長与千種はアジャコングにとって憧れでありライバル プロレスを続けるきっかけになった「失望のシングルマッチ」も振り返った

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2025年01月08日 10:01  webスポルティーバ

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■『今こそ女子プロレス!』vol.25

アジャコング スペシャルインタビュー(3)

(連載2:全女に合格した理由を知ってショック 「父がアメリカ人」で受けた差別と、母からの無償の愛>>)

今のアジャコングが「アジャコング史上最高」――。最高のアジャコングはどのようにして生まれたのか? その真相に迫るインタビュー第3回では、プロレスとの出会い、長与千種への憧れなどについて聞いた。

【空手着のレスラーを応援していた少女時代】

――お母様が格闘技好きで、プロレスは子供の頃からテレビで観ていたそうですね。

アジャ:相撲とかも観てましたし、土曜の夕方5時半は必ずチャンネルが全日本プロレスになっていました。ただ、金曜夜8時の新日本プロレスは観せてもらえなかったんですよ。その時間は母が『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)を観ていたので。とにかく、日常のなかに当たり前にプロレスが入り込んでいましたね。

――好きになったのはいつ頃ですか?

アジャ:小学校に入る時に、「女の子なので護身術程度に」ということで、近所の合気道の道場に連れて行かれたんです。そうしたら、合気道の横で空手もやっていて。今は合気道のすごさがわかるので「やっておけばよかったな」と思うんですけど、空手のピシッといく突きとか蹴りが、子供の頃の私にはカッコよく見えたので、母親に「空手を習いたい」と言って始めたんですよね。

同じ時期に、近所にすごく仲のいい5歳くらい上のお姉さんがいたんですけど、日曜日にその子と遊んでいて、「今から面白いものを見せてあげるよ」と言われてテレビを観たら、プロレスのリングで男の人と女の人が歌を歌ってるんですよ。

――男の人と女の人?

アジャ:ビューティ・ペアだったんです。私、ジャッキー(佐藤)さんを完全に男性だと思ってしまって。「なんでプロレスのリングで歌を歌ってるの?」ってお姉さんに聞いたら、「今から女子プロレスが始まるから」って。初めて全日本女子プロレスの中継を観たんですが、ビクトリア富士美さんが空手着姿で出てきたのを見て、「同じ空手をやってる」と富士美さんのファンになったんです。そこから、そのお姉ちゃんと一緒に毎週観るようになって「面白いなあ」となっていきました。

――どういうところが面白かったですか?

アジャ:相撲もプロレスも「男の人だけがやるものだ」と思っていたので、「女の人もやれるんだ」と。しかも、あんなに必死になってすごいなって。私は富士美さんが好きだったんですが、そんなにいつも勝つ方ではありませんでした。自分が負けたわけじゃないのに悔しかったし、それでも立ち向かっていくのを応援していました。

【「千種が頑張ってるんだから頑張らなきゃ」】

――ビューティ・ペアにはハマらなかった?

アジャ:熱狂するほどではなかったですね。テレビで女子プロレスがやっていたら観る感じでしたが、ビューティ・ペアが解散してからは放送回数も減ったので、しばらく離れていた時期もありました。

――その後、クラッシュ・ギャルズのファンになるんですね。特に長与千種さん。長与さんのどんなところが好きでしたか?

アジャ:それも空手着がきっかけです。女子プロレスのブームがちょっと落ち着いてきた頃......小学校5年生くらいですね。長与さんが昭和55年にデビューされて1年目くらいの時に、テレビをつけたら空手着を着た人が出てきたので、「また空手着! 富士美さんはやめたのに」と思ったら、長与千種という人だったんです。回し蹴りとか空手技を使ってるけど、細いしあんまり強くない。だけど、頑張ってほしいなと思って。

 そこから長与さん見たさに全女を観るようになったんですが、あんまり出てこないんですよ。「今日もあの人の試合なかったなあ」みたいな感じが続いていたなか、中学1年くらいの時にクラッシュが結成されて、人気が大爆発。それからはお小遣いを貯めて試合を観に行ったり。立川に住んでいたので立川に来る時も行ったし、後楽園ホール、1.4(東京ドーム)も行きました。

――アジャさんから見た長与さんは、カッコいい感じですか?

アジャ:今もそうですが、可愛い......ですかね。先輩、しかも還暦を迎えられた方に失礼ですけど(笑)。でも、先月の「長与千種 還暦祭」で見ても、やっぱり可愛かった。普段の笑顔も可愛いけど、リングでは極悪同盟に血みどろにされながら、やられてもやられても立ち向かっていく。絶対に「参った」は言わない。「なんでそこまで頑張るの?」っていうくらい、あの頑張りに胸を打たれました。

クラッシュ・ギャルズが活躍していた時も、「千種がこんだけ頑張ってるんだから、私も空手の昇級試験、頑張らなきゃ」と思ったし、全国の女子中高生が「千種が頑張ってるんだから頑張らなきゃ」と思ってたんじゃないですかね。

――感情移入したんですね。

アジャ:自分に置き換えて観てました。当時は、いじめもそうですけど校内暴力などもあって、鬱屈した思いがあった。そんななかで、ダンプ(松本)さんに血だらけにされてるのに、立ち上がって頑張る長与さんを見たら、そりゃあ応援しますよ。「自分たちも強くならなきゃいけない」と、クラスの友だちと話してましたね。全女の中継が月曜日の夜7時くらいからやっていたので、次の日の火曜日はクラス中の女子がみんなその話になっていましたね。

【念願の長与とのシングルマッチで自分に失望】

――長与千種というレスラーをどう評価していますか?

