコ選手と激しいハードコアマッチをやったり、シン・広田さくら選手の「ボ・ラギノール」(いわゆるカンチョー)を受けたり。
アジャ:プロレスって結局、「これが正解」というものがないので、プロレスのなかで区別はしません。自分がそれを面白いと思えるかどうかだけです。プロレスは娯楽ですから、楽しけりゃいいと思っている。ただ、人が楽しめないことはしたくない。そして何より、自分がやって楽しめないことはしたくないので、どんなにギャラがよかろうが自分の琴線に触れないことはやりたくない。反対に「自分で納得できることは、どんなことでもやりますよ」というだけですね。
――いろいろなスタイルのプロレスを受け入れるようになったのは、いつ頃でしょうか?
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アジャ:どんなプロレスをしていても、アジャコングはアジャコング。自分のなかでそういうものが確立できたのは、いろんなプロレスに触れた(団体)対抗戦時代ですね。全日本女子プロレスのプロレスしか知らなくて、「それこそが正解だ」と思っていたものが、対抗戦でいろんなところのいろんな選手に会うと、同じプロレスでも入口が違うと少し違うのがわかる。
でも、多少の違いはあっても結局はプロレスなので、リングに上がって「プロレス」という共通ワードがあればなんとかなってしまう。それで「いろんなことをやってみたいなあ」と思うようになりましたね。自分の知らないことは全部体験したいです。
――対抗戦以前はどうでしたか?
アジャ:対抗戦以前は全女のプロレスしか知らないし、女子に関しては「プロレス=全女」でした。ただ、子どもの頃から男子プロレスを観ていて、特に外国人選手が好きだったので、けっこう早いうちからWWEとか、昔のWWFとかも観ていたんです。要は「プロレス」と名のつくものはなんでも観ていたので、いろいろなスタイルに対する抵抗感がほかの選手より薄かったのかもしれません。
――好きだった外国人選手とは?
アジャ:昔はスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ロード・ウォーリアーズですね。アブドーラ・ザ・ブッチャーとかザ・シークとか、本当のヒールもいましたけど、どちらかというと「外国人レスラー=ヒール」みたいな感じだったじゃないですか。凶器を使ってどうのこうのじゃなくて、「体がデカくて強い化け物が来た」という感じ。彼らに日本人選手がどう打ち勝っていくかが、男子プロレスの「ヒールvs. ベビー」という構造でしたね。
子どもの頃は、自分の父がアメリカ人で母が日本人であるということを否定したかったんですけど、外国人選手たちの強さとかすごさとか、「プロレスラーってこうだな」というのがあったので、どちらかというと日本人選手よりも外国人選手のほうが好きでしたね。ロード・ウォーリアーズなんて、パイルドライバーをされてあんなにスクっと起き上がる人を初めて見たので、「こいつらには誰も勝てないんじゃないか?」と思いました。プロレスは答えがないから、衝撃を受けたことってないんですけど、唯一、衝撃を受けたのはロード・ウォーリアーズかもしれないですね。
【ブル中野との抗争で気づいた"伝える"ことの大切さ】
――東京女子プロレスが『夢プロレス−dream on the ring−』というYouTube動画シリーズを配信していました。プロレス未経験の女の子たちが、夢を叶えるためにプロレスに挑戦するというプロジェクトですが、ゲスト出演されたアジャ選手が「プロレスラーはお客さんに何かを伝えるのが一番の役目」とおっしゃったのが印象的でした。ご自身は「お客さんに何かを伝える」ということをいつ頃できるようになりましたか?
アジャ:ブル中野さんと試合をやっていくなかで、私はとにかく「ブル中野を倒すんだ、やらなきゃやられちゃう」みたいな感覚で、とにかく中野さんしか見ていなかったんですけど、中野さんは私を通じて常にお客さんと闘っていたんです。
※1990年、ブル中野率いるヒールユニット「獄門党」を離脱。「ジャングル・ジャック」を結成し、獄門党とヒール同士の抗争を繰り広げた。
アジャ:約2年半の抗争のなかで、最初の半年から1年くらいはブル中野しか見えてなかったんですけど、途中から、中野さんを通じてお客さんが見えるようになってきたんです。1年半、2年くらい経って、ようやくお客さんが何を求めているのか、中野さんを通じてなんとなく見えるようになってきました。
――1992年11月、アジャ選手がブル中野さんに勝利した時はどうでしたか?
アジャ:「今日は、私がブル中野を超える瞬間をみんなが見たいと思っている」っていうのを試合中に感じたので、「なにがなんでもやり遂げなければいけない」と思いました。お客さんに"伝える"ことができるようになったのは、たぶんあの時期ですね。
――『夢プロレス』のアジャコング回は、神動画だと思います。私はライターですが、"伝える"ということに関してものすごく勉強になりました。
アジャ:彼女たちはもともとプロレスラーを目指していたわけではなく、タレントやグラビアアイドルとかなんですけど、要は"表現者"なわけじゃないですか。ということは、プロレスと共通点はあると思うんですね。グラビアアイドルだったら、グラビアを通じてお客さんに何を見せたいか。役者さんだったら、役になりきって何を伝えるかとか。その表現ができなければ、あなたたちがこれから目指そうとしているところでは何も伝わらないよ、ということですね。
――彼女たちにとっても、勉強になったと思います。
アジャ:特にプロレスの場合は、殴られたり蹴られたり、普段しないようなことをするので、それをストレートに伝えていかないといけない。「私は痛いんです、つらいんです、苦しいんです。でも今、楽しいんです」という喜怒哀楽は全部リングで出せること。それを「こんな感じでやっとけばいいや」じゃなくて、感情を爆発させていくことによって、あなたたちが夢を叶えることに全部がプラスになっていくよ、という思いで見ていました。
たとえば、料理だったら形として出てきて、美味しいという感覚が残りますけど、プロレスは形に残ることってひとつもないんですよ。満腹になるわけでもないし、バッグとか服といった形に残るものでもない。人の思いとして、気持ちに残ることでしかないんですよね。自分の肉体を通じて人に何かを伝えるということが、プロレスの一番の醍醐味だと思います。
――技術的なことで言うと、プロレスの「うまさ」はどういうところに出ますか?
アジャ:観ている人に、不安や違和感を与えないというところが大きいですかね。ワクワクドキドキはさせるけど、「大丈夫かな?」って不安にはさせない。ケガをする不安とか、そういうのを観ている人に抱かせないのがうまさかなと思います。
――これまでに闘った選手の中で、「うまいな」と思った選手は?
アジャ:井上京子とか、あとやっぱり長与千種さんもうまいですね。ケガをしない、ケガをさせないレスラーはうまいなと思います。
(つづく)
【プロフィール】
●アジャコング
1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken Instagram:@ajakong.uraken