蔦屋重三郎はなぜ江戸庶民の心を掴んだのか? 元祖・メディア王の仕事術

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2025年01月06日 13:00  リアルサウンド

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『蔦屋重三郎と粋な男たち!』(内外出版社/刊)を上梓した櫻庭由紀子氏


■蔦屋重三郎は“ふてほど”の先駆者!?


  2025(令和7)年1月5日から放送のNHK大河ドラマは『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』である。横浜流星が演じる主人公は蔦屋重三郎(以下、蔦重)だ。蔦重は江戸時代中期に活躍した出版業界人であり、出版プロデューサーであった。戦国武将でも幕末志士でもない、こうした立場の人が大河の主人公に起用されるのは異例のことである。


  蔦重は、1750(寛延3)年1月7日に江戸の吉原で生まれた。やがて出版事業に乗り出し、吉原のガイドブック『吉原細見』の出版などで名を馳せる。そして、吉原で培った人脈をもとにヒットを連発、江戸の出版ブームを牽引していった。なかでも人材を見出すことに関しては天性の才能があり、優れた作家や浮世絵師を発掘してはヒットに導いた。


  蔦重が人気作家と組んで発売した出版物が、後世に与えた影響は極めて大きい。江戸時代に培われた“かっこよさ”の概念や“笑い”のツボは、世界的なヒット作となった『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』などの漫画やアニメ、小説、芸能にも脈々と継承されているといわれる。また、蔦重がプロデュースした喜多川歌麿や東洲斎写楽の絵にみられる誇張表現が、漫画やアニメに与えた影響は計り知れない。


  今回は、『蔦屋重三郎と粋な男たち!』(内外出版社/刊)を執筆した櫻庭由紀子氏にインタビュー。蔦重の生き様は、2024年の流行語大賞に選ばれた“ふてほど”のような現代の感覚ではあり得ないエピソードだけではなく、現代に生きる我々にとっても学べることが多い。稀代のプロデューサーである蔦重の仕事術、そして現代人にとっても魅力的な江戸文化と現在につながるポップカルチャーについて紐解いてみたい。



■蔦重は江戸文化の潮流を作った


――櫻庭さんは落語や講談から江戸時代の文化に関心を持たれたそうですが、蔦屋重三郎に関心をもち、本を書こうと思ったきっかけから伺いたいです。


櫻庭:私は大衆文学や大衆エンタメが好きなのですが、蔦屋重三郎は落語の祖といわれる烏亭焉馬と同じ時代に活躍し、江戸ならではの独自のエンタメを打ち出していった人物として興味を抱きました。特に、寛政の改革の出版統制のなかでも文化を守り抜こうとする情熱をもち、江戸っ子の“いき”と“張り”を体現した人物である点にも引き込まれましたね。


――天明・寛政期は町人文化のエネルギーが爆発した時代と櫻庭さんは評していますが、その中心にいたのが蔦重というわけですね。


櫻庭:蔦重が出版の仕事を始めた時代は、田沼政治の影響で、みんなで商売を発展させようという機運がありました。そんな時代に須原屋茂兵衛が江戸で書物問屋を開業し、黄表紙のブームを鱗形屋孫兵衛が作り上げました。蔦重は後発でしたが、江戸の人々が求めているものを把握して、大衆エンタメを育てあげたことは大きな業績だと思います。


――蔦重の仕事は、現代で言えばどのような仕事なのでしょうか。


櫻庭:江戸時代の書店は、本を売るだけでなく、版元でもありました。蔦重に限らず、鱗形屋も自分のところで売る本は独自の色を出したものを制作して売ったのです。蔦屋は経営者でありながら編集者でもあったし、売れる本を書ける人を探してきて、どうすれば売れるのかまで考え抜いた“出版プロデューサー”と表現すればいいでしょう。


