角田裕毅とは異なるルートでF1へ 宮田莉朋のF2初年度は勝てなかったけど「モリゾウさんに感謝」

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2025年01月11日 07:10  webスポルティーバ

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宮田莉朋インタビュー

 2023年にスーパーフォーミュラ(SF)とスーパーGTでダブルチャンピオンに輝いた宮田莉朋(りとも)。2024年は日本を飛び出し、F1直下のカテゴリーであるFIA F2に初参戦した。日本のトップカテゴリーで頂点に立ったドライバーがFIA F2に挑戦するというニュースは、モータースポーツ界で大きな注目を集めた。

 ロダン・モータースポーツからFIA F2参戦した2024シーズンは8度の入賞を飾り、最高位は第3戦メルボルンのスプリントレース(120km/45分)、フィーチャーレース(170km/60分)で獲得した5位。期待が大きかった分、その反動からか厳しい声もあった。

 初めての海外挑戦で宮田自身はどんな困難に立ち向かい、何を考えながらシーズンを過ごしたのか。25歳の若きドライバーの声に耳を傾けた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── まずは2024年、初めてFIA F2に挑戦した感想は?

「初の海外レース挑戦は面白い部分もありましたが、『日本での経験が活きるのか?』と聞かれると......正直、F2では活きないな、という感じがします。まったくの別モノです」

── 具体的に違いを感じる部分はどこですか?

「まずは日本と比べて、走行時間が圧倒的に少ないという点。タイヤのセット数も限られていて、そのコンパウンドも複数あります(※スーパーフォーミュラのタイヤは年間1種類だが、F2は1大会で2種類を使い分ける必要があり、年間で合計4種類が登場する)。

 また、サーキットによっても異なりますが、レースではタイヤのデグラデーション(性能劣化)がSFと比べて大きいです。それに対して、どこまで攻めるか、いつ守るかというところの見極めが難しい。僕にとっては初めてのピレリタイヤだから、そこも定まっていなくて難しいです」

── 逆に海外でのレースで日本と似ていた部分はありましたか?

「並行して参戦していたELMS(ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ)のほうが似ていました。フリー走行が多く、タイヤの特徴も日本で履いていたものと近くて、『いかにタイヤのデグラデーションを起こさないなかで速く走るか?』という点が似ていました。ひとつずつ組み立てをしながらレースに臨めるので、ELMSではこれまでの経験が活きました」

【F2はSFと違ってパワステがない】

── 初めてFIA F2にフル参戦して、難しいと感じた点はどこですか?

「やはりタイヤとコースですね。F2はタイヤが5セットあるうち、3セットがプライム(硬め)で2セットがオプション(柔らかめ)。フリー走行で2セット以上を使うこともできますが、そうするとレースで不利になっていくので、練習で使えるのは結局プライムの1セットのみ。オプションは予選まで使いません。

 デグラデーションも大きいので、1セットだけで周回数を重ねて(後半に)タイムを上げられるかというと、そうでもないので難しいですね。『フォーミュラ+ピレリタイヤ』という環境でずっと走っていた周りのF2ドライバーと比べると、経験値が圧倒的に違うなと感じました」

── 初めて走行したコースも多かったですよね。

「コースを知っていれば、対応できるところもありました。バーレーンとバルセロナは事前にテストをしたうえでレースに臨むことができたのでよかったです。レースウィークのフリー走行は45分しかないですし、使えるタイヤが1セットだけ。マシンのセッティングも大きく変更できるわけではないので、事前段階での準備がものすごく重要になりました。

 あとは、コミュニケーションの壁もあります。英語を勉強していたから会話はできますけど、それでも苦しいところがありました。やっぱり(同じ英語でも)国それぞれでしゃべり方は違いますし、イギリス人はイギリス英語で訛りも違いますので」

── 宮田選手は2023年にダブルチャンピオンとなった実績がある分、2024年のFIA F2の結果に対してさまざまな意見が聞こえてきたかと思います。

「僕が気にしすぎなのかもしれませんけど......ダブルチャンピオンを獲って海外に行ったので、日本のみなさんからすれば『もっとがんばれよ!』という気持ちになるかもしれません。

 海外レースに参戦していろんな苦労をしていますけど、そのなかには経験していないことがあまりにも多すぎるなと......。タイヤやコースのこともそうですが、車両に関しても車体の重量やタイヤのサイズなどが異なります。F2はSFと違ってパワステがありませんし」

【裕毅とはキャリアの積み方が異なる】

── FIA F2とスーパーフォーミュラは「F1」というトップフォーミュラの次に位置するカテゴリーながら、中身はかなり違うと。

「細かいところをひとつひとつ見ると、このふたつのカテゴリーはだいぶ違うんです。だから逆に、F2からSFに行くのも大きなギャップがあると思います。

 過去にはリアム・ローソン(現レッドブル)やピエール・ガスリー(現アルピーヌ)など、SFに来て成功しているドライバーもいます。彼らからすれば『パワステがあるんだ!』という状況なので、マインドとしては全然違うのかなと思います」

── FIA F2とスーパーフォーミュラの違いは、外部が思っている以上に大きいのですね。

「2024年はELMSで優勝できましたけど、F2では期待に応えらず、歯痒い日々を過ごしました。でも、ありがたいことに一緒に仕事しているみんなは僕のことを信じてくれていて、『ダブルチャンピオンを獲ったドライバーが成功しないわけがない。莉朋が秘めているものは絶対にある』と。僕はそれに助けられているし、またがんばろうという思いにさせてくれています」

── シーズン中には、FIA F2参戦初年度で3勝を挙げた角田裕毅(現レーシングブルズ)と比較する声もありました。どう感じていますか?