アジャ:還暦祭もそうでしたが、やっぱりすごいです。長与さんに憧れて全女に入ったけど、入ったら雲の上すぎて話はできなかった。長与さんは平成元年に一度引退されていたので、「長与さんとシングルマッチはできなかったな」って思っていたんです。ただ、その引退の時に「生まれ変わったらもう一度プロレスラーになる」とおっしゃったので、「生まれ変わったらシングルマッチお願いします」って言ったら、「うん、やろうな」と言ってくれた。私はまだ3年目くらいで、アジャコングになる前ですね。それをモチベーションに「今世は無理だから、来世に頑張ろう」と思っていました。

――その後、長与さんが旗揚げしたGAEA JAPANのリングに、アジャ選手はフリーとして上がるようになります。

アジャ:そこで、長与さんと初めてシングルマッチをすることになって、「もう来世が来た!」と思いましたね(笑)。だけどその試合で、私は自分で自分に失望したんですよ。アジャコングになって、WWWAのベルトも獲って、ある程度やり終えたから全女を出てフリーになって......それでGAEAに乗り込んで長与さんとシングルをやったら、アジャコングじゃなくて、15歳の自分に戻っちゃったんですよ。

――長与さんに憧れていた時の自分ですね。

アジャ:とてもじゃないけど、お客様に見せられるような試合じゃない。「長与さんと試合をして、満足したら引退しよう」と思っていたんですけど、満足するどころか、当時の自分に「お前はプロレスラーを名乗るなよ」って言いたいくらい、本当にフワフワしてしまって。ファンがリングに上がっちゃった感じですね。「これじゃあ悔しくてやめられないな」と思いました。

 今では、長与さんとも「"プロレスラー"のアジャコング」として対峙できるようになったんですけど、「プロレスって本当になんなんだ?」っていうのが、突き詰めていくうちにわかんなくなってきて、もっといろんなことをやりたくなった。「もっとやりたい、もっとやりたい」が増えていって、現在まで続けてる感じかな。あの長与さんとのシングルマッチは、私のターニングポイントですね。

【いつでも"スーパースター"だった長与千種】

――全女時代、長与さんは後輩に対してどんな接し方をされていましたか?

アジャ:自分に憧れている人間に対しては、ちゃんと"憧れの存在"でいてくれる人でした。私にとってはよき理解者であり、よきライバルでしたね。なんせ、全部の光を自分のほうに持っていっちゃう人なので、ヒールとしての自分は「なんとかして影に引きずり込んで、闇落ちさせてやりてえな」と思っていました。

 昔は"みんなの太陽"だったのが、今マーベラスでやっているのを見ると、"なくてはならない月"になってきたかな。これからの選手たちに対して、「君たちが輝く太陽でいなさい。私は夜道を照らす月になります」という感覚になっているように見えます。

――アジャさんが、会社の指示でヒール転向させられた際、「悪役で長与さんとは試合をしたくない」と悩んでいたところ、長与さんからサングラスを渡されて「このサングラスが似合う悪党になれ」と励まされた、というエピソードは有名ですね。あのサングラスはまだ持っていますか?

アジャ:家にあります。あれは一生の宝物だと思っています。

――長与さん、粋なことをされますね。

アジャ:自分のことをスーパースターだと思っている人に対しては、"スーパースター対応"をしてくれる方なんですよ。

――自分が周囲からどう見られているか、すごくわかっている方ですよね。

アジャ:わかっている方だし、そうやって生きていくしかないんだと思います。私も最近は、「アジャコングと宍戸江利花(本名)の境目はどこですか?」って聞かれるんですけど、自分のなかでは境目なんてないんですよ。365日、四六時中、アジャコングとして見られているんだったら、「アジャコングってこういうものでしょ」っていう見せ方をする。それは苦痛じゃなくて、自然体です。長与さんもずっと「プロレスラー・長与千種」「芸能人・長与千種」と見られてきたから、たぶんそれが、自分の一部になっているんだと思います。

――以前、長与さんにインタビューした際、「人との接し方がわからない」とおっしゃっていました。みんなで食事に行くとなると、気を遣いすぎてしまうと。

アジャ:だからたぶん、あんまり友だちはいないと思います(笑)。自分の素を出せる人、自分が疲れない人じゃないと、普段は一緒にいたくないでしょうね。

――アジャ選手は「365日、アジャコング」でいることに疲れたりしませんか?

アジャ:私の場合は、「疲れたな」と思ったら、全部シャットダウンして誰にも会いません。ひとりでいることが全然苦痛ではないので、休みの日とか、誰とも連絡を取らないでひとりでいたりしますね。一歩外に出たら人に見られるけど、見られる商売を選んだんだからしょうがない。でも、家のなかに籠っている限りは、誰にも見られていないから好きにしてていいよねって。そこでバランスは取れているのかなと思います。

――バランスが取れるようになったのはいつ頃ですか?

アジャ:全女時代は巡業が多くて、年間250試合くらいしていたので考える暇もなかったですけど、フリーランスになって自分の時間を取れるようになってきた頃......30代後半くらいにバランスが取れるようになりましたかね。ひとりの時間があることはすごくありがたいし、すごい大事だなと思います。その時間がないと生きていけないかもしれませんね。

(つづく)

【プロフィール】

●アジャコング

1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken  Instagram:@ajakong.uraken

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