■蔦重は気鋭の出版プロデューサー

――蔦重はベストセラーを連発できた背景には何があったのでしょうか。


櫻庭:江戸時代は封建社会で身分制度が決まっていました。江戸っ子は「こちとら江戸っ子だ、べらぼうめ!」とは言うものの、心のなかには鬱屈したものがあったと思います。そんなとき、下級武士が戯作を始めていました。どんなに頑張ってもお金持ちにならないし、出世できない武士の思いを文章にしていたのです。これに注目したのが蔦重です。本にまとめ、江戸の人々のニーズに結び付けたのです。


――武士が書いたものに対する、庶民の反響はどうだったのでしょう。


櫻庭:江戸の庶民たちから「武士も俺たちと一緒だ」「下級武士は仲間じゃん!」と、共感を集めた本がベストセラーになりました。鱗形屋が出した恋川春町のデビュー作がそうですね。また、山東京伝は庶民上がりですが、風刺っぽい穿った見方が庶民に受け入れられたのです。


――具体的にどんな内容だったのか、気になります。


櫻庭:ただ面白おかしいだけではなく、社会を風刺したものもたくさんありました。幕府への不平不満や嫌味を笑いに変えたり、人情噺にしたり、時にはエッチな話にしたりと創意工夫をしているため、庶民に受け入れられたのではないかと思います。


■蔦重が人気作家を抱え込めた理由

――京伝は蔦重のもとでヒットを飛ばした代表的な作家ですが、もとは作家ではなく絵描きだったのですよね。


櫻庭:京伝は絵師に弟子入りし、挿絵画家として仕事を始めた人です。そこに蔦重が「戯作を書けば?」とアドバイスしたのでしょう。京伝の黄表紙は、蔦重が彼の才能を引っ張り出して書かせたといえます。『江戸生艶気樺焼』や『箱入娘面屋人魚』は現代の感覚ではかなり不適切な話ですし、江戸時代はそういった物語を創作すると、下手をしたらお上に捕まってしまう時代でした。それでも筆を取らせた交渉力が蔦重の凄みです。


――蔦重は春町や喜三二、京伝といった人気の作家を一気に抱え込むことができました。のちに鱗形屋が低迷した影響もあるかもしれませんが、やはり蔦重の人柄による部分も大きかったのではないでしょうか。


櫻庭:蔦重は当時から、男気があると言われていたみたいですね。「何かあったら俺がどうにかしてやる」「俺がお前を売れる作家にしてやる」「お上が怖いなら俺が喧嘩を買ってやる!」といった“いなせ”な面を見せたので、作家もついていきたいと思ったのでしょう。ちなみに、京伝は手鎖になって一度は筆を折っているのですが、それでもまた書かせたのも蔦重の手腕で、凄いなと思います。


――まさに、カリスマ出版プロデューサーにふさわしい仕事ぶりです。


櫻庭:ちなみに、二代目蔦重の時代に葛飾北斎が狂歌の本で挿絵を描いたとき、贅沢だとお上からお咎めがありました。このとき、二代目は北斎に一切の責任がいかないように罪をかぶったそうです。蔦重の教えがしっかり継承されたのだと思います。


■現在のエンタメ産業につながる江戸文化


――当時の江戸時代の文化は、現在のエンタメ産業につながる部分がたくさんあります。多様な出版文化が広まった要因はどこにあったのでしょう。


櫻庭:鬱屈した時代背景が影響しているのでしょう。蔦重の後の文化・文政の時代には鶴屋南北の血しぶきが飛ぶような『東海道四谷怪談』が大流行りしていますし、幕府が潰れるかもしれないという幕末にはエログロが流行しています。退廃化した時代こそ、不適切なものを人々が求めるのです。


――蔦重の時代の本には、千手観音のレンタル業を始める話とか、地蔵菩薩が品川の遊郭で遊ぶなど、かなり罰当たりでコンプライアンスにひっかかりそうな物語も多いですね。


櫻庭:当時の人たちもタブーなことを読んで、ストレスを発散したいと思っていたのかもしれません。令和の時代は不適切なことをやったら、SNSで炎上しますよね。まさに鬱屈している時代に、NHKが大河ドラマに蔦重を持ってきたのは大きな挑戦だと思います。


――蔦重は何かと忖度しがちな現代の本と違い、タブーを侵すことを厭わなかったように思います。


櫻庭:ただ、蔦重は吉原の出身だったので、黄表紙にしても人情本にしても、遊女を貶める本を出していません。身分が低い人たちを馬鹿にする話は見当たらないのです。そのかわり、貶められているのは、身分が高い人たちや偉そうにしている人たちです。そこが庶民の心を掴んだ要因でしょうね。


■あの松平定信が京伝のファンだった!?