「まず、裕毅と僕とは、キャリアの積み方が異なります。彼は日本にいる時からヨーロッパへテストに行っていましたし、F2に上がる前年(2019年)にはFIA F3とユーロフォーミュラ・オープン(EFO)に出ていました。

 しかも、日程的にEFOのほうが先に開催されて、事前にF3で走るサーキットを経験できるので、彼はコースを知った状態で臨めていました。その点では彼も準備しやすかったと思います。

 一方、僕の2024年シーズンは逆のパターンで、初経験のコースはほとんどFIA F2が先に開催されてコースを経験できたので、ELMSのほうが準備万端という状態でした。ほかのカテゴリーでの経験がF2に活きた機会は、テストで走ったバルセロナしかなかった。

 でも、これに関しては誰が悪いとかではなくて、自分が歩んできたキャリアと彼が歩んできたキャリアが違うというのが大きい。そういったところをひとつひとつ知ってもらいながら、応援してもらえるとうれしいです」

【ドイツからロンドンへ引っ越し】

 2025年、宮田はロダン・モータースポーツからARTグランプリに移籍し、FIA F2の2シーズン目に挑む。ルーキーイヤーは結果を残せず悔しい思いを重ねたが、そこで得た経験は確実に自身の力になっているはずだ。

 FIA F2でのレースに注力するため、宮田は生活の拠点も変更した。自身最高の成績を収めた2023年シーズンのように飛躍すべく、原点に立ち戻って再びヨーロッパでの戦いに臨む。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 2024年は初めて海外に拠点を置くことになりましたが、ヨーロッパでの生活には慣れましたか?

「実はこっちに来てからずっとドイツに住んでいたんですけど、最近イギリスのロンドン近郊に引っ越しました。今のアパートはジムもプールもついていて、すぐにトレーニングできる環境なので、すごくラクですね(笑)。

 2023年は『勝ちグセ』みたいなものがあったと思うんです。振り返ると、あの時は私生活が充実していたから、レースでも最大限のパフォーマンスを出せていました。

 なので、しっかりとFIA F2にフォーカスできるように、身の回りの環境を変えることにしました。これが実現できたのも、支援してくださったTGR(トヨタ・ガズー・レーシング)のみなさんのおかげです」

── 宮田選手はプライベートでゲームをよくやっているイメージですが、それはヨーロッパに来てからも変わらず?

「そうですね。空いた時間はよくTOM'S(2023年に国内ダブルチャンピオンを獲得した時の所属チーム)のメカニックたちとオンラインゲームを一緒にやりながら、『最近、どう?』と話をしながら楽しんでいます。

 レーシングシミュレーターも新しく買って、自宅に設置しました。F2のドライバーたちもシミュレーターでオンラインレースをやっているので、一緒のレースに出た時は後日サーキットで会った時に『一緒に走ったよね!』という話にもなります」

【F1への道を切り開いてくれた】

── 2024年10月にハースとトヨタが業務提携し、日本人のドライバーにもF1に行くチャンスが増えていきそうな動きもあります。それについてはどのように感じていますか?

「僕がまず伝えたいことは、モリゾウさん(トヨタ豊田章男会長)をはじめTGRのみなさんへの感謝です。『F1への道』を切り開いてくれて、そこに向かっていけるようになった現状が、TGRのひとりのドライバーとしてすごくうれしいです。

 僕自身は、このニュースがあったから心境的に何か変わる、ということはありません。こうして今の年齢(25歳)でF2に挑戦させてもらえていることがありがたいです」

── 海外に挑戦して、新たに知り得たことも多かったですか?

 やっぱりこっち(海外)に来て感じたことは、F2に乗ることの重要さ。SFとの違いもそうですし、F1と同じ週末に同じサーキットで開催されることで勉強できるところもあります。

 厳しい部分はたくさんありましたし、結果につながっていない部分はすごく歯痒かったです。ですけど、経験を積むことで自信につながっているものも、本当にたくさんあります」

<了>


【profile】
宮田莉朋(みやた・りとも)
1999年8月10日生まれ、神奈川県逗子市出身。両親の影響により幼少期からレーシングカートを始め、数々のタイトルを獲得。フォーミュラ転向後も快進撃は止まらず、2016年〜2017年には2年連続でFIA F4選手権、2020年は全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権を制す。2023年にスーパーGTとスーパーフォーミュラでダブルタイトルを獲得。2024年はFIA F2選手権とヨーロピアン・ル・マン・シリーズに参戦した。身長171cm、体重67kg。

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