――それにしても、武士と庶民はまったく異なる身分のように思えますが、共鳴し合う部分もあったのですね。


櫻庭:下級武士はそんなに豊かではありませんから、もともと庶民の感覚と近いものを持っていましたし、江戸っ子たちと似た文化を共有してきたと思います。江戸の人たちも武士を見て憧れていましたし、お互いの文化や考え方に共感しあっていたのかなと思います。“いき”、“張り”、“いなせ”は武士の心得を江戸っ子っぽくしたようなものですし、蔦重の「全部責任を取る」姿勢は武士道につながりますからね。


――櫻庭さんは、当時の町人文化は武士にとっても憧れの存在だったと説いています。


櫻庭:単純にかっこいいなと感じていたと思います。武士は子どもの頃から難しい教育を受けさせられていたので、歌舞伎役者のようにちょっと派手で悪い恰好をしたいという憧れがあったでしょうし、それこそ八丁堀同心のように、格好つけて雪駄をちゃらちゃらさせて歩いていたのでしょうね。


――幕府のなかにも町民文化の愛好家はいたのではないかと思いますが、どうでしょう。


櫻庭:寛政の改革を進めた松平定信は、京伝のファンだったという説があります。老中の立場で出版統制をしたものの、隠居してからは浮世絵を集めていたらしいのです。定信は町人文化に憧れていたかもしれませんよね。京伝の黄表紙を読んでみたら、結構いいじゃん、と思ったのかもしれない(笑)。


――それはあり得ますよね。現代でも、警察官がヤンキー漫画を読んでいたりすることがよくあります。


櫻庭:定信もエンタメを楽しみたかったのに、老中という立場が、彼を出版統制に向かわせてしまったと思うとなんだかかわいそうに思えます。春町のようなあからさまに幕府を批判する内容は受け付けなかった可能性はありますが、京伝が書いたものは主人公が庶民だったりするので、純粋に楽しめたのかもしれませんよね。


■吉原で人脈を構築する

――蔦重は吉原で生まれて成り上がった人物です。吉原とはどんな場所だったのですか。


櫻庭:当時の人々の粋が集まったのが吉原だった、と言っても過言ではありません。もちろん女性の体を買うところなので、あってはならないものです。とはいえ当時は、江戸の重要な文化発信の拠点といえる場所でした。そんな吉原で、蔦重は人脈を作り、美意識、さらには人権に対する考え方も培ったのです。


――吉原という環境だったからこそ、人脈構築が可能になったと。


櫻庭:吉原で狂歌の会をやれば、作品をまとめて本にできるし、その場で挿絵も依頼できる。吉原で出版のすべてが済ませられるのです。それに、お金持ちもくるし、タニマチもできるし、お金もできると、いいことづくめだったのでしょう。蔦重は『吉原細見』を出して吉原の宣伝をして客を呼び、そこで人脈を作って、本にして有名にしていったのです。


――昭和初期の喫茶店や戦後の新宿のゴールデン街のようですね。


櫻庭:一種のサロンだったと思います。集まったみんなで切磋琢磨もしたでしょうからね。吉原も“いき”と“張り”の世界でしたから、女と寝るためだけに行くのは野暮なのですよ。遊女もいるけれど、自分たちは知的で通な遊びをしにきたんだと、かっこつけるのが粋だったと思います。もちろん、本心は知りませんが(笑)。


■謎だらけの写楽の正体とは?

――蔦重は日本の文化史に残る作品を一気に作った。凄まじい人物ですね。


櫻庭:日本の文化史に名を残す人だと思います。蔦重は、歌麿が女性の色気を描けると見抜き、美人画を描くように進言して、自分の家か近所に住まわせてまで活動を支えました。天才的なプロデュース能力、審美眼の持ち主だと思います。特に、東洲斎写楽の役者絵はよく出したなと思いますよ。


――写楽の絵は、当時はまったく売れなかったんですよね。


櫻庭:売れなかったし、役者からも「なんちゅうものを描いてくれたんだ!」と怒られたといいますから、今で言えば大炎上ですよ(笑)。美しい女形ののど仏を描いたのですから、とんでもないことをやったわけです。もっとも、それは蔦重なりの笑いや真実の追求だったのかもしれませんが。


――なぜ、リスクをとってでも、実績がなかった写楽の役者絵を出版したのでしょう。


櫻庭:私は、写楽の役者絵を出したのは、蔦重の挑戦だったと思います。というのも、それまでの浮世絵は女性の顔も一緒、役者の顔も一緒、服の皺も描かない感じで、形骸化していました。そこに、役者の特徴を敢えて誇張して描くことで、見る人に真実を見せたかったのかなと思います。


――そんな写楽の正体は誰なのでしょう。


櫻庭:不思議なことに、蔦重も、周りの作家も、地本問屋たちも写楽の正体をバラしていないのです。私は写楽の正体は北斎だったらいいなと思いますが、歌麿、重三郎が描いた説もあります。一番言われているのが、能役者の斎藤十郎兵衛という説ですが、彼が描いた証拠はないですし、本当にわからないのです。


■大河ドラマで写楽はどう描かれる?

――わからないからこそ妄想が膨らみますし、大河ドラマではどのような設定で描かれるのか気になりますよね。


櫻庭:気になりますね。どう書いても「違う!」と言う人はいるのだから、大河ドラマでは自由に設定を作ってほしいです。私は、写楽は真実を描きたがっていた絵師だと考えています。対する歌麿は、美しいものを描きたかった人。だから、正体が歌麿ではないと思う理由です。ちなみに、北斎は役者の似顔絵を得意とした、勝川春章の弟子でもあります。北斎が春章の弟子として、最後の仕事として写楽を名乗り、役者絵を描いていたらいいなと思います。


――仮に正体が北斎だとしたら、大型新人として売り出しているわけですから、蔦重も何らかの意図があったのでしょうね。


櫻庭:その独特の絵柄ゆえ、下手すら炎上しかねないので、新人の設定で出したのかもしれません。もし世の中に受け入れられたら正体をバラせばいいし、うまくいかなかったから謎の人物のまま終わればいいわけでしょう(笑)。そのへんも蔦重は商売人ですし、考えていたと思いますよ。


――そういえば、今でも似たようなことをしている出版社やレコード会社があります(笑)。


櫻庭:北斎は写楽が活動をしているとき、勝川春朗の名前で役者絵を描いてないのです。その後、春朗はガラッと絵柄を変えて、名前も変えて、その後に北斎の絵柄になる。北斎になってからは役者絵を描いていないし、描いても後ろ姿ばかり。写楽時代によっぽど炎上したので、その後も描かなかったのかなと推測してしまいます。


――ありがとうございました。最後に、櫻庭さんも文筆家として、蔦重のような人と一緒に仕事をしてみたいと思いますか。


櫻庭:魅力的な人だと思いますが、結構強引なところがあるなとは思います。今の時代に生きていたら、敵も多い編集者、出版プロデューサーだったことでしょう。蔦重に任せてみたい企画はありますね。絶対に真面目な出版社では出せないような不適切なテーマを、「売れますかね?」「任せていいですか?」「書いていいですか?」…と、迫ってみたいところです(笑)。



■櫻庭由紀子のオンラインイベント1月31日(金)19:00〜開催!



 大河ドラマ『べらぼう』1〜4話の「本当はこうだった」から今後の展開まで、面白いお話をたくさんしてくださるようなので、蔦屋重三郎についてもっと詳しく知りたい方におすすめの内容。気になる方は下記URLをチェック!
https://peatix.com/event/4221500/view



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